ゴルフの名言勝手に解釈  (渡辺隆司のゴルフブログ)

過去から今に伝わるゴルフの「名言・格言」を、勝手な解釈で描いて行きます。 読んだ結果、多分、ゴルフが上手くはなりません。 でも、ちょっと良いゴルファーにはなれるか、と。 もちろん責任持ちませんが。 (イラストの無断使用はしないで下さい)

カテゴリ: ゴルフの名言勝手に解釈

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「いいゴルファーはフィニッシュでよろけない」・・・バイロン・ネルソン。

これはほとんどのゴルファーが経験しているはずだ。
上手く振り切れてヘッドが走った時には、フィニッシュで足がバタつかずにすんなりと立っていられる。
逆に飛ばそうとして力が入り過ぎてしまったスイングや、「なんか違う」という感覚を途中で感じたスイングの時には、フィニッシュが決まらずに身体が流れてしまう。
アベレージゴルファーでフィニッシュで動かない人は、意外に少ないのだ。
だいたい同じ形のフィニッシュになる事も滅多にないし...

特に「ドライバー」という「一番飛ばすための道具」を手にした時には、アベレージゴルファーの殆どは打ち終わったあとで、バックするか、前進するか、たたらを踏むか、踊り出すか、走り出す。
打ち終わっても、まだ打ち足りないかのようにさらに回転する人だっている...
...ドライバーという代物が、他のクラブのように「00ヤードを打つ」という「道具」ではなく、「可能な限り飛ばしたい」という欲望と願望から出来ている魔法の杖であるために、ゴルフに取り憑かれた男達が「自分の全力」や「神頼み」や「怨念」や「おまじない」の力を借りてまで振り回すのはやむを得ないともいえる。
数発のOBやロストが出たって、自己最高記録の飛距離や、ライバルを圧倒する当たりが1発でも出れば満足な男は驚くほど沢山いる...ひょっとすると世の凡ゴルファーのほぼ全員かもしれない。
そんなゴルファーにとっての、ドライバーのマン振り後のダンスは...奇麗なフィニッシュで飛ばないよりは、格好悪くてもより飛ばそうとした結果として大目に見よう。
男ってのはいくつになっても、物心ついたときから本能的に「飛ばしっこで負けたくない」と言う強迫観念の染み付いた、まるで子供みたいなもんだから。

ただし、「00ヤードを打つ」というクラブは別。
常に決められた距離を打つためには、よろけるようなフィニッシュ、あっち行ったりこっち行ったりするようなフィニッシュは厳禁だ。
特にショートアイアンの距離になる程、打ったあとにびくともしない安定したフィニッシュが絶対必要。
よっぽどのトラブルで足場が超不安定なところからのショット以外、打ち終わったあとにユラリとも動かずに、ゆっくりとボールの行方を目で追えるようなフィニッシュだ。
ポイントは「フルスイング」と言う言葉を頭から消す事。
基本「ハーフスイング」、強くても「クォータースイング」(所謂八分ショットってヤツね)でしか打たない。
ヘボと言われる我々レベルでも、ハーフショットを意識して打てばフィニッシュで乱れないで済む。

まずは我々は、「ハーフスイング」や「クォータースイング」イメージのアプローチショットやショートアイアンのスイングで、よろけないフィニッシュを体験する事から始めるとしましょうか。

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「インパクトは左の耳で聞け!」...中島常幸

この言葉は中島常幸だけが言ったものではなく、古来色々な人が「ビハインド・ザ・ボール」を理解させるために語った言葉の一つである。
普通のアマチュアゴルファーの場合、トップから少しでも遠くに飛ばそうと「打ちに行く」と、どうしても身体を平行移動させてボールを叩こうとして、左足に上半身ごと乗ってしまうのだ。
こうなってしまうと、インパクトで詰まって振りづらくなったり、フェースが開いて入ったり、ボールの下に入ってテンプラボールになったりのあらゆるミスのもとになり、上手く打てたとしても飛距離は全然出ない結果になる。

