ゴルフの名言勝手に解釈  (渡辺隆司のゴルフブログ)

過去から今に伝わるゴルフの「名言・格言」を、勝手な解釈で描いて行きます。 読んだ結果、多分、ゴルフが上手くはなりません。 でも、ちょっと良いゴルファーにはなれるか、と。 もちろん責任持ちませんが。 (イラストの無断使用はしないで下さい)

カテゴリ: ゴルフの名言勝手に解釈

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「私は為すべきことをしただけ。 あなたは私が他人の金を盗まなかったからって、私をほめますか?」...ボビ-・ジョーンズ。

「球聖」と呼ばれた、ボビー・ジョーンズの有名な言葉だ。

それは、1925年ウースター・カントリー倶楽部における全米オープン二日目、11番ホールの3打目の出来事。
2打目をフックさせて深いラフに入ったボールを、見事にリカバリーしてパーをとったように見えた。
しかし、その時ジョーンズは3打目をアドレスした時に、ほんのわずかボールが動いたからと自己申告して、1罰打を足した。
勿論、誰も見ていない、誰も気がついていない状況で、だ。
その結果、最終日無名のウィリー・マクファーレンと同スコアで並び、翌日プレーオフの末破れた。

翌日、新聞などで「ジョーンズのフェアプレー」とか「素晴らしい敗北」とか、この行為を賞賛する声が出た時に、ボビー・ジョーンズが友人に言ったという言葉がこれ。
ゴルフというゲームの一番の特徴が、「審判が居ない自己申告のゲーム」ということ。
これに従えば、このジョーンズの行為はごく当たり前の事で、彼が言う通り騒ぐ方がおかしいはず。
しかし、当時のアメリカでの新聞で讃えられる程それが「美談」と見えた訳だから、その時代のアメリカのゴルフの「常識」がどんなものだったか想像出来る。
冗談なのか本気なのかは微妙だが、当時のインチキテクニック(イカサマあるいはチョンボともいう)は大したもので、それを表した「How to rob with golf」なんて本まで出版されている程。
それには「卵を産む男」や「手の5番」やら、なんでもありのテクニックが沢山記されている。

まあ、今の日本のゴルフ界だって、どんなものか...
ジュニアの大会でのスコア改ざん、プロの試合でのスコア改ざん、「互助会」と呼ばれるマーカーとの示し合わせ...などなど、本来なら信じられない「トンでも」情報なんだけど。

ゴルフというのは不思議なもので、誰でもそのプレーを続けることで人間形成に役立つような、「忍耐」や「我慢」や「謙虚さ」や「平常心」や「思いやり」を学んで行くくせに...なぜか、競技に勝つようなゴルファーには「いやな奴」が増えて行く。
「いい人」は勝てずに「いやな奴」が勝つことが多くなって行く。
それが、こういうジョーンズのような行為をどこかで否定することで、変わって行くんじゃなければいいんだけれど。

ただ、我々へぼゴルファーは気がつかなかった時は別として、気がついて自己申告しなかったときは、絶対に良い結果にならない。
たった一打でも「ごまかした」という思いは、残りのプレーにつきまとい、後ろめたさと罪の意識でその日のゴルフをフイにしてしまう。
上がってみれば、ジョーンズと違ってそんな一打なんてほんの些細なものなのに。

我々普通の「へぼゴルファー」が、スコアは別として本当にゴルフを楽しみたいのなら、気がついた時にさっさと申告した方がいい。
85も86も、91も92も、107も108も一打で何にも変わりはない。
それなら、「気持ち良く」プレー出来る方がいい。

79と80?
89と90?
99と100?
そりゃあ一打の違いは大きいかもしれないけど、もしインチキしてのそのスコア?



