ゴルフの名言勝手に解釈  (渡辺隆司のゴルフブログ)

過去から今に伝わるゴルフの「名言・格言」を、勝手な解釈で描いて行きます。 読んだ結果、多分、ゴルフが上手くはなりません。 でも、ちょっと良いゴルファーにはなれるか、と。 もちろん責任持ちませんが。 (イラストの無断使用はしないで下さい)

カテゴリ: ゴルフの名言勝手に解釈

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「知りたいのはホール迄の距離だけだ。右や左に何があるのかは関係ない。」...アーノルド・パーマー。
「Hit it Hard!」と「Go for it!」を合い言葉に、その攻撃ゴルフで一世を風靡したアーノルド・パーマーらしい言葉だ。

ある程度ゴルフをして来た人には、こんな経験があるはずだ。
本格的な「難しい」という評判のコースで、「初めてラウンドした時は結構いいスコアだったんだけど、何回もラウンドするごとにスコアが悪くなって来た。」なんて事。

これは、初めてそのコースに行った時には、見える範囲の情報だけでプレーする事しか出来ず、結果的にピンに対する集中力が増して、自分の実力の上限に近いものが出せたため。
これが回数を重ねるごとに、「ここにこんなハザードがあったんだ」とか、「ここでティーショットを右側に打ったら、次のショットは難しくなる」とか、「ここのグリーンは左に外したら、寄せるのが難しい」とか「このグリーンはここに乗せたら、パットが難しい」とか感じるようになる。
こうして、ラウンドするごとに「〜したらダメ」「〜すると難しい」なんて「マイナス情報」が積み重なってしまうと、その情報が自分のスイングにプレッシャーを与える事になる。
打つ前に「あそこはダメ」とか「ここはダメ」なんて考えると、腕は縮み、上半身と下半身のバランスは崩れ、無駄にグリップに力が入り...ゴルフの「呪い」の法則通り「行って欲しくない方向ばかりにボールが行く」事になってしまう。

情報は知っていて良い事もあるけれど、知らない方が良い事も多い。
ある程度練習などで「ボールがつかまっている」状態だと思ったなら、いっそ余計な危険情報など聞かずに、「ピンだけ」に集中した情報の方がショットが安定する可能性が高い。
ハザードなどの情報によって引き起こされる「恐れ」や「不安」は、アーノルド・パーマーのようなスーパープロフェッショナルゴルファーにとってさえ、好ましいものではないというのだから。

我々のゴルフだって、そのショットの前に「親切」なキャディーさんによる「事細かな、見えない難しいハザードの情報」なんかを聞いてしまった後では、大体説明通りのハザードの犠牲になってしまうことが多い。
「だから、言ったのに」じゃなくて「わざわざ言われたからだ」なんて、ついキャディーに文句を言いたくなるような...

ショットが不安でほとんど自信がない、なんていう人はキャディーさんの言うハザードは徹底的に避けて、安全なルートを行くのが良いだろう。
だが、その日「当たっている」と感じていたなら、キャディーさんからの情報は「ピン迄の距離」だけにして、他の事は言わないでもらった方が良いだろう。

ただし、ミスヒットして聞かなかったハザードに入ってしまったとしても、完全に自己責任という事で決して言わなかったキャディーさんのせいにはしない事。
自分のその日の状態で、キャディーさんにはあらかじめそう言っておいた方が良いかもしれない。

「ピン迄の距離だけ」か「あらゆるコース情報」か。
「Go for it!」か「逃げまくる」か。

どっちも、恥ずかしい事なんてない。
真剣にプレーすれば、どっちにしたってゴルフは面白いんだから。

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「ショットを狂わせるのは、スイングのメカニズムではなくて、スイングのリズムである」...デビッド・グラハム。

