ゴルフの名言勝手に解釈  (渡辺隆司のゴルフブログ)

過去から今に伝わるゴルフの「名言・格言」を、勝手な解釈で描いて行きます。 読んだ結果、多分、ゴルフが上手くはなりません。 でも、ちょっと良いゴルファーにはなれるか、と。 もちろん責任持ちませんが。 (イラストの無断使用はしないで下さい)

カテゴリ: ゴルフの名言勝手に解釈

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「本心からでないのなら、紳士のふりをして無理に同情の意を表さなくても良い」...ピーター・ドーバレイナー。
ピーター・ドーバレイナーは、イギリスの評論家。

そもそもゴルフは紳士のゲームなんだから、相手の思いがけない不運に対しては、決してそれを自分の幸運として喜んだりせずに、心からの同情の意を表して相手を慰め「なければならない」ものらしい。

そんな事を特別に思っていなくても、一緒に回るゴルファーの素晴らしいショットが想像もしなかったアンラッキーによって、とんでもない結果になる、なんて事はよく体験する事だろう。
そう言う場合は我々だって心から同情して、「アンラッキーでしたねえ」なんて声をかけるだろう。
自分でもその当事者になったら、「運が悪いですねえ」なんて声をかけられれば、自分のナイスショットがアンラッキーによって酷い結果になってしまったという事を認めてもらえたとして、少しは怒りや嘆きが収まるだろう。

が、もし相手が永久スクラッチのライバルで、ここのところ負け続けていた場合...本心から同情するだろうか(笑)。
思いっきり喜びの笑いをこらえながら(吹き出しそうになるのを我慢して)、出来るだけ嘘っぽい神妙な顔をして、「ドンマイドンマイ、アンラッキーだったなあ」なんてもっともらしく慰めて「やる」だろう,,,その内心では「ゴルフの神様は俺をまだ見放してはいなかった」なんて感謝しながら。

もし握っている相手だったらどうだろうか。
そんなアンラッキーな目にあった相手に、なるべくその痛手にじっくりと塩を塗り込むように「狙いは良かったんだけど、ゴルフの神様が上手い人に試練を与えてくれたのかなあ...」とか、「ちょっと腰が早く開いたかなあ、惜しかったですね」とか言ったりして。
同情のふりをして、相手を怒らせるか混乱させる訳だ。

...そんな風に考えると、素直に本心から同情する時というのは、意外に少ないのではないか。

我々のゴルフは、その回数があまり多くはないだけに運不運は結構偏る。
運が悪いときは、そんなアンラッキーな出来事が続く事が多い...我々のゴルフでは決して運不運は同じ量にはならないもの。
そんな、いつものようなアンラッキーが続いた時に、いつも同じような心の全くこもっていない紳士ぶった「バッドラック!」とか「アンラッキー」だとか、「運が悪かったですね」なんて同情の言葉は要らない。
自分じゃアンラッキーが普通だと思っているんだから...それを嘆くのもゴルフの楽しみのうちだし、たまにあるラッキーは期待してないから一層嬉しいんだし。

だから、提案する。
あまり、軽く同情の言葉を言うのはよそう。
まして、心から思っていないなら黙っているのが一番。
言葉にしなくても、黙って一緒にボールを探す...アンラッキーに出会った人にはそれが一番嬉しいものだ。

この言葉は、紳士のゲームの実情をイギリス紳士が嘆いている言葉。
イギリスの「紳士」同士でさえそうなんだから...

