ゴルフの名言勝手に解釈  (渡辺隆司のゴルフブログ)

過去から今に伝わるゴルフの「名言・格言」を、勝手な解釈で描いて行きます。 読んだ結果、多分、ゴルフが上手くはなりません。 でも、ちょっと良いゴルファーにはなれるか、と。 もちろん責任持ちませんが。 (イラストの無断使用はしないで下さい)

カテゴリ: ゴルフの名言勝手に解釈

img_0-59

「同じリズムで歩くこと、トラブルになっても笑うこと」...リー・トレビノ。

リー・トレビノは「スーパー・メックス」と呼ばれたメキシコ系アメリカ人で、メジャー6勝、世界で89勝(うち米ツアー29勝)を誇る。
徹底したフェード打ちで、そのコントロールされた球筋と、「シルキータッチ」と讃えられた柔らかなパッティングで勝利を重ねた。

その一風変わった存在の名手の、「奥義」のような言葉がこれだ。

我々も18ホールのプレーで、覚えがあるはずだ。
調子が良く、ラッキーが続き、珍しく良いスコアが出そうな手応えを感じていると、いつの間にか歩くのが速くなり、気分が高揚し、ついには鼻歌まで出てくる。
その反対に、いい当たりが出ない、アンラッキーが続く、何をやっても上手く行かないなんて感じると、だんだん歩くのが遅くなり、しまいには足を引きずりながらノロノロと歩くようになってしまう。

ラウンド中、12番ホールを過ぎる頃には、遠目でもその歩きかたやリズムで調子が悪い人と良い人は判るようになる。
もちろん良い人は、胸を張り身体も軽そうにスッスッと歩いて行く。
悪い人は、肩を落とし、背中を丸め、足は地面から離れずに引きずりながら、ズルズルと歩いている。
こういう悪い姿勢やリズムは、悪かったものをますます悪くし、さらに酷い結果へと落ち込んで行く。

トラブルにあった時もそうだ。
普通なら、そのアンラッキーを嘆くか、ぼやくか、呪うか、怒り出す...
そうした感情が表に出ると、そのトラブルはきっとその後にさらに何重かのトラブルを呼び込むことになる。
たった1打の支払いが、3倍4倍の支払いに化けてしまう訳だ。
そうして自暴自棄のプレーが、ラウンド後の深い後悔と失望に変わる。
「笑え!」とスーパーメックスは言う。
そんなトラブルは笑い飛ばして、次の一打に集中することだ。
嘆いたって怒ったって、元に戻りはしない。
そこに打ったのは自分、誰かのせいにもコースのせいにもしちゃいけない。

ゴルフをプレーするのは、楽しむため。
プレーしながら、生きている「感じ」を味わうため。
いつだって、前の時より「上手くなっている」、「自分は、まだまだ上達出来る」と感じるため。

ゴルフは最も長い時間楽しむことが出来るゲームであるからこそ、この達人の言葉が身に沁みる。
さあ、次のラウンドは、同じリズムで歩き通そう。
トラブルになったら、笑ってしまおう。

きっと、もっとゴルフを楽しめる。


img_0-58

強すぎても弱すぎても良くない。ちょうど良いグリップは親友同士が1分間握手した時の強さだ...ビル・ゴードン。


ビル・ゴードンはクラブ専属のプロで、ツアープロとしては無名だが、レッスンプロとして多くの実績を残したとされる人物。

ここで特に大事なのが、多くのプロが言っている「グリップから力を抜け」「もっと弱く握れ」という強すぎるグリップだけではなく、「弱すぎるグリップもスイングを壊す」と言っている事だ。
ボビー・ロックの言うように、「手から滑り落ちるくらいに弱く握れ」というのは主にパターを持つ時で、普通のスイングではそれではルーズになりすぎて、上手くスイングなんて出来たもんじゃない。
「グリップの力を抜け」と言われて力を抜いたら,スイング全体がフニャフニャになってしまって、ろくにボールに当たりやしない、なんていうのはみんな経験した事があるはずだ。