デビッド・グラハムは、オーストラリアのプロゴルファーで、日本でも活躍した後、1979年全米プロで優勝した。
アイアンの設計なども手がける、理論派である。

この言葉が当てはまるのは、おおむね100を切れるようになったゴルファーだろう。
それ以上叩くようなゴルファーの場合は、やはりスイングのメカニズムをレッスンプロにでも教えてもらった方がいいと思うんだけど..。

100を切れるようになったゴルファーには、覚えがあると思う。
ミスした時に、「何となくいつもの打ち方と違ってしまった」なんて事。
こんな時には、「これはテークバックが浅かったから」とか「トップで力んでオーバースイングになってしまった」とか「右を向いていたから悪いんだ」とか、自分のスイングの分析をするのが普通だろう。

デビッド・グラハムは、「そうじゃない!」と言う。
ミスショットなるようなスイングのミスは、そのスイングのメカニズムの狂いではなく、リズムが狂ったのだ、と。

思い当たる事があるだろう。
ほとんどのゴルファーは自分でミスをした時に、「ちょっと早かった」とか「いつもより遅かった」とか感じているはずだ。
それはインパクト迄の時間であったり、トップでの時間であったり、バックスイング全体の時間であったり、フォローやフィニッシュ迄の時間であったり。
それが「スイングのリズムの狂い」という訳だ。

以前、私がゴルフを始めた頃に「サイバービジョン」という、「見ているだけで」ゴルフが上手くなる、がうたい文句のビデオを売っていた(今でもあるかもしれない)。
これをもらって、半信半疑でぼーっと見ていた事がある。
それはドライバーやアイアンやアプローチなどを、プロが打つシーンを繰り返し繰り返し流し続けるものなのだが...見ていて眠くなるような代物ではあった。

しかしある夜、酒を飲みながらそれを何となく見続けていた結果、次の日のラウンドで自分はその当時のベストスコアを更新してしまった。
不思議なもので、何をどう打っていたかなんて映像は頭に残っていなかったのに、その繰り返しの映像についてくる「ヒュッ、バシッ」という音が頭に残っていたのだ。
自分が打とうとする時に、何となく頭に響いている昨夜の映像の音「ヒュッ、バシュッ」にスイングを合わせるとナイスショッットになるのだ。
ドライバーもアイアンも、アプローチからパット迄その音がついて回る。

つまり今思えば、そのスイングリズムが自分の頭に刻み込まれ、それに合わせる事で全てのスイングが同じリズムで出来るようになったと言う事らしい。
ただ、初めて見たと言う事での、その新鮮な刺激だから劇的な結果を生んだようで、その後はそのビデオを見ていると単調過ぎて眠くなってしまって...いつの間にかビデオもどこかに行ってしまったけど。

話はそれてしまったが、ミスのスイングメカニズムを追求して、なおかつそれを修正しようなんてのは、よっぽどの情熱と時間がない限り凡ゴルファーには上手く行きそうもない話。
それより、自分の一番いいスイングの時のリズムを、気合いが入った時も、不安でしょうがない時も、気の抜けた時も、同じように変えないで行けるように訓練したほうが簡単だと思う。

まあ、それはそれで、どんな場面でも心の動揺と興奮をクールに収めなくちゃいけない、なんて言う別な難しさがあるにはあるんだけれど...

自分のリズム、やり通してみない?

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「本心からでないのなら、紳士のふりをして無理に同情の意を表さなくても良い」...ピーター・ドーバレイナー。
ピーター・ドーバレイナーは、イギリスの評論家。

そもそもゴルフは紳士のゲームなんだから、相手の思いがけない不運に対しては、決してそれを自分の幸運として喜んだりせずに、心からの同情の意を表して相手を慰め「なければならない」ものらしい。

そんな事を特別に思っていなくても、一緒に回るゴルファーの素晴らしいショットが想像もしなかったアンラッキーによって、とんでもない結果になる、なんて事はよく体験する事だろう。
そう言う場合は我々だって心から同情して、「アンラッキーでしたねえ」なんて声をかけるだろう。
自分でもその当事者になったら、「運が悪いですねえ」なんて声をかけられれば、自分のナイスショットがアンラッキーによって酷い結果になってしまったという事を認めてもらえたとして、少しは怒りや嘆きが収まるだろう。