紳士生まれじゃないゴルファーは、紳士ぶる行為より親身な行動だ。
口先だけよりは、心意気、だよね...我々は。

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「結局、ゴルフに一番向いていないのは、お気楽なロマンチストだ。」...バーナード・ダーウィン。

...今まで、何度も「ショットの前にはいいイメージを持て!」とか、「ボールがピンに向かって飛んで行くイメージを持て」とかいう「ゴルフの名言」を書いてきたのに、今度はまるで反対の言葉だ。

「おいおい、いったいどっちの言う事が正しいんだ?」なんて声が聞こえてきそうだ。

この言葉、摂津茂和氏は「詩人的気質の者は、ゴルフに不適」と書いている。
「詩人的な気質」も「お気楽なロマンチスト」も同じ意味。
つまり、「お気楽な夢想家」とでも言えるようなゴルファーの考え方を戒めているのだが、「ショットを打つ前に持つべきいいイメージ」と「お気楽な夢想家が持つイメージ」の違いがわかるだろうか?

ショットの前に持つべき「良いイメージ」とは、かって「自分がする事が出来たベストショットのイメージ」を思い浮かべる、ということ。
それに対して「お気楽な夢想家のイメージ」というのは、例えば「テレビで見た超一流プロのショットのイメージ」を思い浮かべたりする事。

自分に経験のあるベストショットをイメージするという事は、その時の身体の動きや気持ちの持ち方、ヘッドの走り、ボールの感触などを思い出す事で、その時の良いスイングを再現しようと言う方向に働く。

それに対する「夢想家のイメージ」は、テレビで見ただけとか、雑誌で読んだだけのスーパースターのスーパーショットを、自分も打ちたいという願望・夢想だけで頭に浮かべている。
それは、自分のゴルフの実力に何の関係も無く...裏付けの無い技術と、経験の無い運動能力でそれを再現しようなんて言うのは、ただの愚か者の愚行とでもいうもの。
そういう考え方のものは、いつまでも愚かな失敗を繰り返して反省せず、ゴルフを上達するという事に最も向いていない、とダーウィンは言うのだ。

とはいえ、思い返してみると自分ではそんな事はしょっちゅうやっている事...とんでもないライから、プロじゃ絶対にやらないような「お馬鹿ショット」を繰り返し...それでもたまに、そんなトンでもショットが上手く行くから面白いなんて思ったりしている。
「良いイメージを持て」なんて言われて、自分のベストショットなんかを頭に浮かべるはずも無く、昨日見たフレッド・カプルスのパワーフェードを打ってやろう、とかT・ワトソンばりの切れのあるティーショットを、なんて気持ちで打つ方が圧倒的に多い。

つまり、俺自身こそ最もゴルフに向いていない「お気楽ロマンチスト」じゃないだろか...
そう、残り250ヤード、ラフに入ったボールを池越えでグリーン狙い、なんて状況だったら、「池に入れても4オン出来るし、上手く行けばイーグルパット打てるし...」なんて事考えて、馬鹿なショット打つのは自分だし(笑)。
(それも10回失敗したことは忘れて,たった1回成功した事だけ覚えている)
まあ、たとえゴルフに向いていなくても、それはそれなりにゴルフを楽しめるんだからいいじゃありませんか...なんて開き直ってもしょうがないんだが。

ともかく
この言葉、「ゴルフを追求する人」は、絶対に「お気楽なロマンチストになってはいけません。」

は、多分正しい。


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「ゴルフは、左手のゲームでもなく、右手のゲームでもなく、ツーハンデッドゲームなのだ。」...ヘンリー・コットン。

今回は当たり前と言えば当たり前過ぎる言葉。
つまり、ゴルフは右手や左手ではなく「両手」のゲームである、ということをヘンリー・コットンが「わざわざ」言っている。
当たり前の話である...体に障害のある人ではない限り、誰もが両手でクラブを握ってゴルフをプレーしているんだから。

しかしこの言葉の前には、誰もが知っている大前提があって、その上でコットンはこう言っているのだ。
それは、ゴルフでのトラブルの一番の原因は「利き腕が邪魔をする」ということ。
右利きの人ならば、力も感覚も右腕の方が圧倒的に優れている(左利きの人は左手)。
心の繊細な動きに、利き腕と言うのは信じられないくらい微妙に反応してくれるのだ...それはまるで心の動きにオートマチックに繋がった機械の様に。