こういう言葉で困るのが、それが正しいと判っていても抽象的でイメージ的で、素人には基準になる目安がないという事だ。
そこで、このビル・ゴードンの言葉。

基準は「親しい友人同士が『一分間』握手をした時の強さ」。
親しくない人との握手は、儀礼的で相手に失礼のないように、ほんのちょっと触るかどうかというくらい軽く弱いものになるか、あるいは故意に好意を演出するために強く握る事が多い。
親しい友人との握手でも、ちょっと大げさに相手が顔をしかめるくらい強く握ったりする事もあるだろう。

だが「1分間」の握手となると、顔をしかめる程強く握り続ける事は難しいだろう。
自然に、親密さと尊敬と愛情を込めた強すぎず、弱すぎずの力具合になってくるだろう。
これが理想のグリップの強さだと言うわけ。

やってみるといい。
「グリップは親しい友人と「1分間」の握手をするつもりで握る。」
・・・意外と、具体的な力の加減がわかるから。

ただし、あくまでも同性の友人との話ね。
どうしても異性の親しい友人との握手...それも1分間の握手なんぞ想像してしまうと、余計な雑念が無限に絡まり始めて、しまいには強く握ってるんだか弱く握ってるんだか判らなくなるから。

そういえば、若い頃は握力が80キロ近くあったから、同性との1分間握手でも力比べになった事が良くあったなあ...
グリップに力が入る訳だ(笑)。

img_0-57



「私はパーおじさんを発見してから、勝てるようになった。」...ボビー・ジョーンズ。

言わずと知れたボビー・ジョーンズの有名な言葉だ。

だが、私は以前この言葉を今と違う風に受け取っていた。
パーおじさん...オールドマンパー。
ボビー・ジョーンズはこの言葉を発見する前には、例えばセント・アンドリュースのオールドコースでの全英オープンにおいて、あまりの自分のスコアのふがいなさに切れてスコアカードを破いて棄権する、なんて事をやったりしている。
この頃のジョーンズは、「上手いけれども切れやすく、マナーがいまいち」なんて評判だったと伝わっている。
そういうジョーンズが変わったのが、この言葉「オールドマンパー」を発見して、オールドマンパーに対してゴルフをするようにしてからだと...

これを知って、オールドマンパー「パーおじさん」というのは、スコアカードのパーで、いつもスコアカードの通りにプレーする人...「冷静に機械のようなプレーをするクールで厳しい偏屈老人」だと感じていた。

これが、最近違うのだ。

パーおじさんというのは、それぞれのホールにいる18人の愉快なおじさんだと思うようになったのだ。
そう思うと、毎ホールのパーおじさんに会うのが、じつに楽しくなってくる。
1番は、気のいい優しいおっさんだ。
「まあまあ、スタートホールは広いんだから、肩の力抜いて気楽にやれよ...左のOBだけ気をつけてな」
2番の親父はちょっと油断出来ない。
「このショートは乗せただけじゃあ、安心出来ないぞ」
3番のおっさんは
「さあ、緊張も取れただろ。ここで一発ぶっ飛ばして行けや」
4番は
「おいおい、ここで気を緩めると落とし穴が待ってるぞ...」

5番の気難しそうなおじさんは
「そう簡単にいけると思ったら大違いだ。実力の程を見せてもらおうじゃないか。」
なんて、皮肉に笑う..。

こんな風に、各ホールに性格の違うおじさんがそれぞれいて、自分に話しかけて来るような気がするのだ。
そういう各ホールのパーおじさんが、いろいろな事を話しかけて来るのが良く判る時には、非常に楽しいゴルフが出来る。
スコアが良いかどうかは、グリーン上のパット次第なのであまり自分には関係ないけど、コースと(パーおじさん達と)会話出来るかどうかでコースの印象も違ってくる。
非常に個性豊かな18人のおっさんがいる愉快なコースもあれば、似たようなおっさんがあくびをしているようなつまらないコースもある。

でも、少なくともたった一人の、冷静で感情の変化のない嫌みな上級者みたいなおっさんが、スコアカード通りのゴルフをしている姿をイメージして戦うより、毎ホール違うおっさんと楽しい勝負をするイメージの方がずっと面白い。

もちろん、だからと言ってスコアは良くなるなんて保証は出来ないけれど、楽しいゴルフが出来るのは保証する。
どう、18人のおっさんに会ってみる?