...(俺の経験から言って)その後ずっと続く後悔と自己嫌悪に悩まされることになるから、この言葉を思い出してやめといた方がいい。

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「調子が良いときは、飛ばしたい所を見ている。調子が悪いときは、飛ばしたくない所を見ている」

ケン・ベンチュリー。

ケン・ベンチュリーは、ツアー14勝、メジャーは1964年に全米オープンをとっている。ほかに1956年、1960年にいずれも一打差でマスターズ優勝を逃している。

この言葉、アベレージゴルファーであっても誰でも覚えがあるはずだ。

あるホールのティーグランドに上がった時、景色がどう見えるか...
「調子が良い」、あるいは「当たっている」なんて感じている時には、「あそこに打つのがいいな」とか「あそこまでは飛ばせるから、セカンドはウェッジだな」とか「ベスポジは広いな」とか見えているはずだ。
逆に「当たらない」とか、「調子が悪い」なんて感じている日には、「あそこはOBが近いな」とか「池が効いてるな」とか、「打つ所がねえよ」とか、ボールに行って欲しくない所しか見えなくなっている。

これはゴルフの面白さ、深さと直結しているポイントなのだ。
ゴルフに人がこれほどはまり込むのは、他の多くのスポーツと違って「単なる技術の向上が、スコアとは結びつかない」ということにある。
いくら練習してスイングを作り、飛距離が出るようになり、正確さが増し、いろいろなテクニックを覚えても、それがすぐにコースでの結果につながらない。
練習場で「出来ること」と、コースで「出来ること」は違うのだ。
その原因は「景色」。
ただし、いくら景色が見えても「シミュレーションゲーム」は、やはり別物で本物のゴルフではない。

ゴルフが古来「景色のゲーム」と呼ばれるのは、その景色が呼び起こす「心理」が技術に大きく影響して、練習場ではあり得ないような結果をもたらすからだ。
はじめは練習場では問題のないショットが、本物の芝や天候や同伴競技者や、ライや手順や焦りで「こんなはずじゃあないのに」というミスになる。
その結果経験して行く、ちょっとした「恐怖」や「不安」や「迷い」が、ラウンド事に積もり積もってゴルファーの心に大きな「マイナスの記憶」を育て上げる。
...池やOBがあれば、そこに打ち込んだ悲しみや絶望の記憶。
林や崖があれば、やはりそこに打ち込んで何度も大叩きをした屈辱と怒りの記憶。
ちょっとした傾斜でダフリトップを繰り返し、練習場のようには全然当たらないという自信喪失と失意の記憶。
そうした景色の記憶が、経験を積むほど強固になって行き、マイナスの心理状態を呼び込んで行く。

調子の良い時には、フェアウェイは限りなく広く見え、トラブルを呼ぶ景色は自分の視界からは消えてしまう。
しかし、一旦調子が悪いと感じると、フェアウェイは狭く狭く見えてきて、視界のほとんどはOBの白杭とラテラルウォーターハザードの赤杭と、ウォーターハザードの黄杭で埋め尽くされる。
林は大きく聳え立ち、崖は絶壁となって迫り、クリークは大河となって荒れ狂う。

どうだろう。
今日のあなたにはフェアウェイはどんな風に見える?
もし、穏やかに美しく、ボールを打とうとするポイントが良く見えるなら、きっとあなたは調子が良い。
今日一日を、ホールの美しさだけを求めてフェアウェイを逍遙すればいい。

もし、見えるのが大きな池や、行く手を遮る林や、ボールの落ちどころに張り巡らされたOBの白杭だらけだったら、あなたは間違いなく調子が悪い(たまにコースが悪い場合もあるけど)。
そういう時は、大人しく、無謀な攻めをやめ、今日一日は試練の時と覚悟して、ポーンポーンとボールと一緒の散歩のつもりで歩き続けて行けばいい。

もちろん、調子が悪い時に意識して「飛ばしたい所を見る」ようにすれば、より悪い結果にはならない。
「飛ばしたくない所を見る」事で、いいことは一つもない。
出来るなら、打つ時には「飛ばしたくない所」は絶対に見ないことだ。

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「風を過大評価してはいけない。風が吹いたら、いつも追い風のようにスイングすればいい」...カーチス・ストレンジ。

カーチス・ストレンジは、ツアー17勝(うちメジャー2勝)。
メジャーは1988年89年の全米オープン連覇。
これはベン・ホーガン以来38年ぶりの快挙で、その後も達成したゴルファーはいない。