しかし、これは人間の身体の構造や、心理的に「力を入れよう」とした時の自然な動きなのだ。
ゴルフスイングの「コツ」とか「ポイント」などと言うものが、ほとんどがそういった身体の自然な動きに逆らう事だというのが、ゴルフの一番の難しさでもあり奥深さでもある。
人が力を入れて何かを叩こうとすれば、誰だって(右利きなら)右足に乗せた体重を左足に映しながら全身を平行移動させて叩こうとする。
しかし、ゴルフのスイングとは「平行移動」ではなく「回転運動」なのだ。
右足から左足に体重移動させながら、回転運動をする...地面に落ちている小さな球を、力一杯引っ叩くためにはこんな複雑な事をしなくてはならないのだ。

で、古今の名人や学者達が、「どうやったらそんな小さなボールを思った方向に最大限飛ばせるか」を考え、研究して発見したのが、ボールをインパクトするまでは頭をボールより前に移動させてはいけないという「ビハインド・ザ・ボール」。
これなら、力をボールに伝えられるし、ある程度正確に飛ばせる、というスイングの大基本・大原則だ。

今のレッスンなら、「遠心力」とか言う言葉も使うようだけど、インパクトの時にプロや上級者は例外なく頭をボールより後ろに残している。
「頭が動く」という事で有名な、ソレンスタムやデュバルだってインパクトの瞬間にはちゃんとボールより後ろに頭は残っている...インパクトしたあと、急速に頭を残さず飛球線方向に顔を上げて行くけど。

この「ビハインド・ザ・ボール」を、自分でイメージしやすく言ったのがこの「インパクトは左の耳で聞け」という言葉。
誰でもインパクトの音を左耳で聞こうとイメージすれば、「ビハインド・ザ・ボール」を実践する事が出来る。

ただし、決して頭を残し過ぎてはいけない。
頭を残し過ぎてむち打ち症になった人は、意外に沢山いる...そうなると半年はゴルフを出来なくなるから要注意。よく言われることわざ、「打ったあともボールのあったところを見続けろ」は絶対に聞いてはいけない。
左の耳で聞き終わったら、さっさと顔を上げてボールの行方の心配でもする事だ。

そして頭を残そうとしてインパクト後も腰まで残してしまうと、飛ばない上にカッコ悪い「明治の大砲」ってやつになる。
インパクトを左の耳で聞いたら、あとはさっさと頭も一緒に左足に乗って行く事だ。
プロの様なカッコいい逆C字フィニッシュなんて、絶対に夢見たりしない事。

 

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「ボールの前後1メートルを打ち抜け」..ジャック・ニクラウス。

「帝王」ジャック・ニクラウスは、度々スイングのポイントは「ボールを打つ」のではなく「ボールを打ち抜け」(ヒットスルー)だと言っている。
ボールに向かって、「ボールを打つ」意識では飛ばないしミスしやすいと言っている。

今のスイングのレッスン書では、より飛ばすためにヘッドスピードを上げるには、「ボールの先で(フォローで)最大のスピードが出るように振れ」と書いてあるのが一番多いだろう。
これは、ボールにインパクトする瞬間に最大のヘッドスピードが出るように意識を持って行くと、どうしてもその後に無意識にブレーキがかかるからだと言う...そうなると実際にはボールに当たる前にブレーキがかかり始めて、減速しつつボールに当たる事になり、自分の最大飛距離は到底望めないことになる。

ただ、自分がそんな意識で打ってみて感じる事だが、インパクトからフォローで最大のヘッドスピードを出そうと意識すると、どうしてもインパクト直前に手首や下半身やその他身体のあちこちで、「一番のヘッドスピードを出そう」として急激な反応が出やすい。
つまりインパクトゾーンで「ヘッドを暴れさせる」様な動きをしてしまいがちになる。
そうなると今の400ccを軽く越えるような大きなヘッドのドライバーは、あまりにも慣性モーメントが大き過ぎて、その急激な反応に対応しきれないままインパクトを迎える事になってしまう。
結果は、右プッシュアウトが一番多く、次が引っかけやチーピン...「大型ヘッドのドライバーなのにどうして?」(大型ヘッドは球筋が安定すると言う評判なのに)という結果になりやすい。

この時に、意識をジャック・ニクラウスが言うように「ボールの前後1メートル」でヘッドスピードを最大にしようとすると、大型のヘッドは割合大人しい挙動でインパクトゾーンを走ってくれる。
つまり「ボールのあとの1メートル」は勿論大事なのだけれど、「ボールの前の1メートル」が意外と今の大型ヘッドドライバーにとっても重要なポイントなのだ。