が、もし相手が永久スクラッチのライバルで、ここのところ負け続けていた場合...本心から同情するだろうか(笑)。
思いっきり喜びの笑いをこらえながら(吹き出しそうになるのを我慢して)、出来るだけ嘘っぽい神妙な顔をして、「ドンマイドンマイ、アンラッキーだったなあ」なんてもっともらしく慰めて「やる」だろう,,,その内心では「ゴルフの神様は俺をまだ見放してはいなかった」なんて感謝しながら。

もし握っている相手だったらどうだろうか。
そんなアンラッキーな目にあった相手に、なるべくその痛手にじっくりと塩を塗り込むように「狙いは良かったんだけど、ゴルフの神様が上手い人に試練を与えてくれたのかなあ...」とか、「ちょっと腰が早く開いたかなあ、惜しかったですね」とか言ったりして。
同情のふりをして、相手を怒らせるか混乱させる訳だ。

...そんな風に考えると、素直に本心から同情する時というのは、意外に少ないのではないか。

我々のゴルフは、その回数があまり多くはないだけに運不運は結構偏る。
運が悪いときは、そんなアンラッキーな出来事が続く事が多い...我々のゴルフでは決して運不運は同じ量にはならないもの。
そんな、いつものようなアンラッキーが続いた時に、いつも同じような心の全くこもっていない紳士ぶった「バッドラック!」とか「アンラッキー」だとか、「運が悪かったですね」なんて同情の言葉は要らない。
自分じゃアンラッキーが普通だと思っているんだから...それを嘆くのもゴルフの楽しみのうちだし、たまにあるラッキーは期待してないから一層嬉しいんだし。

だから、提案する。
あまり、軽く同情の言葉を言うのはよそう。
まして、心から思っていないなら黙っているのが一番。
言葉にしなくても、黙って一緒にボールを探す...アンラッキーに出会った人にはそれが一番嬉しいものだ。

この言葉は、紳士のゲームの実情をイギリス紳士が嘆いている言葉。
イギリスの「紳士」同士でさえそうなんだから...

紳士生まれじゃないゴルファーは、紳士ぶる行為より親身な行動だ。
口先だけよりは、心意気、だよね...我々は。

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「誇りの無い人間は、運が悪いという事をゴルフを投げる言い訳にする」...ナンシー・ロペス。

...会心のティーショットが、フェアウェイの真ん中でディボット跡にスッポリと入っていた。
狙い通りのショットが、カート道路に跳ねてOBになった。
最高の当たりのショットだったのに、行ってみるとボールが無い。
ピンに重なったアイアンショットが、ピンに当たってバンカーに入った。
バンカーに入ったボールが、誰かのつけた深い足跡の中にあった。
いい感触のアプローチが、見えなかったスプリンクラーに当たってとんでもない方向に行った。
カップに入るように見えたパットが、誰かのつけた芝の傷で外れてしまった。
...
そんな事は、ゴルフをやっていればラウンド中に何度も出会う普通の出来事。
誰にだってそういう経験はあるはずだ。
「ゴルフコース」というゴルフを遊ぶために作られた人工の場所とはいえ、自然の野山に近い環境の中での遊びでは、そういうラッキー・アンラッキーは当然あるのが当たり前の事なんだけど。

居るのだ。
ちょっとゴルフの上手い「自称」上級者なんて人の中に、不運がちょっと続くと「こんなもんやってらんないよ!」なんて言って、その日のゴルフを投げてしまう人が。
ちょっとしたアンラッキーで、ダボ・ボギー・ダボなんて続くと、「あ〜、今日はダメだ」「こんなアンラッキーばっかりが続くんじゃ、今日はゴルフなんかするんじゃなかったなあ」「あ〜、一日損した」...