何よりも、あの正確性で勝負した全盛期のニック・ファルドを根負けさせたくらい、その正確なゴルフが売りだったストレンジの言葉だ。
どんなときでも、状況に左右されないショットを打っていた「コツ」はこんな所にあったのかもしれない。

ゴルフに風はつきもの...というより、野外の自然の中でやっているゲームなんだから、風のない方が不自然だろう。
ゴルフをやる限り多少の風があるのは当たり前だと考えた方がいい。
その風が、我々の頭を悩ませ、考えさせ、迷わせ、スイングに強く影響させる。

そうなる理由は、ゴルフを始めるとすぐに、あの堅いゴルフボールが何とも簡単に風に乗って、曲がり、吹き上がり、押されて行くのを経験するからだろう。
自分の打ったボールも良く曲がるものだが、風にあおられた固いゴルフボールがまるでピンポン球のように吹っ飛んで行くのは、実際にそれを見たものにしか信じられない光景だ。
横からの風には、フェアウェイを横切って反対側迄流されて行く。
追い風には、当たり損ねのボールだってなかなか地面に落ちて来ないで遠くに飛んで行く。
そして向かい風には、高く吹き上がるだけで全然飛ばない...それどころか、こちらに戻って後ろ側まで飛んで行きそうな気さえする。

これは実際のボールの性能よりも、むしろ心理的なもののスイングへの影響がプラスされて、より風に弄ばされているからでもある。

ゴルフというゲームは不思議なもので、普通の考えの「常識」がミスの元となることが殆ど。
むしろ、一番に心に浮かんだことの真逆のことやる方が正解なことが多い。
風に対しても同じ。
向かい風、というだけで本能的に風に対抗しようとして、普通のスイングより力を入れてしまう。
するとボールには余計なスピンがかかり、結果として、より風に影響される球になってしまう。
横風に対しても同じ事。
その風に対抗しようとすればするだけ、余計に風に影響されるボールを打ってしまう事になる。

向かい風に対しての正しい対処は、「余計な力を入れずに力を抜く」のだけれど、ただ向かい風に対して「力を抜け」というのは、言うのは簡単だが実際にやることは易しくない。
そのために、カーチス・ストレンジは「追い風のつもりでスイングしろ」と言っているのだ。
覚えがあるだろう、(特別強い強風の追い風は別として)追い風と感じたとたんに気持ちが楽になり、結構いいスイングが出来たこと。
「多少ミスしても追い風がボールを運んでくれる」と思えば、不安感で無駄な力が入らずに素振りのようにスムーズに振れる。
向かい風に対して追い風のように振れれば、ボールに余計なスピンがかからないためにドロンとした、風に煽られない球となって意外に飛んで行くものだ。
横風に対してだって、同じ理由で追い風と思うだけあまり風の影響を受けない球筋となる。

力ずくで対抗しようとしても、ゴルファーは絶対に風には勝てない。
力ではなく「追い風」と思う気持ちの持ち様で、風の日のゴルフを楽しもうじゃないか。

...ただ、このブログのタイトルを見れば判るように、自分は「いつもアゲンストウィンドばっかり」なんだよねえ。
追い風のときの気持ちなんてあまり長い間経験してないんで...あれって、どんな気持ちだったっけ?


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「上達したかったら、1mのパットばかり練習せよ」...アーネスト・ジョーンズ。


アーネスト・ジョーンズは、第1次大戦で負傷して右足を失いながらも、大戦後片足でパープレーでラウンドしたと言う伝説のゴルファー。
「Swinging into Golf」を1937年に出版して評判を得た。

...1mのパット。
こんなゴルフをやったことのない子供でも入れられるパットが、実はゴルフにおける全ての上達のポイントなんだと彼は言う。
1mのパットなんて、ゴルフを始めた当初はそんなに難しいなんて思わなかったはずだ。
だが、ゴルフを知るにつれ、プレーを続けるにつれ、その距離のパットの難しさを感じるようになって来たはず。
それは「入れるに十分易しく、外すに十分易しい」距離。
そしてそれは、ゴルフの特徴である「技術に精神状態が大きく影響する」プレーそのもの。
その証拠に、古今のいろいろなパットの名手が、「自分は1mのパットをいくつ外したか数えきれない」と言う意味の言葉を沢山残している。