ただし、ニクラウスの言葉の本当の意味は、あのパーシモンの時代のインパクトゾーンの話...つまり、この前後1メートルで、下半身のひねり戻しにレートヒット、手首のアンコックの我慢、アンコックしてからボール到達までの一瞬の間に右手の追い越し...等々、恐ろしく複雑な動きをしている上での話なのだ。
(今のゴルファーでそんな動きが出来る人は殆どいないはずだ。)

でも、今の時代の大型ヘッドのドライバーでは、そういう事を一切考えないでシンプルにボールの前後1メートルで最大のヘッドスピードを出すイメージを持てばいい...と、言葉通りの意味に「曲解しての「名言」」、としておきたい。


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「シャンクはちょとした油断から生まれる。例えばどこに落とそうとか、どんなボールを打とうかということに気を取られて、ボールを打つ事に集中しなかった時に不意に出る。」...キャリー・ミドルコフ。

シャンクに悩んだ事がある人には、覚えがあるだろう。
極稀に「なんだかシャンクしそう」なんて言いながら本当にシャンクする人もいるが、多分これは自己暗示にかかりやすい人の特殊な話。
(実際にセカンドショットからそう言いながら、だんだん右の林の奥に消えて行った人もいるけれど。)

しかし、普通はシャンクは突然にやってくる。
多いのが絶好のライの花道からアプローチ、ピンまで上り、転がしても上げても自分の腕なら確実に寄せられる...ピンにぴったりとついたボールが打つ前からイメージ出来る...そんな時だ。
頭の中に「ふわりと浮いたボールが、2バウンド目でピンそば30センチくらいのところにぴたりと止まる」のが見える...そのイメージでバックスイングして...「ガシャッ!」
一瞬、何が起こったのか理解出来ない。
が、ほぼ真横に飛んで行くボール...手に残る固い石でも打ったようないやな振動。
「なぜだ? なんであんなところにボールが? どこに当たったんだ?」
真っ白になった頭で、まだ事態が十分理解出来ないまま慌ててボールのところに行き、「なにやってるんだろ、俺は」なんて思いながら、もう一回打つ...「ガシャッ!」。
ここで、他のプレーヤーが「シャンク!」「落ち着け」「ゆっくりゆっくり」なんて声をかけてくれるのが聞こえる。
「シャンク...」
もしそこがバンカー越えだったりしたら、シャンク地獄はまだまだ続く。
打てるライだったら、とりあえずパターでグリーンに乗せる。
...その日のラウンドは、そのシャンクのために滅茶苦茶になって終わるだろう。
そして、もっと恐ろしいのは、それが忘れられない記憶となってその後のゴルフにも影響を与えるってこと。

シャンクの原因は、単純明快。
スイング軌道がボール側にずれて、ボールがフェースに当たらずにネック付近やシャフトに当たる事。
だから、治すにはスイング軌道に注意してフェースでボールを打てるように振ればいい。

...問題は、その通りに出来ない事だ。
シャンクの治し方については、古今東西多数の本が出ている。
シャンクの治し方のレッスンは、週刊誌月刊誌等々で何回くらい特集されている事だろう。
なんでこんなにレッスン書に書かれているかと言えば、原因が分かっても治らないからだ。
そのレッスン書には、それぞれ本当に沢山の種類の矯正法が書いてある。
しかし、シャンクがレッスン書を読んでぴたりと治った人は殆どいないそうだ。
殆どの人は同じような状況になった時に、一度経験したいやなイメージが手強い恐怖心となって身体の動きをぎこちなくさせてしまう...その結果、まるで再生されたビデオの映像みたいにまたシャンクを打ってしまう、とか。

そこで「シャンクの原因は心の油断である」という言葉。
つまり、打つ前から甘い結果をイメージし過ぎて(感じを出し過ぎて)、一打一打「そのボールを打つ」という事を決して疎かにしてはいけない、と。
シャンクが出てからでは治す事は困難なんだから、シャンクなんてものに出会わないように...くれぐれも油断したショットなんかをしないように...
まずそっちから気を付けよう。


ご用心、ご用心。

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「カップは君が思うより、アプローチなら1ヤード、パットなら1フィート常に遠い」...チャールズ・ベイリー。

チャールズ・ベイリーは、20世紀初め頃の著名な英国のゴルフ評論家。

パットの話では「ネバーアップ、ネバーイン」とか「届かなければ入らない」とかの言葉はよく聞くだろう。
しかし、実はアプローチでこそ我々は「無駄」で「みっともなく」「後悔する」...「短すぎるアプローチ」をやっていないだろうか?