ところがそれこそがゴルフにおいては、自分の表面上希望する整然とした動きとは違う、心の奥のマイナスの感覚...恐怖や焦り、不安や興奮などの心の奥底の動揺に従って勝手に動いてしまい、正確で安定した再現性の高いスイングをさせない原因になってしまうのだ。
だから古今のレッスン書は、同じように口を揃えて「(勝手に暴れてしまう右手に任せないで)左手主導のスイングを」と書いている訳だ。
この「左手主導のスイング」は、それが出来るなら決して間違いではない正しい事実だが、実際には「利き腕ではない左手が弱すぎて右手の暴走を押さえることは出来ない」とコットンは言っている。

彼の理想のスイングは、「暴れる右手を押さえてなおかつコントロールできるほどに左手を鍛え、両手の力を均衡させた上で、さらに右手のパワーでボールを強打する」というもの。
実際に過去から現代まで、プロアマ問わず多くの著名なゴルファーが、左手を懸命に鍛えて結果を残した。

その左手を鍛えるために、ヘンリー・コットンは左手だけで2時間ボールを打ったという。
それほどの練習はとても我々には無理だけど、普通のゴルファーだって折に触れて意識して左手を使うようにすれば、それぞれのゴルフスイングに必ず良い結果を残すだろうと彼は言っている。

どうだろう。
仕事の合間にでも、ちょっと左手でその辺の重いものを持って上げ下げしたり、ちょっと歩く時にも左手に何かを持って動かしながら歩く、なんてことを実行したら。
外を歩く時には必ず重いものを持つように決めて実行し、結果を残したアマチュアゴルファーもいるというし。
左手を鍛えれば鍛えるだけ、右手を使って思い切り振ってもボールが暴れなくなるというんだから、これから常にその事を考えているだけで飛距離も正確さも手に入る...お金をかけずにゴルフが上達する一番の方法じゃないか?

凄く地味なこの言葉。
案外深い。


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「アドレスする時に、一つのことだけ考えた時はいいショットが出来る。二つ考えた時にはミスをする。」・・・ジャック・バーク。

思い当たることはないだろうか?
「今日はあれにだけ気をつけよう」とか、「今日はこれで行く」と決めていて、それがストレートに実行出来た時には、リズムも良くなり、歯切れのいいショットとスムーズな進行で気持ちのよいラウンドになった経験はないだろうか?

逆に「こうしよう」と決めてスタートしたのに、アドレスに入ると「いや、あっちの方を試した方が良かったのでは」とか、「あれだけじゃなくて、これとこれにも気をつけよう」「前にはあれをやって失敗したんだよな..」なんて考えが次々に出て来た時には、なにをやってもちぐはぐで気持ちの悪いラウンドになってしまった...誰でも覚えがあるだろう?

前者の場合は、アドレスに入るのに迷いがなく、自然にプレーも速くなり、余裕が出来て気持ちの落ち着いたラウンドになる。
後者の場合は、結局アドレスに入った後に迷いが出て、やたらチェックポイントが増えたり反省したりでプレーは遅くなり、時間がかかるのに余裕はなくなり焦りが顔を出す。

以前に描いた、「脳に不純(マイナス)な情報が発生する前に打つ」という「7秒ルール」は、一つのことを考えるだけでなくては実行不可能だろう。
むしろ、アドレスに入る前に心を一つだけ決めて、アドレスに入ったらなにも考えずに打つ、なんて事の方が「7秒ルール」を実行するポイントだろうか。

ゴルフというのは、「景色」とそれに向き合った時の「心理の変化」が複雑で新鮮で、それに対して色々と考えることが最大の楽しみとも言えるんだけど、その「考える時」というのはアドレスに入った後では絶対にない。
ボールをセットする前に、既に心を決めておかなければいけない。
攻め方のイメージは、ティーグランドに立った瞬間に「決断」する。
その結果の、攻め方や作戦の変更や確認、失敗の反省や後悔、ラッキーに対する感謝や、アンラッキーに対する腹立ちや怒り、その他諸々の愚痴も泣き言も全部、打ち終わってから次に打つまでに何十回も繰り返せるほど時間があるのがゴルフだ。