この1mのパットを100パーセント沈める自信があれば、ゴルフのプレーは劇的に変わる。
アプローチや、ファーストパットはグリーン場の半径1m(直径2メートル)の範囲に寄せればいい。
そうだとすると、ちょっとライが悪いセカンドショットやサードショットは、無理にグリーンを狙わなくてもいい。
そうなると、ティーショットもOBやワンペナや池にさえ行かなければいい。

すると普通にボギー、パーは確実に取れるような気持ちになる。

アプローチやファーストパットのミスは、「小さなカップに、ともかく近づけなくてはいけない」というプレッシャーに身体が過剰反応して起きる。
1mのパットに自信があれば、アプローチやファーストパットは2メートルの範囲に寄せればいい「易しい」ショットと感じるために、普段と違う強いプレッシャーなんか感じなくて済むだろう。
だから、古今の名人もアーネスト・ジョーンズも、「上手くなりたかったら1mのパットの練習をしろ」と言うのだ。
 
そして、おそらく世のアベレージゴルファーも殆ど全ての人がこの言葉が正しいのを知っている。

では、何故世のアベレージゴルファーが、いつまでたってもアベレージゴルファーなのか?

答は、この練習をしないから。
理由は一つ。
「つまらない」のだ、この練習は。

1mのパットは、同じ姿勢で、殆ど動きのない運動を繰り返し繰り返し、繰り返し繰り返し.....
およそゴルフの練習でこれだけ単調なものはない。
まだ素振りの方が、体全体を使うだけまし。

普通は20回もやったら、飽きてくる。
腰も痛くなって下手すりゃギックリ腰になりかねないし、下向いているんで血圧も上がりそうだし、目が回るような気もしてくる。
フルスイングのようにスカッとした気分にもなれないし、練習での1mのパットなんて普通に入るし、どうすれば上手くなるのか・なったのかの実感もない。


このあくびの出る程単調な練習を黙々とやり続ける意志の強い人間だけが、確実に上達の道を歩き続けることが出来る。
これを耐えられない人は、上達を諦めて楽しむゴルファーで満足した方がいい。
どうだろう、皆さんは3日間でも続けられるだろうか。

...自分は無理だった(笑)。

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「フィニッシュは、クラブヘッドが行きたい所に行かせればいい」・・・ラリー・ネルソン。

ラリー・ネルソンは、飛ばないが正確なショットを武器に、米ツアー10勝(うち3勝がメジャー)、海外で5勝、チャンピオンズツアーで19勝を挙げている名ゴルファー。
特にメジャーは、1983年全米オープン、1981年、1987年に全米プロで2勝している。

「飛ばないが正確」なゴルファーの言葉としては、意表をつく言葉だ。
普通はダウンやインパクトで力が入り過ぎたり、腕で打ちに行こうとしがちなゴルファーには、「フィニッシュをイメージして、そこに振って行け」というのが適切なアドバイス、とされているのだから。

ラリー・ネルソンは、プロゴルファーとしては決定的に遅い21歳からゴルフを始めて、どのようにして速く上手くなるかをいつも考えてスイングを作り上げていった。
そういう意味では、大人になってゴルフを始めた人の苦労や、迷いや、試行錯誤の数々を一番判っているプロゴルファーともいえる。

そんな男のこの言葉には、自分の体験から来た真実がある。
彼は、フィニッシュを考えて、そこに振って行こうとすると、「いろいろな部分で力が入り過ぎたり抜け過ぎたりしてしまって、上手く行かなかった」と言う。
そこで、ダウンからインパクト・フォローにかけてボールを正しく捉えられたなら、フィニッシュはどこに収まってもいい、と考えるようになってやっとショットに正確さが備わって来たのだと。
つまりちゃんとインパクトすることが大事で、フィニッシュはどうでもいい、と考えたことで「彼は」自分のスイングで無駄な力を抜くことに成功した。