勿論トップしたミスショットの大オーバーは関係ない。
「上手く打った」ときに、ワンピン以上のショートとかを結構やっていないだろうか。
パットと同じように「あ、強い!」なんて思った時に意外と寄っている...

それに我々は妙な知恵がついてしまって、「ショートか...でもオーバーよりいいだろう」なんて口に出して言ったりする。
おいおい、我々がプレー出来るような普通のコース状態で、上につけたら下りのパットが滅茶苦茶難しい、なんてケースが何回あった?
むしろ下りのパットの方が、ビビって打ったのが丁度良くて入ってしまったなんて経験、少なからずあるんじゃない?

「スピンが上手くかかり過ぎてしまった」とか「上手く打ち過ぎてしまった」とか「感じが出過ぎてしまった」とか...言い訳はいいけどさ、上りのアプローチでワンピン以上ショートなんて、アプローチ大失敗ってことだぜ。

1ヤードは91.44センチ、つまりワンピン残した失敗ショートアプローチだったら、もし1ヤード大きく打っていれば残るのは1メートルほどのナイスアプローチとなる。
はっきり言って、1メートル手前も1メートル向こう側も、我々がプレー出来るレベルのコースでは難しさに違いはない。
手前が絶対にいいなんて考えは捨てて、思っているよりも1ヤード向こう側のカップに向けてアプローチしてみるといい。
カップをオーバーさせればチップインする可能性だってあるし、しっかり打った事によって「強い」と感じたボールに上手くスピンがかかったりして、予想以上にピンに寄る結果となる事請け合いだ。
それに、もしワンピン以上ショートして結果入らないパットより、オーバーして入らなかったパットの方が絶対に後悔は少ないぞ。

パットも同じで、この場合の1フィートというのは、30.48センチの事。
やはり、思ったよりそれだけ遠い。

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「打つ前にイメージするのは、まず狙った場所にボールが落ちるところ、それからそのボールがそこに向かって飛んで行くところ、そしてそのボールを打っている自分だ。」...ジャック・ニクラウス。

言わずと知れた「帝王」ニクラウスの言葉なんだけど。
前にも描いたが、「打つ前に悪いイメージを持つとそのショットは失敗する。」という言葉は知っているだろう。
まあ、知っていなくても誰でもが「ここの池は嫌だなあ」とか「この右のOBに行きそうだ」なんて、ショットする前に思うと、結果はその通りになってしまうという経験をした事があるだろう。
あるいは、わざわざ口に出して「このホールは苦手なんだよなあ」なんて言ってしまって、いつもと同じようなミスを繰り返す。
ゴルファーというのは、ことのほか自分の言葉やイメージに忠実な人種らしく、ショット前のそれらの行動にほぼ百パーセント責任を持ってしまう、と言われている。

そこで、やはり「打つ前には良いイメージを持て」なんて言葉があるんだけど...ただ「良いイメージ」なんて言われても、そんな曖昧な甘いイメージが、具体的な悲惨な経験の積み重ねによる悪いイメージに勝てる訳がない。
だからニクラウスのこの言葉が効いてくる。
非常に具体的なはっきりした「良いイメージ」だ。
それも、普通人が考えるような「自分が打ったボールが、青空を飛んで行く」なんて大雑把なことではない。
まず、そのボールが狙った場所に落ちるところをイメージする。
グリーンのピンそばでも、フェアウェイのセンターでも...
それから、そこに向かって自分の思った通りの球筋で青空を飛ぶ白球をイメージする。
そうしてから、その思い通りのボールを打つスイングをしている姿をイメージするのだ。
どれも具体的ではっきりとしている。
やるべき事と、その結果がイメージとして身体と頭に刻み込まれる。
あとは迷いなく自分を信じてスイングすればいい。