(18人の美女だっていいんだけれど、女って...18人いるとちょっと怖いぞ)


img_0-56

「手だけではなく、両足でも地面をグリップする事が重要だ」...ウォルター・ヘーゲン。

同じような言葉では、中村寅吉が「靴の中でも、素足で地面を掴むようにしろ」と言っているが、この二つの言葉似てはいるが、ちょっと意味合いが違う。

ウォルター・ヘーゲンは、残された写真や映像で見る限りかなり広いスタンスが特徴で、その広いスタンスで下半身をしっかり支えてロングドライブを打っていた。
本人も「両足がその広いスタンスによって、しっかりと安定しているからいいショットが打てる」と解説して、広いスタンスで地面をしっかりとグリップする事を勧めている。
確かにスタンスを広げると、上半身に力が入ってもふらつかずに安定して振る事が出来る。
ドラコン選手権の選手は、殆ど全員広いワイドスタンスをとっている。
...ただしこの広いスタンスは、それぞれ人により向き不向きがある。
身体が堅かったり、スイングが出来ていない人には、むしろ下半身を使えずに手打ちやダフリトップの原因となってしまう。
(そのためにワイドスタンスは一般的にはならず、近年のレッスンでは「肩幅」くらいのスタンスが適当という事になっている。)

中村寅吉の「足で地面を掴め」というのは、「靴を履いていても、靴の中で足の指でしっかり地面を掴んでいるようにスタンスをとる」ということ。
実際に裸足で練習したりもしたと聞く。

ちょっとニュアンスの違う二人の言葉だが、共通しているのは「手も足もグリップする事が大事」と言っている事。
スイングを考えると、どうしても手や上半身の動きに注意が行くが、地面に接している「足のグリップ」はスイングを支える土台なのであるから、これを疎かにしてはならない、と。

現代のレッスンでは、両足の親指の母指丘あたりに重心をかけろ、とか踵体重はダメ、とか言うのが一般的だが、「足で地面をグリップする」つもりでいると、自然にこういう形になると思う。

スイングするにあたって、何かチェックしなければすまない人は、上半身の事を忘れて「足のグリップ」だけをチェックしてスイングするのも面白いと思う。
上半身は普段の練習できっとなんとか出来るから、こんな意識でラウンドすると新しい自分に気がついたりするんじゃないかな。

...以前、足でグリップするつもりで「指で地面を掴む」イメージでスイングしていたら、後半足の指がつって困った事があった...これはご用心(笑)。


img_0-55

「遠くへ飛ばそう」という考えを捨てなければ、スイングのリズムは作れない...エド・オリバー。


どんなゴルファーでも、「なんか調子がいい」という時があったはず。
初めて90を切った時、初めて80を切った時、ベストスコアを出した時...覚えているだろうか?
そんな時は、なんとなくスムーズにバックスイングが出来て、スムーズに振り切れる。
どの番手も、そんなに違和感無く振れる。
ミスしたと思っても、想像よりずっと小さな範囲の曲がりですむ。
ボールに対した時に、すっとアドレスに入れる。
ライが違っても、なぜか同じようなタイミングで振れる...
...こういう状態になった原因は、一般に「偶然」スイングのリズムが良かったから、と言われる。

(偶然)というのは、それが本当に偶々のことで、長続きしなかったから。
折角自分に合ったリズムでスイング出来たのに、そのリズムを結局自分のものにする事が出来ないまま、どこかに消えてしまうのを止められないのが絶対多数の凡ゴルファー。
本当に意識して身に付いたものではなく、偶然その日の体調や気まぐれで出会っただけの運が良かっただけのスイングリズムだから、わかっていてもどうしようもないのだが。