これが誰にも当てはまるかどうかは判らないが、少なくとも大人になってからゴルフを始めた人にとってや、プロやレッスンプロ(ほとんど全員が子供時代からゴルフをやって来た人)の言うことを素直に聞いているのに「行き止まり」になっている多くの凡ゴルファーにとって、新しい希望の道を示す言葉かもしれない。
大人になってから始めたゴルフは、まず頭で理屈から理解しようとする。
どんな方法がいいのか考えてから、体をそう動かそうとする。
しかし多くのプロ達は「子供の頃」からゴルフを始めている...つまり考えなくても既に身体が動くようになっている人が殆どなのだ。
だから、大人になってゴルフを始めたビギナーが「出来ない」事を実感出来ていない人が多いのだ。
まず自分が考えずに出来てしまう事を、あと付けで説明しようとする。
言い換えれば、「出来ない事を体験していない」のに、説明しようとする...そういう人の言葉は、理屈は正しくても(出来ない大人には)役にたたないことが多い。

ラリー・ネルソンの言うように、「振り抜くことが大事」なのは判った上で、「インパクトがちゃんと出来ればフィニッシュなんてどうでもいい」と考えて練習してみると、意外に力のはいらない正確なスイングが出来る...「かも」しれない。
我々大人は、身体が考えた通りに動かないのが当たり前なんだから、まずやってみたいと思ったことをやってみる程「自由」であってもいいんじゃない?
いま目の前にある壁を越えるのに、みんながいいと言う道と違う道から行ってもいいんじゃない?

もちろん自己責任だけど(笑)。


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「入れたのは自分自身だ、バンカーがあることに文句を言うな」・・・チャールズ・マクドナルド。


チャールズ・マクドナルドは、アメリカゴルフ協会(USGA)の初代副会長にして、第1回全米アマチャンピオン。
ゴルフの伝統擁護の旗手でもあり、「Play the ball as it lies.」を終生実行し、「ゴルフの精神を理解していれば、ゴルフルールは不要である」という言葉を残している。
ゴルフというゲームは審判がついていないのだから、基本的な精神を理解していればルールというものは簡単明瞭なもので足りる、ということなのだろう。

で、この言葉だ。

「なんでこんな所にバンカーがあるんだよ!」
「このバンカーはひでえなあ...ありえねえ!」
「おかしいよ、ここにバンカーがあるなんて」
「バンカーが多すぎない?」
「このバンカー砂がないよ」
「今日は砂遊びばっかり!」
...
こんな具合に文句タラタラになる人、多いんじゃないだろうか。
あるいは
「30センチ左だったら、入らなかったのに」
「もう1メートル飛んだらピンにくっついていたのに」
...

バンカーとはそういうものなのだ。
日本のコースの設計家が悪いとか、意地悪な訳じゃない。
毎年全英オープンが開かれるイギリスのリンクスコースは、誰が設計したとかじゃない「神が造ったコース」なんて言われている所が多いが、バンカーはそういう風に出来ている。
30センチの運・不運で、天国と地獄に別れるくらいに強烈に存在している。
こういうコースで、バンカーに入れたゴルファーが「こんな所にバンカーがあるのはおかしい」なんて言えやしない。
そのゴルファーが生まれる前から、そのバンカーはコースとともに存在していたのだし、それがそこにあるからゴルフコースなのだ。

なにより、ゴルフボールは自分からそんな所に飛び込まない。

ボールを動かしたのは、ゴルファー自身。
それなのに、バンカーがあることに文句を言うのは、ゴルフを否定し自分を否定することになる。



とはいえ...文句じゃないけど、毎度毎度打つたびにバンカーにしか行かないなんて、そんなゴルフのときもある。
逃げても逃げても、ボールはバンカーに飛び込み続ける。
殆どフェアウェイなんか使わずに、バンカーからバンカーを渡り歩いてグリーン横のガードバンカー。
そこでやっとバンカーから出たのに、アプローチがまたバンカーへ...なんて事だって。
「なんでバンカーばっかり...」なんて言いたくなるのもよく判る。
...でも、結局全て自分がやったこと。
ボールもバンカーも悪くない。