どうだろう。
やってみる価値はある。

ただ、どうしてもグリーンからこぼれてバンカーに入るボールしかイメージ出来ないとか、どスライスになってOBや池にまっしぐらに飛んで行くボールの姿以外イメージ出来ないとか、あるいは自分のスイングを思い浮かべた途端に「当たりそうもない」スイングしか頭に浮かばないとか...リアルなマイナスイメージが強過ぎて、経験した事のない良いイメージなんて全く浮かばない、なんてヘボゴルファ−は結構多い。
そう言う良いイメージは自分で打った経験があるからこそイメージして効き目があるもので、未体験のショットイメージを頭に浮かべてもそうは問屋が卸さない、と言うのもゴルフの真実。そういう人は、良いイメージを無理矢理頭に浮かべようとしても時間がかかるだけなので、今晩のおかずだとか、帰ったら飲みたい酒だとか、好きな異性の顔でも身体でも思い浮かべて、それが消えないうちにさっさと打った方がいい。



スムーズにイメージが浮かびスイングを始められないゴルファーは、この名言の事は忘れた方が良いとも思う。
(この名言にはヘタをするとスロープレーの原因になる要素があると言う事)

そうじゃないと、「下手なくせにプレーが遅い」なんて最悪の評判が定着してしまうぞ。

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「練習場では、あなたを気持ち良くさせるクラブではなく、あなたを苦しめるクラブを使え。」...
ハリー・バードン。

つまり、「練習所では得意なクラブを練習するんじゃなくて、苦手なクラブを練習しろ」というわけだ。
確かにその通り。
ろくに当たらない、使えばミスばっかりなんてクラブを練習して使えるようになれば、絶対に上達する。

それなのにどうしてこんな言葉を言われるほど、みんなは苦手なクラブを練習しないんだろう。
...答えは、「楽しくないから。」
得意なクラブなら、勿論ミスは出るにしても上手くいく確率が高いから、手応えは気持ちのよい感触が残るし、飛んで行くボールの浮遊感を楽しみながらうっとりと余韻に浸る事も出来る。
「快感」とも、「恍惚感」とも言う、普段の生活では滅多にお目にかかれない「幸福感」を味わえる。
上手く打てる確率の高いクラブだから、打てば打つほど幸せになって楽しくなってくる。

...それが苦手なクラブの練習ならどうだ。
長いのが苦手な人は、打つ度に手に「当たり損ね」の嫌な振動が伝わる。
ボールは思いもしない方向に、ねじくれ曲がって飛んで行く、気の狂ったように転がって行く。
例えばアプローチの苦手な人は、理屈なんて百も承知なのにフェースに上手く乗せる事が出来ない。
ダフる、トップする、シャンクする...狙って打つ方が難しいような現象が、呪いのようにつきまとって離れない...練習より「お祓い」の方が必要だ、なんて気さえしてくる。
...打てば打つだけ、言う事を聞かないボールに馬鹿にされているような気がして来て、気持ちは落ち込み、荒み、自信喪失、自己否定、自己卑下の世界に嵌り込んで行く。

勿論、練習してしすぐに上手くなればそんな事になる事もないんだけれど、一度「苦手」意識が植え付けられたクラブはそう簡単に許してくれはしない。
ウェッジのアプローチが苦手で、あらゆる有名コーチに就いて教わったけれど、とうとう治る事はなかったという人を複数知っている。

だからこの名言の意味は判っているんだけれど、どうせ遊び(真面目だけれど)のゴルフじゃないか、苦手なクラブの練習して気が滅入って暗い気持ちになるよりも、練習場は気持ち良くなった方が良い...なんて思ったりするのもしょうがない。
あまりに真剣過ぎて真面目過ぎて取り組む人は、「我慢」と「耐える」の繰り返しで立派な「どM」になってしまいそうな気がするし。
それに、そんな我慢を続けて行ってやっと上手くなった人達が、その結果立派なゴルファー・立派な人間になったかって言うと...これは個人の偏見だけど、「嫌なヤツ程ゴルフが上手い」なんてのが結構多い。
こりゃやっぱり偏見だけど、苦手を持ってるゴルファーの方が性格的に善良な人が多いって感想も持っている。

我々普通の凡ゴルファーは、バードンさんの言う事も理解出来るけどさ、「上達一番」じゃなくって「楽しいが一番」で練習してもいいんじゃない。

苦手なクラブ、どうしてもダメだったら「道具を変える」っていう手もあるし。
そんなクラブは使わない、なんて手もあるし。

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「Dying ball」なら、4つのドアから入る。・・・ボビー・ジョーンズ。