だから少なくても、次に自分が打つ順番が来るまでには、それらを全て終わらせておいて、自分の番になったら一つだけやるべきことを決めて、「7秒以内」に打てばいい。


アドレスに入った時迄二つも三つも考えているような奴は、そのゴルフ場の貧乏神に取り憑かれてしまって、優しいゴルフの女神さんには絶対に出会えないゴルファーだ。

可哀想だけれど、それは自業自得。
優柔不断でちゃんと決断出来ない奴なんぞ、ずっと愚図でのろまな貧乏神と遊んでいるのがお似合いだって事(笑)。


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「ズボンの右ポケットを引け」...グレッグ・ノーマン。

タイガー・ウッズ登場の前に,一時代を築いたグレッグ・ノーマン...彼はアップライトで大きなスイングアークからの飛距離を武器に,世界で89勝を挙げている。

彼のスイングは一見、腕を出来るだけ大きく使って振り回しているように見えるのだが、彼が注意しているのは「バックスイングで右のポケットを引くこと」というのが面白い。
今の若手の世界一線のプロには、腰をあまり積極的に回そうとしないで、上体との捻転差を大きくして飛ばそうというようなスイングが結構多いのに、ノーマンは積極的に腰を回せという。

この「右ポケットを引く」というのは、手よりも右腰を回転させてバックスイングをする、ということ。
ただし、ノーマンは「そうすればに右膝はトップまで動かさないで済むから、スエーしないし上体も捻転出来る」と言っている...「右のポケットを引く」とは、「右膝を伸ばして腰を右に回す」事では絶対にないことが大事な所。

我々凡ゴルファーは、手を意識してバックスイングしようとすれば、肩が回ってなくても左肘をちょいと曲げて手だけをトップの位置まで上げて、それで充分と思ってスイングしてしまう。
「左肩を回せ」という意識は、ボールを良く見ようとする自分のあごが邪魔になると,左肩を下げるか、上体を起こして左肩の通り道を作ろうとしてしまう。

それに対抗して、「左肩を回せ」ではなく「右肩を引け」という言葉もあるが、右肩を引く意識が強くなると右膝を伸ばして(身体を起こして)右に回ろうという動きになりやすい。

そこで、この「右ポケットを引く」という動き。
やってみると、アドレスの前傾姿勢を保ったまま右腰を引く動きになる。
そこで右膝をそのまま保つ意識でいれば(びくとも動かさないというより,角度を保って少し回転はする感じ)、右腰が入り、肩がいつもより楽に多く捻転出来るのに気がつくだろう。
自分的には、単に「右腰を回す」とか「右腰を入れる」という言葉より、「右ポケットを引く」という言葉の方がアドレスの姿勢を保ったままで右腰が回る感じで、いい感じで大きなトップが作れる。
当然こういう感じになった時には、ボールも掴まり飛距離も出る。

特に、「今日はトップが浅いなあ」とか、「今日は身体が上手く回らないなあ」なんて時にこの言葉を思い出すといい。
寒い日の厚着のゴルフの時にも、この言葉きっと「役に立つ」。

もうひとつ。
バックスイングをあれこれと考えて迷路に踏み込んでしまったような時には、きっかけに右ポケットを引いてみると、簡単に始動出来るのでやってみたらいい。

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「肩を回したかったら、首を右にひねればいい」...ジャック・ニクラス。