そんな日は、「今日は自虐的ゴルフの日なのかも」とか思って、運の悪い、ツキのない、何をやってもダメな、「可哀想な自分」のゴルフを楽しもう。
不運続きで、何をやっても「破滅的なゴルフ」で自分が堕ちて行く姿にも、それはそれなりの被虐的・倒錯的な暗い喜びがあるからさ(笑)。

 
でも、そんなゴルフに嵌って、「堕ちて行く喜び」が癖にならないように...ご用心(笑)。

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「キャディーバッグに入っているクラブの中で、大事なのは1にドライバー、2にパター、3にウェッジ」...ベン・ホーガン。

ベン・ホーガンと言えば、クール、冷徹、完全主義者などの人物評価と、メジャー9勝、もちろんグランドスラム達成...なのに1953年にはマスターズ、全米オープン、全英オープンを勝ったのに全米プロには出場しない、という変わった行動が知られている。
その間、1949年には自動車の正面衝突事故を起こして重傷を負い、再起不能と医者に見放されながらも11ヶ月後に奇跡の復活を果たす、という「鉄人」ぶりも知られている。

そんな完全主義者のホーガンの言葉、我々アベレージ凡ゴルファーにも十分通用する。
彼のほかの名言が、ちょっと上(遥か上か?)から見下ろすような言葉で、なんだか突き放したような冷たいニュアンスがある中で、この言葉は本当の本音のように聞こえる。

プロレベルの話は我々には関係ないので、自分たちの場合を考えてみると...ゴルフというのは100を切る頃からは、この言葉の通りが真実だと思えてくる。
100を切れるようになると、スコアを一番崩す要因が殆どの場合ティーショットなのだから。
セカンドをなんとか打てる場所にティーショットを打てさえすれば、次はグリーンに乗らなくても近くにはいく。
そうすれば、ピンに寄せるのは難しくてもグリーンには乗せられるし、2回に一回は2パットでボギーにはなるだろう...

でも、ティーショットがOBや池、林の奥や谷の底、なんて事になったら、グリーンに乗る迄に何打費やすことになるか判りやしない。
100切り前後から、アベレージ、シングルハンデだって、大叩きのビッグイニングを作る原因は99パーセント、ティーショットのミスなのだ。

ということで、まず我々はドライバーが2打目を打てる所に飛ぶように練習しなくてはいけない。
レッスンプロや上級者が、「ドライバーばかり練習するんじゃない」と教えてくれても、ともかくOBや林の奥に打ち込まない程度になる迄は練習しなくてはいけない。

...それからだ、パターの練習をしたり、ウェッジの練習をするのは。
そんなこと言うと、殆どの人は練習場でドライバーの練習しか出来ない事になるかもしれないけど...やるしかないでしょ(笑)。
ドライバーの練習に疲れたら、練習グリーンに行ってパターの練習をする。
練習グリーンがなかったら、ウェッジを打つ...フルショットやコントロールショット。

ほかのアイアンやウッドの練習がしたかったら、まずドライバーを安定させること。

...そんなに力の限りに振り回すのをやめたら、曲がり幅はホールの幅で収まるんじゃない?
飛ばしっこで負けたくないのは判るけどさ。


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「スコアの70パーセントは、120ヤード以内で打たれている。」

ジャック・ニクラス

確かにそうだ、と言えるだろうか?
サム・スニードは「スコアの60パーセントは、125ヤード以内で打たれている」と言っている。
納得出来る?