Dying ballというのは、カップにぎりぎりで届くボールの事。
所謂「デッド・イン」するボールだ。

この言葉は、あまりにも「never up, never in」が言われ過ぎて、極端にでもオーバーしなければ意味がないように思い込んでしまっているゴルファーに対する警鐘としてボビー・ジョーンズが言った言葉だ。

曰く「強く打ち過ぎたボールは、正面のドアを通ってカップの向こう側の土手に当てて入る道しかない。」
「しかし、カップにギリギリ届くように打たれたボールは、正面と右、左のドア、それに後ろ側のドアを通ってもカップに入る可能性がある。」

...その通りだと思う。
4つのドアを使えるなら、カップぎりぎりの距離で打つ方が絶対に良いのは間違いない。
でも、この球聖と言われた名ゴルファーの言葉には、大事な事が抜けている。
それは、我々普通のヘボゴルファーの一番のパットの悩みなんだけれど、球聖にとっては当たり前に出来ている事...そもそもコースでカップに「デッド・イン」するようなボールを打てる距離感があれば、惨めにチャンスで大ショートしたり、打ち過ぎて3パット4パットなんてしたりしないって!

そもそも、カップぴったりの距離を打つ事というのは、パッティングで一番難しいんじゃないか?
傾斜や、芝目、芝の状態...それらを感じて、カップまでのタッチを決めてボールを打つ。
そして、ラインに乗せて転がっていったボールが最後のひと転がりでカップの中に落ちて行く。
そんな風にパッティング出来る人は、そもそも「届かなければ入らない」なんて格言を気にする事もないだろう。

ただ、自分の打ち過ぎた失敗ノーカンパットの言い訳に、「ネバーアップ、ネバーインだからね」なんて言うのはカッコ悪い。
あまりにも強過ぎるパットでは、正面のドアでさえボールが通れないほど狭くなっているだろう。
...自分でも、さすがに1メートルオーバーすると「やっちまった!」と思う。
やっぱり、カップから30ー40センチオーバーくらいが一番気持ちがよい。
この強さだと、さすがに4つのドアは使えないだろうけれど、正面と、左右のドアは使えそうな気がするし。

ボビー・ジョーンズさんのお言葉ではあるけれど、見た目も「デッドイン」させるようなパットは、心臓によろしくないのでは(笑)...

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「ロングパットが入る時は、「強く打ち過ぎた」と思う時だ。臆病なパットにチャンスはない。」...アーノルド・パーマー。

パーマーと言えば「go for break!」を合い言葉に、所謂「パーマー・チャージ」でコースを攻めまくって絶大な人気を博して、今の世界的ゴルフブームの礎を作った名ゴルファー。
そんな人物だからこそ、せっかくのチャンスにも関わらず「届かない」パットをするゴルファーが気になってしょうがなかったんだろう。
...「臆病なパットにチャンスはない」は、厳しい言葉だ。
この考え方は、かの老雄トム・モリスの「never up,never in」「届かなければ入らない」の言葉と同じ、パットはともかくカップまで届くように打て、というのが基にある。

確かに、せっかくいいショットやアプローチを打ちながら、カップに届かないパットを打つゴルファーを見ていると他人事ながら苛つく事がある。
「ショートして入らないパットも、通り過ぎて入らないパットも同じだろう?」
「命までかかっている訳じゃあるまいし、なんでもっと強く打てない?」なんて...
必要以上のビビりパットなんて見た日には、ゴルファーの人間性にまで疑問を持ってしまう。
(自分でショートした場合なんて、自分の人間性に疑問を持っちまって困ってしうまう)
そんな事を先輩ゴルファー達も感じて来たからこそ、以前に書いた「バーディーパットをショートするような人間と友達になるな!」なんて言葉が伝えられて来たりしたんだろう。

しかし、最近面白いと思うのはオープンコンペで一緒になるようなカップルの人達を見ていて、夫婦、恋人、友達関係、いずれの年代、職業に関係なく、女性の方がカップに届く強気のパットを打つ事。
総じて、男の方がショートする事が多い。
とんでもないノーカンパットは別として、きっちり30センチ以上オーバーする「男前」のパットをするのは、老若関係なく女性が多い。

何とも潔くパットを打って来て、返しを平気で入れる「男前」の女達!
それに引き換え、1メートルのパットでさえビビってショートして、それをまた外す男達!