その後の残されたホールを、不貞腐れた様子でいい加減にプレーして、ぶつぶつ不満を言い続け、他のプレーヤーに対しても気も配らない。
そういう奴のおかげで、一緒にプレーするゴルファーも「ゴルフを楽しむ気持ち」を邪魔されて、ゴルフを心から楽しむ事が出来なくなってしまう。

こういうゴルファーは、自分がいいスコアを出して気持ち良くなる事だけが目的で、他のゴルファーの事は頭に無い。
一緒にプレーするゴルファーの事を考えて、自分の落ち込む気持ちを隠して気を配る、「やせ我慢」の誇りさえ無い。

たかが不運でゴルフプレーを続ける気持ちが揺らぐようなら、ゴルフなんかしなければいいのだ(自分にも言っている)。
ゴルフというゲームは、「不運」もプレーのうちなのだ。
「幸運」を喜ぶなら、「不運」だって認めるべきだ(自分に言っている)。

ゴルフってのは、「やせ我慢」も出来ない人間にする資格は無いんだ、って事を肝に銘じておくべきだ(自分に言っている)。



しかし世界のツアーを見れば天下の一流プロって言われている奴らが、上手く行かないとクラブを叩き付けたり蹴っ飛ばしたり、グリーン上でつばを吐いたり罵ったり...
こんなやりたい放題の態度を、「そんな事をする奴あ、ゴルファーの風上にもおけねえ!」「お前らはゴルフなんてやめちまえ!」って言ってやる奴あ、世界にいないのかねえ..。

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「結局、ゴルフに一番向いていないのは、お気楽なロマンチストだ。」...バーナード・ダーウィン。

...今まで、何度も「ショットの前にはいいイメージを持て!」とか、「ボールがピンに向かって飛んで行くイメージを持て」とかいう「ゴルフの名言」を書いてきたのに、今度はまるで反対の言葉だ。

「おいおい、いったいどっちの言う事が正しいんだ?」なんて声が聞こえてきそうだ。

この言葉、摂津茂和氏は「詩人的気質の者は、ゴルフに不適」と書いている。
「詩人的な気質」も「お気楽なロマンチスト」も同じ意味。
つまり、「お気楽な夢想家」とでも言えるようなゴルファーの考え方を戒めているのだが、「ショットを打つ前に持つべきいいイメージ」と「お気楽な夢想家が持つイメージ」の違いがわかるだろうか?

ショットの前に持つべき「良いイメージ」とは、かって「自分がする事が出来たベストショットのイメージ」を思い浮かべる、ということ。
それに対して「お気楽な夢想家のイメージ」というのは、例えば「テレビで見た超一流プロのショットのイメージ」を思い浮かべたりする事。

自分に経験のあるベストショットをイメージするという事は、その時の身体の動きや気持ちの持ち方、ヘッドの走り、ボールの感触などを思い出す事で、その時の良いスイングを再現しようと言う方向に働く。

それに対する「夢想家のイメージ」は、テレビで見ただけとか、雑誌で読んだだけのスーパースターのスーパーショットを、自分も打ちたいという願望・夢想だけで頭に浮かべている。
それは、自分のゴルフの実力に何の関係も無く...裏付けの無い技術と、経験の無い運動能力でそれを再現しようなんて言うのは、ただの愚か者の愚行とでもいうもの。
そういう考え方のものは、いつまでも愚かな失敗を繰り返して反省せず、ゴルフを上達するという事に最も向いていない、とダーウィンは言うのだ。

とはいえ、思い返してみると自分ではそんな事はしょっちゅうやっている事...とんでもないライから、プロじゃ絶対にやらないような「お馬鹿ショット」を繰り返し...それでもたまに、そんなトンでもショットが上手く行くから面白いなんて思ったりしている。
「良いイメージを持て」なんて言われて、自分のベストショットなんかを頭に浮かべるはずも無く、昨日見たフレッド・カプルスのパワーフェードを打ってやろう、とかT・ワトソンばりの切れのあるティーショットを、なんて気持ちで打つ方が圧倒的に多い。