有名なジャック・ニクラスの「チンバック」のことだけれど、ニクラス自身は「スイングの始動の『きっかけ』ともなり、これによって、肩が充分に回転出来る」としている。

この「チンバック」は、スイング開始の前に「あらかじめ首を右に回しておく」と言う動きだけれど、日本語では「首を回す」とか「首を引く」とか「首をひねる』とか表現されている。
要するにバックスイングで回転して行く左肩の邪魔にならないように、あらかじめ首を動かして左肩の通り道をあけておくわけだ。

よく言われている「ボールを見ろ!」とか、「ボールから目を離すな!」とか、「ヘッドアップするな」なんていう「スイングする時の注意事項」をしっかり守ろうとしていると、よっぽど首の長い人でもない限り左肩は回転途中で自分のあごにぶつかって止まってしまう。
それでは本当は肩は45度も回っていない。
ではどうするかというと、左肩を下に下げてもっと肩を回そうとするか、あごにぶつかった所で肩は止まって左肘を曲げる事によって「手だけ」が上がって行く。

欧米人の首の長い人ならボールを見ながらでも左肩は充分に回って行くかも知れないが、普通の日本人ならボールをしっかり見ながら肩を回すことは無理だということ。
それを防ぐには「ボールはぼんやり見えりゃあいい」なんて気持ちで、あごを上げて肩を通す道を作るか、ニクラスのように右に首を回しておいて肩を回りやすくしてやるしかない。

実際にアゴを右に動かしてみると、今迄よりも意外に簡単に左肩が回って行くのに驚く。
そして打ってみるといつもよりずっと「ボールがつかまる」感じを体験出来る。
ただ、多くの人は今迄よりもボールが「つかまり過ぎて、飛ぶんだけれど左に引っ掛けるボールばかり出やすい」状態になりやすい。
(こうなる人は普段から体を開いてインパクトしている人で、「体を開かないでインパクトする」イメージで振るとつかまって引っかからないボールが打てる様になる。)
この「つかまる」感じというのはゴルフスイングにとって大事な事だし、実に気持ちが良いものだ。
しかし、ある範囲にボールを打ち出す為には、やはり地味にしっかり練習してその感覚を自分のものにしなくてはならない。
...簡単な動きなんだけど深いのだ、これが。

しかし、このチンバックが誰にも簡単に役に立つワンポイントになる、って時がある。
それが、「寒い冬の厚着のゴルフ」の時。
普通のスイングをするにも、寒さ対策の厚着をし過ぎて身体が全然回らない、なんて感じる時だ。
ちょっと素振りをしてみて、「うわっ!バックスイングがあがらない」「体が回らない」なんて時に、バックスイングの最初にちょっと首を右にひねっておく。
すると、意外にあっさりと肩が回って手が上がるのに驚くはずだ。
勿論、「両目でボールをしっかり見る」なんて感覚は捨てて、「目の端っこにボールが見えてりゃあいい」っていう感じでスイングする。

ポイントは「右に体重移動」なんて考えないこと。
多分、ニクラスに感謝することになる。




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「トップで右肘を身体から離している上手いゴルファーはいない」...ジーン・サラゼン。

今では古い化石のように思われている、聞き飽きたような名言だ。
「だって、ニクラウスのように明らかにトップで右肘が浮いていても、あれだけの実績を残したゴルファーがいるじゃないか。」
「今では、右肘は身体の前傾の角度と平行で良いと言われている。」
なんて反論が出るだろう。
確かに、ちょっと前までは右手は「出前持ちのように」なんてよく言われたけれど、今ではそんな事言う人もいない。

なぜそうなったかを考えてみると、この名言はパーシモンヘッドのドライバーの時代のもの。
...右肘を身体につけたトップだと、ダウンからインパクトにかけて手首のコックを使いやすい。
するとインパクトでヘッドスピードが上がり、かつインサイドから振りやすいので掴まったボールが打てる...つまりパーシモンで掴まった強いボールを打つには、最適の方法だった。
しかし、ヘッドが倍以上大きく、またシャフトの長さも長くなった今のチタンヘッドの時代には、このようにコックを使ってヘッドスピードを上げようとすれば、慣性モーメントが大き過ぎてインパクトゾーンでヘッドが素直にターンせずに、逆に球筋が乱れてしまう結果となりやすい。
今のドライバーに適したスイングは、コックを使わずに出来るだけ素直にインパクトゾーンを通過させる...ヘッドの無駄な挙動をさせずに振り切る事と言われている。