この二人とも、希代の名手...ゴルフの名人中の名人の言葉なのだ。
多少一般のゴルファーの腕を考慮して言ったとしても、まだ甘すぎると思う。
私自身の経験で言えば、アマチュアゴルファーのスコアの8割以上は100ヤード以内で打たれている、だ。

普通の運動神経の人が2ー3年もゴルフをすれば、大体全員ボギーオンは出来るようになるものだ。
パー4なら、2打目で乗せることは出来なくても、100ヤード以内には必ずボールは行く。
2打目で100ヤード以内にボールがないとしたら、私のように力任せにボールを引っ叩いてOBを連発するとか、ティーショットが酷く曲がって林の中や池にぶち込んでいる人の場合だ。
例えばちょっと長い400ヤードのパー4だって、150ヤードを2回打てれば3打目は100ヤード。
550ヤードのパー5だって、150ヤードを3回打てれば、4打目は100ヤード。
パー3のホールなら、グリーンの近くに行きさえすれば2オンは出来るはず。
それが乗せることが出来て2パットなら、ボギーですむ。
誰でも、90では回れるということだ。
でもアベレージゴルファーにとって、いつも90を切ることは結構難しい。

ニクラスやスニードの言葉の意味は、「だから、スコアを良くするには120ヤード以内のショットの練習をしろ」ということだが、普通のダッファーには120ヤードを必ず乗せるって言うことはかなりハードルが高い。
それより、「グリーン周りやパットの練習をもっとしろ」という意味に取った方がいいだろうと思う。

実際に自分がこの前のラウンドで叩いた二つのトリは、いずれもパー4で2打目はグリーン近くまで行っていた。
一つはそこからザックリ、トップ、ピンオーバー3パット。
一つは、バンカー越えでバンカー、ピンオーバー、3パットでいずれも7とした。
つまりアプローチの失敗と、パットの失敗。
2打の普通のショットに対して、100ヤード以内(というよりグリーン周りから)で5打!
これが我々レベルのゴルフの「普通によくある」姿だろう。
グリーンの状態や、ハザードの状態によっては、ここで8だって9だって普通にある。

我々は、本当にアプローチとパットの練習をすれば、スコアは縮まる。
普通のショットの練習より、ハーフショットやアプローチのコントロールショット、転がしやピッチエンドランの練習に練習時間の7割・8割を割いたら、確実にスコアは良くなるだろう。

問題は、そんな練習はつまらないからすぐに飽きてしまって、練習自体をやらなくなったり、練習場の環境では実際にはあまり役に立たないかもしれないということ。
練習場のマットの上ではソールが滑るためにアプローチショットでのミスが判り難く、本コースでのグリーン周りの芝から打つのは練習場よりずっと難しい。
特にサンドやアプローチウェッジではザックリやトップが出やすい。
それにコースでのグリーン周りでザックリなどは、それだけで平常心を失いパニックを起こしてしまい、ミスが連続することになりやすい。

もし「スコア」というものを重視するなら、そういう人は禁止されている訳ではないのだから、ジガーやチッパーと言った「アプローチ専用クラブ」の使用を考えてみてもいいと思う。
「使うのが恥ずかしい」と思っている人が多いクラブだけれど、練習環境に恵まれない人がそれでピンに寄るなら、ザックリトップを繰り返すよりずっといい。
ユーティリティークラブが既に一般に認知されているんだから、ジガーもチッパーも堂々と使えばいい。

我々は120ヤードなんて贅沢は言わない....60ヤード以内は、なんとか3打以内で収めたいよなあ...

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「同じリズムで歩くこと、トラブルになっても笑うこと」...リー・トレビノ。

リー・トレビノは「スーパー・メックス」と呼ばれたメキシコ系アメリカ人で、メジャー6勝、世界で89勝(うち米ツアー29勝)を誇る。
徹底したフェード打ちで、そのコントロールされた球筋と、「シルキータッチ」と讃えられた柔らかなパッティングで勝利を重ねた。

その一風変わった存在の名手の、「奥義」のような言葉がこれだ。

我々も18ホールのプレーで、覚えがあるはずだ。
調子が良く、ラッキーが続き、珍しく良いスコアが出そうな手応えを感じていると、いつの間にか歩くのが速くなり、気分が高揚し、ついには鼻歌まで出てくる。
その反対に、いい当たりが出ない、アンラッキーが続く、何をやっても上手く行かないなんて感じると、だんだん歩くのが遅くなり、しまいには足を引きずりながらノロノロと歩くようになってしまう。