しかし、そういう時があったという事は、自分がそのときのスイングリズムを自分のものに出来たら、いつでもそういうスイングが出来る「可能性がある」という事。
80を切れた人はいつでも80を切れるだろうし、どんどんベストスコアの更新だって出来る「可能性がある」という事。

スイングの「リズム」というのはそれほど大事だと、古今の多くの名プレーヤー達が口を揃えて言っている。
練習するべきは、細かいテクニックをどうするかより、自分の「良いショットを打てる」スイングのリズムを作る事だと。

ただし、その名プレーヤー達は、スイングのリズムを作るのに「飛ばそう」「飛ばしたい」という気持ちが入ると、それは無理だという事も言っている。
確かに、「飛ばそう」と思った瞬間に、腕なり、グリップなり、腹筋なり、背筋なり、太ももなり、尻なりに強い力が入ってしまうもの。
そりゃあそうだろう...「普通」より「飛ばそう」という事は、常識的には「普通じゃない」力を入れる事なんだから。
でも、そうなるとスイングのリズムは普段と全然違うものになってしまう...もちろん悪い方に。
ただの出会い頭の大当たりを願う、博打スイングになるだけだ。

「飛ばそう」という思いを捨ててから、あの偶々驚くほど調子が良かった時の「偶然のスイングリズム」を探してみよう。
少なくとも一度現実に出来た事だったら、自分のゴルフが急速に進歩する可能性は大きい....もしそんな経験がなかったとしても、常にここ一番力任せにギャンブルショットばかり打つゴルファーより、スイングリズムを探すゴルファーの方が何かに気がつく可能性はずっと高い。


スイングにリズムを作りたい、自分のリズムでスイングしたい、と言うならまず「飛ばそう」という気持ちを捨てる事。
それが結局飛ばしにもつながる...なんていうのは、まるで禅問答みたいだけれど、「だからゴルフは面白い」って事にしておこう。

いつも毎回ギャンブルショットの自分には、耳の痛い言葉だけれど(笑)。

img_0


「私は、髪の毛を掴まれてショットの練習をしたから、どんなに強く打っても頭が動かないようになった」...ジャック・ニクラス。


ジャック・ニクラスがゴルフを始めた少年の頃、彼の頭の毛を掴んでショットを打たせたのは、有名なレッスンプロであるジャック・グラウト。
この練習は、頭を少しでも動かすと激痛が走り、ニクラス少年は泣きながら練習を続けた、という伝説になっている。
だが、この辛い練習のおかげでニクラスは「いくら強く打っても、絶対に頭を動かさないようになった」とも言っている。
後年の、「帝王」とまで呼ばれるゴルファーの正確無比なショットは、こうして生み出された、という訳だ。

誰でも、ゴルフを始めた時には一度は「頭を動かすな!」と言われた事はあるはずだ。
古来、殆どゴルフが広まった時以来、「ボールを見ろ!」と「頭を動かすな!」というのは、2大基本とまで言われるスイングの基本原理。
...それなのに、この現代に「なにをいまさら」と言われるかもしれないが、ボールにちゃんと当たらないゴルファーの原因の殆どは、今でもこの二つなのだ。

特に「頭を動かさない」という基本。
自分でも何回かレッスン書の仕事で「頭は動かしていい」「頭一つは動いていい」「顔ではなくて首の後ろ側が軸なんだから、顔が動いてもいい」というイラストを描いた事がある。
本当はそれぞれに理由があり、それぞれが「頭を動かさない意識がありすぎると、こういう弊害がある」という事への対処の方法としての「意識のありかた」なんだけど。
例えば、「頭を動かすな」という事を気にしすぎると、身体の固い人は肩を回そうとして、左足重心になり左肩が落ちただけのリバースのトッップになりやすい。
いわゆるギッタンバッコンスイングだ。