勿論フライングエルボーが良い訳ではなく、右肘を自由に暴れさせればクラブベッドはスイングプレーンから大きく外れて、とんでもないボールが出てしまう。
右肘を身体につけないで、しかし少し離した方がスムーズなスイングになるというわけだ。

ただ、今の大型ヘッドのドライバーを使っている方々、何時も良い球が打てているだろうか?
ちゃんと飛びも方向も、満足しているだろうか?

もし、「ボールが掴まらない」「振り切れない」なんて思っている人がいたら、騙されたと思ってこの名言のように右肘を身体につけたトップを作ってみよう。
(右の脇にハンカチを挟んでスイングしてみると良い)
右肘が身体から離れないような意識でスイング出来ると、意外にボールが掴まるのにビックリするだろう...スイングプレーンが小さくなったような気がするだろうけれど、左手を伸ばしていればスイングプレーンは変わらない。
スライサーはフックが打てるかもしれない...右肘が身体についたトップからだと、インサイドから振りやすくなるのだ。
飛距離が出るかもしれない...右肘を身体につけたトップからだと、タメが作りやすくなってヘッドスピードが上がるのだ。

これは、アイアンでも言える。
「ボールが掴まらない」という時には、まず意識してスイング中右肘を身体につけておくようなイメージで振ると、ボールが掴まるはずだ(特にロング、ミドルアイアン)。
ただし、左に行きやすくはなるけれど。

ポイントは右肘を身体につけても、左手は伸ばしておいて曲げない事(曲げない意識だけでもかなり違って来るぞ)。

確かに、化石のようなパーシモン時代の名言だけど、その理由を考えれば今の時代のスイングにだって、ケースによっては生かせる所はある、という話。

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「ゴルフは科学ではなく芸術である」...アーネスト・ジョーンズ。

アーネスト・ジョーンズは、戦争で片足を失いながらもゴルフの練習を初め、コースを72で回るようになり「Swinging into Golf」という本を出版したゴルファー。

「かってに解釈」だから書くんだけれど、ゴルフは芸術だろうか?
...現代のゴルフやゴルフスイングは「科学」で扱われている部分が殆どだろう。
いわく「合理的なスイング」、いわく「理にかなった動き」、いわく「人間の身体に無理をさせない動き」等々...
確かに、人間の身体の動きとクラブやボールの動きを分析して、「合理的」なスイングを見つけて練習をすれば進歩は速い。
研究熱心なゴルフコーチがいる学生ゴルフは、あっという間に皆同じような奇麗なスイングを身につけ、よく飛ばすようになり、わずかな時間でハンデ5下の腕になって行く。
そういう学生がアマチュアの試合を席巻し、やがてプロになって実績を残して行く。
プロの試合は、皆無駄のない機械的なスイングをするプロばかりになり、年齢の若い選手が中心になって優勝争いをするようになる。
テレビに映る選手は、服の色や体型や帽子で見分けられるだけ...スイングを見ても誰が誰だか判らない。
かくして、ゴルフは科学的なゴルフを実践して、機械的なスイングをするゴルファーの単なる競技会となって...