ラウンド中、12番ホールを過ぎる頃には、遠目でもその歩きかたやリズムで調子が悪い人と良い人は判るようになる。
もちろん良い人は、胸を張り身体も軽そうにスッスッと歩いて行く。
悪い人は、肩を落とし、背中を丸め、足は地面から離れずに引きずりながら、ズルズルと歩いている。
こういう悪い姿勢やリズムは、悪かったものをますます悪くし、さらに酷い結果へと落ち込んで行く。

トラブルにあった時もそうだ。
普通なら、そのアンラッキーを嘆くか、ぼやくか、呪うか、怒り出す...
そうした感情が表に出ると、そのトラブルはきっとその後にさらに何重かのトラブルを呼び込むことになる。
たった1打の支払いが、3倍4倍の支払いに化けてしまう訳だ。
そうして自暴自棄のプレーが、ラウンド後の深い後悔と失望に変わる。
「笑え!」とスーパーメックスは言う。
そんなトラブルは笑い飛ばして、次の一打に集中することだ。
嘆いたって怒ったって、元に戻りはしない。
そこに打ったのは自分、誰かのせいにもコースのせいにもしちゃいけない。

ゴルフをプレーするのは、楽しむため。
プレーしながら、生きている「感じ」を味わうため。
いつだって、前の時より「上手くなっている」、「自分は、まだまだ上達出来る」と感じるため。

ゴルフは最も長い時間楽しむことが出来るゲームであるからこそ、この達人の言葉が身に沁みる。
さあ、次のラウンドは、同じリズムで歩き通そう。
トラブルになったら、笑ってしまおう。

きっと、もっとゴルフを楽しめる。


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強すぎても弱すぎても良くない。ちょうど良いグリップは親友同士が1分間握手した時の強さだ...ビル・ゴードン。


ビル・ゴードンはクラブ専属のプロで、ツアープロとしては無名だが、レッスンプロとして多くの実績を残したとされる人物。

ここで特に大事なのが、多くのプロが言っている「グリップから力を抜け」「もっと弱く握れ」という強すぎるグリップだけではなく、「弱すぎるグリップもスイングを壊す」と言っている事だ。
ボビー・ロックの言うように、「手から滑り落ちるくらいに弱く握れ」というのは主にパターを持つ時で、普通のスイングではそれではルーズになりすぎて、上手くスイングなんて出来たもんじゃない。
「グリップの力を抜け」と言われて力を抜いたら,スイング全体がフニャフニャになってしまって、ろくにボールに当たりやしない、なんていうのはみんな経験した事があるはずだ。

こういう言葉で困るのが、それが正しいと判っていても抽象的でイメージ的で、素人には基準になる目安がないという事だ。
そこで、このビル・ゴードンの言葉。

基準は「親しい友人同士が『一分間』握手をした時の強さ」。
親しくない人との握手は、儀礼的で相手に失礼のないように、ほんのちょっと触るかどうかというくらい軽く弱いものになるか、あるいは故意に好意を演出するために強く握る事が多い。
親しい友人との握手でも、ちょっと大げさに相手が顔をしかめるくらい強く握ったりする事もあるだろう。

だが「1分間」の握手となると、顔をしかめる程強く握り続ける事は難しいだろう。
自然に、親密さと尊敬と愛情を込めた強すぎず、弱すぎずの力具合になってくるだろう。
これが理想のグリップの強さだと言うわけ。

やってみるといい。
「グリップは親しい友人と「1分間」の握手をするつもりで握る。」
・・・意外と、具体的な力の加減がわかるから。

ただし、あくまでも同性の友人との話ね。
どうしても異性の親しい友人との握手...それも1分間の握手なんぞ想像してしまうと、余計な雑念が無限に絡まり始めて、しまいには強く握ってるんだか弱く握ってるんだか判らなくなるから。

そういえば、若い頃は握力が80キロ近くあったから、同性との1分間握手でも力比べになった事が良くあったなあ...
グリップに力が入る訳だ(笑)。

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