つまり、俺自身こそ最もゴルフに向いていない「お気楽ロマンチスト」じゃないだろか...
そう、残り250ヤード、ラフに入ったボールを池越えでグリーン狙い、なんて状況だったら、「池に入れても4オン出来るし、上手く行けばイーグルパット打てるし...」なんて事考えて、馬鹿なショット打つのは自分だし(笑)。
(それも10回失敗したことは忘れて,たった1回成功した事だけ覚えている)
まあ、たとえゴルフに向いていなくても、それはそれなりにゴルフを楽しめるんだからいいじゃありませんか...なんて開き直ってもしょうがないんだが。

ともかく
この言葉、「ゴルフを追求する人」は、絶対に「お気楽なロマンチストになってはいけません。」

は、多分正しい。


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「ゴルフは、左手のゲームでもなく、右手のゲームでもなく、ツーハンデッドゲームなのだ。」...ヘンリー・コットン。

今回は当たり前と言えば当たり前過ぎる言葉。
つまり、ゴルフは右手や左手ではなく「両手」のゲームである、ということをヘンリー・コットンが「わざわざ」言っている。
当たり前の話である...体に障害のある人ではない限り、誰もが両手でクラブを握ってゴルフをプレーしているんだから。

しかしこの言葉の前には、誰もが知っている大前提があって、その上でコットンはこう言っているのだ。
それは、ゴルフでのトラブルの一番の原因は「利き腕が邪魔をする」ということ。
右利きの人ならば、力も感覚も右腕の方が圧倒的に優れている(左利きの人は左手)。
心の繊細な動きに、利き腕と言うのは信じられないくらい微妙に反応してくれるのだ...それはまるで心の動きにオートマチックに繋がった機械の様に。

ところがそれこそがゴルフにおいては、自分の表面上希望する整然とした動きとは違う、心の奥のマイナスの感覚...恐怖や焦り、不安や興奮などの心の奥底の動揺に従って勝手に動いてしまい、正確で安定した再現性の高いスイングをさせない原因になってしまうのだ。
だから古今のレッスン書は、同じように口を揃えて「(勝手に暴れてしまう右手に任せないで)左手主導のスイングを」と書いている訳だ。
この「左手主導のスイング」は、それが出来るなら決して間違いではない正しい事実だが、実際には「利き腕ではない左手が弱すぎて右手の暴走を押さえることは出来ない」とコットンは言っている。

彼の理想のスイングは、「暴れる右手を押さえてなおかつコントロールできるほどに左手を鍛え、両手の力を均衡させた上で、さらに右手のパワーでボールを強打する」というもの。
実際に過去から現代まで、プロアマ問わず多くの著名なゴルファーが、左手を懸命に鍛えて結果を残した。

その左手を鍛えるために、ヘンリー・コットンは左手だけで2時間ボールを打ったという。
それほどの練習はとても我々には無理だけど、普通のゴルファーだって折に触れて意識して左手を使うようにすれば、それぞれのゴルフスイングに必ず良い結果を残すだろうと彼は言っている。

どうだろう。
仕事の合間にでも、ちょっと左手でその辺の重いものを持って上げ下げしたり、ちょっと歩く時にも左手に何かを持って動かしながら歩く、なんてことを実行したら。
外を歩く時には必ず重いものを持つように決めて実行し、結果を残したアマチュアゴルファーもいるというし。
左手を鍛えれば鍛えるだけ、右手を使って思い切り振ってもボールが暴れなくなるというんだから、これから常にその事を考えているだけで飛距離も正確さも手に入る...お金をかけずにゴルフが上達する一番の方法じゃないか?