世に言う「草食系」の男と、「肉食系」の女達ってことか?

...おーい、苦労してるのは判ってるけどさ、ショートする男達(俺も含めて)...一度「強く打ち過ぎた」と思うほど打ってみろよ、そのパット。
アーノルド・パーマーばりの、強気のパットだ。
多分そんなつもりで必死に打ったパットだって、やっとカップに届くくらいなんだろうけどさ。

...情けないぞ男達、女達にばかり「男前」のパットを打たせているのは。

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「ゴルフのコレクションとは、ゴルフという「狂気の世界」の中のもう一つ特別な「狂気の世界」である)...ジョゼフ・マードック。

このジョゼフ・マードックと言う人は、「ゴルフ収集家協会」(GCS)の創立者。
自らの趣味の事を「狂気の世界」と言うのだから、その情熱たるや常人の想像を遥かに超えたものだったろうと想像出来る。
この「ゴルフのコレクション」というもの、自分でも思い当たるのはクラシッククラブやボールという「道具のコレクション」。
ゴルフというものにある程度熱中してくると、ゴルフの歴史やゴルフ史上の名プレーヤーの逸話などに興味が湧いて来て、同時に彼らの使っていた道具にも興味が湧いてくる。
勿論、性能的には圧倒的に現代のクラブの方が上なのは間違いないし、あらゆる科学的な研究の結果を体現した今のクラブは、機能的な美しさでも昔のクラブとは比べ物にならない。

しかし、スコア以外のものにも興味が向き始めたゴルファーは、例えばほんの少し前まで使われていたパーシモンヘッドのドライバーの美しさに魅了されたりする。
その一本一本手作りの、ベテランの職人が丁寧に造り上げたクラブには、コンピューター制御で量産された機械的な現代クラブの冷たさの対局にある、温かく情緒的な佇まいを感じるはずだ。
そしてもっと昔の、「時代の名器」と言われたマグレガーやトミー・アーマーのパーシモンドライバーなんかを見てしまうと、その美しさはまさに美術工芸品と感じる事だろう。
そして、それを自分のものとして飾ってみたい、撫で回してみたい、なんて思ったとしたら、もうあなたは「狂気の世界の中の狂気の世界に嵌り込んでしまった」という訳だ。
アイアンも同じ...性能的には今のアイアンの製品管理の方が行き届いているのは当たり前。
しかし、クラシックアイアンはその材質や「無駄」としか思われない装飾にも、単なる道具以上の「何か」を感じさせるものがある。

...そんな道具に興味を持って、一つでも手に入れてしまうと...もうその病気からは逃げられなくなる。
と言っても、本人にとってはそのコレクションは趣味の世界を広げ、独りの時間を充実させ、仕事や実生活がたとえ順調ではなくても心の平安を得る事の出来る、実に有意義なものなんだけど...

道具の次に多いコレクターは、「本」...つまりゴルフ関係の「古書」を集める人達。
でも、これは日本にではあまり価値あるものは多くないので、どうしても本場英国やアメリカの「古書」集めになる...つまり、英語をある程度自由に出来ない人には敷居が高い。
他に多いコレクションは、切手、古画、スコアカード、人形、マーカー、著名ゴルファーのサイン...等々。

残念なのは、この趣味に対する理解者が少ない事。
特に家庭に置いては、資金面でも場所の面でも同居人の理解及び許可を得る事は至難の業となる。
酷い妨害に会う事さえ多々ある...個人の趣味、特に「コレクター」と言う種類の人々は他人には理解され難いものなのだ。 

面白いのは何人か知っているこういう人達、それほど上手い人は多くない。
ラウンド数だって決して多くは無く、せいぜい月1がやっとのゴルファーが多い。
腕だって、上手い人でせいぜいハンデは8〜9、一番多いのは15〜23くらいのアベレージクラス。
なんかコレクションに情熱を向けた結果、技術を上達させる方向にはあまり情熱がなくなってしまったみたいに見える。
...まあ、普通の稼ぎの人の場合は、「小遣いをコレクションに回してしまった結果ラウンドする資金がない」というだけなんだけどね。


でも、幸せそうなゴルファーばっかりだ(笑)。


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