全然面白くなくなって行く。

以前の、体型の違いや体力の違いや、プレーしていたゴルフ場の違いや、収入のハンデを克服するためや、前にやっていたスポーツを生かすために...などで、独学で上達して行ったゴルファー達の個性溢れるスイングに比べて、まるで意志のないロボット達の競技会に見えてしまうのだ。

本当は、みんな科学的で合理的なスイングを身につければ、回り道をする事無く最短距離でゴルフが上達出来るのはよくわかっている。
でも自分は、悪戦苦闘して試行錯誤を繰り返し、遥か遠くを回り道しながらたどり着いた、個性溢れるスイングをするゴルファー達が好きなのだ。
特に、そんな風な背景が見えるようなスイングをするプロゴルファーを見つけると、つい自分を投影して応援してしまう。
そして、そんなプロのスイングに、自分は磨き上げた「芸術」を感じてしまう。

昔から、ゴルフのスイングは再現性が高いものが良い、と言われて来た。
だからその人にとって再現性の高いスイングならば、どんなに人から見て珍妙であってもその人の「アートとしてのスイング」は、「あり」だと思う。
ただ、絶対的な飛距離を求めようとすると、スイングというものは「科学」に頼らなければその人の最大値にはたどり着かないだろう。
つまり、道は二つある。
「飛ばし」も入れた「個人の最大能力」を追求する「科学としてのゴルフ」か、「最大値」を追求しないで、「技」と「気持ち」と「イメージ」で遊ぶ「芸術としてのゴルフ」。

それでは、自分のゴルフは「科学」と「芸術」のどっちを優先させるか?
考えるのは、最低限の「科学」
(どんなアーティスティックな変則スイングでも、ボールを正確に当てる為には科学的・合理的なインパクトゾーンのヘッドの動きが必要)をベースに、「情熱」と「妄想」と「快感」の追求を目指すスコア無視の変態アートお楽しみゴルフ。
現代道具でも、パーシモンでもヒッコリーでも、一球一球自分の芸術(アート)を追求して行って、終わったら「ああ、面白かった」「楽しかった」と言えるゴルフだ。



 

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「ゴルフでも、攻撃が最大の防御法である」...ヘンリー・ロングハースト。

ピンと来ないだろう。

例えば、最終18番のロングホール。
ボギーでも、トータルスコアで自己ベストの更新になる。
グリーン手前に池があるが、ドライバーでナイスショットが出来れば十分2オンの可能性がある。
さて、どう考えるか。

普通なら、3オンして3パットでも自己ベスト更新なんだから、「無理をしないでいい」と考えるだろう。
実際、そんな場面に出くわしたら大部分のゴルファーはそう考えるはずだ。
つまり「防御」を選ぶ。
ティーショットは無理しなくていいと、ドライバーで軽く打つか、フェアウェイウッドかユーティリティーで打つ。
軽く打ったつもりのドライバーは、スイングが緩んでチーピンやどスライスになりやすい...フェアウェイウッドやユーティリティークラブでのティーショットは、なぜか力が入ってミスしやすい。
それがまあまあ上手くいったとして、刻んで3打目の池越えアプローチ。
「守る」つもりのアプローチは、「大事に行こう」という思いが強過ぎるとダフりやすい。
「ピンを狙わなくても、3パットでもいい」と思って打つショットは、逃げ過ぎてピント逆サイドの難しい場所に乗りやすい。
なんとか3オンして、パット....「3パットでもいい」と思うパットは、ファーストパットがカップに対して優しい場所に打てない限り、3パット目に大きなプレッシャーがかかってくる事になる。
下りやサイドの50センチなんかを残すと、まず入らなくなるだろう。

対して、「攻めよう」と決めた場合。
自己ベストを1打更新じゃなくて、一気に2打でも3打でも更新してしまおう、と。
ティーショットはフルショット。
勿論OBを打ったんじゃあ問題外だけど、フェアウェイに行けば2オン狙い、曲がれば切り替えて3オン狙いで行こうと考える。
フェアウェイの場合、池越えの2オン狙い...たとえ池に入っても、ドロップして乗せれば4オン。
これなら2パットでもボギー。
やむを得ず3オン狙いの場合、ピンを狙って行く。
気持ちが逃げながらグリーンを狙うのと、攻めながらピンを狙うのは集中力の違いで、攻めた方がグリーンにオンする成功率は高いだろう。
パットも同じ...我々普通のクラスの実力では、明らかに「入れに行った」パットの方がカップに寄る。