凄く地味なこの言葉。
案外深い。


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「アドレスする時に、一つのことだけ考えた時はいいショットが出来る。二つ考えた時にはミスをする。」・・・ジャック・バーク。

思い当たることはないだろうか?
「今日はあれにだけ気をつけよう」とか、「今日はこれで行く」と決めていて、それがストレートに実行出来た時には、リズムも良くなり、歯切れのいいショットとスムーズな進行で気持ちのよいラウンドになった経験はないだろうか?

逆に「こうしよう」と決めてスタートしたのに、アドレスに入ると「いや、あっちの方を試した方が良かったのでは」とか、「あれだけじゃなくて、これとこれにも気をつけよう」「前にはあれをやって失敗したんだよな..」なんて考えが次々に出て来た時には、なにをやってもちぐはぐで気持ちの悪いラウンドになってしまった...誰でも覚えがあるだろう?

前者の場合は、アドレスに入るのに迷いがなく、自然にプレーも速くなり、余裕が出来て気持ちの落ち着いたラウンドになる。
後者の場合は、結局アドレスに入った後に迷いが出て、やたらチェックポイントが増えたり反省したりでプレーは遅くなり、時間がかかるのに余裕はなくなり焦りが顔を出す。

以前に描いた、「脳に不純(マイナス)な情報が発生する前に打つ」という「7秒ルール」は、一つのことを考えるだけでなくては実行不可能だろう。
むしろ、アドレスに入る前に心を一つだけ決めて、アドレスに入ったらなにも考えずに打つ、なんて事の方が「7秒ルール」を実行するポイントだろうか。

ゴルフというのは、「景色」とそれに向き合った時の「心理の変化」が複雑で新鮮で、それに対して色々と考えることが最大の楽しみとも言えるんだけど、その「考える時」というのはアドレスに入った後では絶対にない。
ボールをセットする前に、既に心を決めておかなければいけない。
攻め方のイメージは、ティーグランドに立った瞬間に「決断」する。
その結果の、攻め方や作戦の変更や確認、失敗の反省や後悔、ラッキーに対する感謝や、アンラッキーに対する腹立ちや怒り、その他諸々の愚痴も泣き言も全部、打ち終わってから次に打つまでに何十回も繰り返せるほど時間があるのがゴルフだ。

だから少なくても、次に自分が打つ順番が来るまでには、それらを全て終わらせておいて、自分の番になったら一つだけやるべきことを決めて、「7秒以内」に打てばいい。


アドレスに入った時迄二つも三つも考えているような奴は、そのゴルフ場の貧乏神に取り憑かれてしまって、優しいゴルフの女神さんには絶対に出会えないゴルファーだ。

可哀想だけれど、それは自業自得。
優柔不断でちゃんと決断出来ない奴なんぞ、ずっと愚図でのろまな貧乏神と遊んでいるのがお似合いだって事(笑)。


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「ズボンの右ポケットを引け」...グレッグ・ノーマン。

タイガー・ウッズ登場の前に,一時代を築いたグレッグ・ノーマン...彼はアップライトで大きなスイングアークからの飛距離を武器に,世界で89勝を挙げている。

彼のスイングは一見、腕を出来るだけ大きく使って振り回しているように見えるのだが、彼が注意しているのは「バックスイングで右のポケットを引くこと」というのが面白い。
今の若手の世界一線のプロには、腰をあまり積極的に回そうとしないで、上体との捻転差を大きくして飛ばそうというようなスイングが結構多いのに、ノーマンは積極的に腰を回せという。

この「右ポケットを引く」というのは、手よりも右腰を回転させてバックスイングをする、ということ。
ただし、ノーマンは「そうすればに右膝はトップまで動かさないで済むから、スエーしないし上体も捻転出来る」と言っている...「右のポケットを引く」とは、「右膝を伸ばして腰を右に回す」事では絶対にないことが大事な所。