これは勿論独断と偏見の見方ではあるが、「攻撃」した場合と「防御」に気持ちが行った場合とでの成功率は8対2くらいで攻撃した方が結果が上手くいく。
実体験での感想だけれど、攻撃する場合は力が多少無くても上手くいく場合が多い(結果オーライとも言う)のに対して、防御をイメージ通りにやり遂げるにはかなり上の実力が無くてはいけない。
普通のアベレージゴルファーの実力の場合、「ボギーで良い」と思った途端に「ダボになる」事の方が多くなる。
「パー」を狙いにいったから、やっと「ボギー」がとれるのだ。
攻めて結果を出すより、守って結果を残す方が数段難しいという事を知るべき。

ただし、「攻める」と言っても、「根拠の無い自信」と「単なる妄想のイメージ」による無謀な突撃が良い、と言っている訳ではないのであしからず。

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「いいゴルファーはフィニッシュでよろけない」・・・バイロン・ネルソン。

これはほとんどのゴルファーが経験しているはずだ。
上手く振り切れてヘッドが走った時には、フィニッシュで足がバタつかずにすんなりと立っていられる。
逆に飛ばそうとして力が入り過ぎてしまったスイングや、「なんか違う」という感覚を途中で感じたスイングの時には、フィニッシュが決まらずに身体が流れてしまう。
アベレージゴルファーでフィニッシュで動かない人は、意外に少ないのだ。
だいたい同じ形のフィニッシュになる事も滅多にないし...

特に「ドライバー」という「一番飛ばすための道具」を手にした時には、アベレージゴルファーの殆どは打ち終わったあとで、バックするか、前進するか、たたらを踏むか、踊り出すか、走り出す。
打ち終わっても、まだ打ち足りないかのようにさらに回転する人だっている...
...ドライバーという代物が、他のクラブのように「00ヤードを打つ」という「道具」ではなく、「可能な限り飛ばしたい」という欲望と願望から出来ている魔法の杖であるために、ゴルフに取り憑かれた男達が「自分の全力」や「神頼み」や「怨念」や「おまじない」の力を借りてまで振り回すのはやむを得ないともいえる。
数発のOBやロストが出たって、自己最高記録の飛距離や、ライバルを圧倒する当たりが1発でも出れば満足な男は驚くほど沢山いる...ひょっとすると世の凡ゴルファーのほぼ全員かもしれない。
そんなゴルファーにとっての、ドライバーのマン振り後のダンスは...奇麗なフィニッシュで飛ばないよりは、格好悪くてもより飛ばそうとした結果として大目に見よう。
男ってのはいくつになっても、物心ついたときから本能的に「飛ばしっこで負けたくない」と言う強迫観念の染み付いた、まるで子供みたいなもんだから。

ただし、「00ヤードを打つ」というクラブは別。
常に決められた距離を打つためには、よろけるようなフィニッシュ、あっち行ったりこっち行ったりするようなフィニッシュは厳禁だ。
特にショートアイアンの距離になる程、打ったあとにびくともしない安定したフィニッシュが絶対必要。
よっぽどのトラブルで足場が超不安定なところからのショット以外、打ち終わったあとにユラリとも動かずに、ゆっくりとボールの行方を目で追えるようなフィニッシュだ。
ポイントは「フルスイング」と言う言葉を頭から消す事。
基本「ハーフスイング」、強くても「クォータースイング」(所謂八分ショットってヤツね)でしか打たない。
ヘボと言われる我々レベルでも、ハーフショットを意識して打てばフィニッシュで乱れないで済む。

まずは我々は、「ハーフスイング」や「クォータースイング」イメージのアプローチショットやショートアイアンのスイングで、よろけないフィニッシュを体験する事から始めるとしましょうか。

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