我々凡ゴルファーは、手を意識してバックスイングしようとすれば、肩が回ってなくても左肘をちょいと曲げて手だけをトップの位置まで上げて、それで充分と思ってスイングしてしまう。
「左肩を回せ」という意識は、ボールを良く見ようとする自分のあごが邪魔になると,左肩を下げるか、上体を起こして左肩の通り道を作ろうとしてしまう。

それに対抗して、「左肩を回せ」ではなく「右肩を引け」という言葉もあるが、右肩を引く意識が強くなると右膝を伸ばして(身体を起こして)右に回ろうという動きになりやすい。

そこで、この「右ポケットを引く」という動き。
やってみると、アドレスの前傾姿勢を保ったまま右腰を引く動きになる。
そこで右膝をそのまま保つ意識でいれば(びくとも動かさないというより,角度を保って少し回転はする感じ)、右腰が入り、肩がいつもより楽に多く捻転出来るのに気がつくだろう。
自分的には、単に「右腰を回す」とか「右腰を入れる」という言葉より、「右ポケットを引く」という言葉の方がアドレスの姿勢を保ったままで右腰が回る感じで、いい感じで大きなトップが作れる。
当然こういう感じになった時には、ボールも掴まり飛距離も出る。

特に、「今日はトップが浅いなあ」とか、「今日は身体が上手く回らないなあ」なんて時にこの言葉を思い出すといい。
寒い日の厚着のゴルフの時にも、この言葉きっと「役に立つ」。

もうひとつ。
バックスイングをあれこれと考えて迷路に踏み込んでしまったような時には、きっかけに右ポケットを引いてみると、簡単に始動出来るのでやってみたらいい。

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「ワッグルがクセになってはいけない、筋肉をほんの少しリラックス出来ればいいのだ」..,ベン・ホーガン。

スイングの準備運動、あるいは予備運動ともいわれる「ワッグル」。
これは本来緊張で強ばった筋肉をリラックスさせ、精神を集中させることが出来る、とされているけれど本当だろうか?

1回か2回、軽くクラブヘッドを動かす程度だったら、それは判る。
しかし、今まで沢山のアマチュアゴルファーを見て来た限りでは、長いワッグルをする人間に上手い人は居なかったし、そのスイングを成功させた人は極めて少なかった。

ティーグランドで、思っているより緊張してしまった筋肉をほぐして、スイングをスムーズにしたいなら、一度か二度ヘッドを動かすくらいで充分だろう。
それが2回3回4回とクラブを動かしていると、むしろ逆にどんどん腕に力が入って来て、ますます緊張してしまうんじゃないだろうか。
そうしてあげくの果てにミスショッットをして、次にはますますワッグルが長くなる...

こうしてワッグルが長く数が多くなったゴルファーは、気がつかないうちに「酷いスロープレーヤー」というレッテルが貼られてしまうだろう。
...それにただのスロープレーヤーというだけではなく、もっと悪い評判もつく。

先日のラウンドの時に、前の組で2サムで回っていたカップルの男がそういう酷いワッグルをしていた。
プレーが遅くて待ち待ちのラウンドだったので、どうしても前の組のショットを見る機会が多くなった。
その時にまずH氏が「あいつの打つのを見ていると気持ちが悪くなる。」と言い出した。
そのうちにY氏が「本当に見ていると気持ちが悪くなる」と言って、顔を背けるようになった。
見ると、その男はアドレスに入ってから、神経質にボールにヘッドを合わせてから何回もワッグルを繰り返している。
思わず回数を数える...1、2、3、4、5、6、7...まだ打たない...8、9、今度は少し大きくヘッドを動かしたので、「やっと打つか」と思ったらそれがフェイントで、また、1、2、3、4、5、一度止まってから目標方向を見て、また1、2、3、4、5...馬鹿らしくなって数えるのをやめようと思ったら...ひょい、とワッグルに関係ない軌道でクラブを振り上げて打った...スライスでボールは情けなく右に飛んで行った。
それを毎回繰り返す。
確かに見ていると、まずイライラと腹が立って来て、そのうちに気持ちが悪くなってくる...まるで吐き気を催すような感じだ。

前に「天下の暴論」で描いた「7秒ルール」を思い出して欲しい。
ワッグルは、クセになるほどやらなくていい。
やってもほんの1.2回...雑念が入る前にスイングを始めて打つべきだ。
それでなくてもアドレスに入って7秒以上経てば、頭には雑念が湧いて来て、身体には力が入って緊張し、ナイスショットの確率はどんどん落ちてくるんだから。

そうじゃないと、ただのスロープレーヤーでも嫌われるのに、その上「あいつのスイングは、見ると気持ちが悪い」なんて最低の言われようのゴルファーになってしまうぞ。

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「肩を回したかったら、首を右にひねればいい」...ジャック・ニクラス。

有名なジャック・ニクラスの「チンバック」のことだけれど、ニクラス自身は「スイングの始動の『きっかけ』ともなり、これによって、肩が充分に回転出来る」としている。

この「チンバック」は、スイング開始の前に「あらかじめ首を右に回しておく」と言う動きだけれど、日本語では「首を回す」とか「首を引く」とか「首をひねる』とか表現されている。
要するにバックスイングで回転して行く左肩の邪魔にならないように、あらかじめ首を動かして左肩の通り道をあけておくわけだ。

よく言われている「ボールを見ろ!」とか、「ボールから目を離すな!」とか、「ヘッドアップするな」なんていう「スイングする時の注意事項」をしっかり守ろうとしていると、よっぽど首の長い人でもない限り左肩は回転途中で自分のあごにぶつかって止まってしまう。
それでは本当は肩は45度も回っていない。
ではどうするかというと、左肩を下に下げてもっと肩を回そうとするか、あごにぶつかった所で肩は止まって左肘を曲げる事によって「手だけ」が上がって行く。

欧米人の首の長い人ならボールを見ながらでも左肩は充分に回って行くかも知れないが、普通の日本人ならボールをしっかり見ながら肩を回すことは無理だということ。
それを防ぐには「ボールはぼんやり見えりゃあいい」なんて気持ちで、あごを上げて肩を通す道を作るか、ニクラスのように右に首を回しておいて肩を回りやすくしてやるしかない。

実際にアゴを右に動かしてみると、今迄よりも意外に簡単に左肩が回って行くのに驚く。
そして打ってみるといつもよりずっと「ボールがつかまる」感じを体験出来る。
ただ、多くの人は今迄よりもボールが「つかまり過ぎて、飛ぶんだけれど左に引っ掛けるボールばかり出やすい」状態になりやすい。
(こうなる人は普段から体を開いてインパクトしている人で、「体を開かないでインパクトする」イメージで振るとつかまって引っかからないボールが打てる様になる。)
この「つかまる」感じというのはゴルフスイングにとって大事な事だし、実に気持ちが良いものだ。
しかし、ある範囲にボールを打ち出す為には、やはり地味にしっかり練習してその感覚を自分のものにしなくてはならない。
...簡単な動きなんだけど深いのだ、これが。

しかし、このチンバックが誰にも簡単に役に立つワンポイントになる、って時がある。
それが、「寒い冬の厚着のゴルフ」の時。
普通のスイングをするにも、寒さ対策の厚着をし過ぎて身体が全然回らない、なんて感じる時だ。
ちょっと素振りをしてみて、「うわっ!バックスイングがあがらない」「体が回らない」なんて時に、バックスイングの最初にちょっと首を右にひねっておく。
すると、意外にあっさりと肩が回って手が上がるのに驚くはずだ。
勿論、「両目でボールをしっかり見る」なんて感覚は捨てて、「目の端っこにボールが見えてりゃあいい」っていう感じでスイングする。

ポイントは「右に体重移動」なんて考えないこと。
多分、ニクラスに感謝することになる。




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