それでなくても、この「頭を動かすな」と「ボールから目を離すな」の言葉は、それに忠実にやろうとしすぎるとスイングを縮こまらせて、ボールに当てるだけのスイングとなり、飛ばない。
その固定概念を取り払うために、「動かしてもいい」と言っているだけで、決して頭と一緒に身体を揺すってスエーしてスイングする事を勧めている訳ではない。

ティーショットのように、ティーアップしてあって、現在のデカヘッドのドライバーで打つ場合は、多少の誤差があってもそれなりにフェースに当たって前に飛んで行くだろう。
もちろん、腕が詰まったり引き込んだりして、気持ちの良いスイングは出来ないだろうし、飛ばないし、曲がるだろうが。
しかし、地面にあるアイアンで頭が動いてしまったら、よっぽど毎日練習して「動いた頭を正確にもとの場所に戻せる」人以外は、酷いミスにしかならない。
アドレスした位置から1センチズレただけで、「ダフリ・トップ・シャンク・プッシュ」何でもありとなる。
バックスイングで右に動けば、同じだけ動いて戻らなければ正確なショットにはならないのは、誰でも判るだろう。
毎日練習して同じ場所に戻る事を覚えるよりも、頭を動かさないように意識して打つ方がずっと易しい。
決して、「頭を動かすな」というのは古い教えではなく、ずっと通用するゴルフスイングの真理なのだという事を覚えておこう。

で、ジャック・ニクラスは、そんな風にして「頭を動かさない」スイングを覚えた。
我々も、きっと手っ取り早いのは「誰かに髪の毛を掴んでもらって」スイング練習する事なんだろう...
しかし、掴むべきものが「無い」、もしくは「少ない」、もしくは「抜かれたくない」という場合...


...頭を動かしてしまって、

「ブチッ!」
「あっ!」


...なんてことになったら...

img_0-106

「肩の回転で腕を振るのではなく、腕を振る事で肩が回るのだ」...ボブ・トスキ。

ボブ・トスキは、判りやすい説明で人気となった、世界的レッスンプロ。

我々がゴルフを始めた時から、一番言われる言葉が「肩を回せ」だろう。
そして「手打ちじゃダメだ」とか言われたり、「ボディターンだ」とか言われたり。

確かにゴルフクラブを初めて振る人は、ひょいと手でクラブを担ぎ上げて、なんとか小さなボールに小さなヘッドを当てようとして手先だけで合わせて振ろうとする。
だから、レッスンプロや上級者は「左肩を顎の下迄回して、腕は大人しく使ってボディーを回転させて振れ」とか教える事になる。
まず、手だけで当てようとする意識を変えさせる必要があるから。

ここから先で、ボブ・トスキは面白い事を言っている。
初心者に「肩を回せ」という事を意識させすぎると、右手を使ったスイングになってしまう、というのだ。
肩を回そうとすると、両腕を肩と一緒に回そうとする。
すると、「腕」の主役は右腕になってしまう...意識が右腕にどうしてもいってしまって、「右手で上げて右手で振り下ろす」ような感覚になりやすいのだ。
そうすると、当然ダウンで右手が勝手に暴れ回って、プッシュスライス、ダフり、テンプラ、引っかけ、チョロの、ミスのオンパレードとなる。

だから、肩を回すより腕を振る意識を持て、と。
そして、大事な事は「両腕」と言っても、「主役は左手で、右手は左手に従わせろ」ということ。
左手が動きやすいように、右手を添える事がポイントだと言う。

こうして腕を主役に考えてスイングした時に、「腕の振りによって、肩が回されて行く」と感じる事が出来れば、正しい動きになっているのだと。
そう感じられない時は「腕の力が入りすぎている」ということらしい。
これを実際に感じるためには、両腕にそれぞれ重いものを持ってスイングしてみるとよく判ると言う。

スイングの感覚がマンネリ化してゴルフがスランプに陥っている、世間で言われている事は試してみたけどちっとも良くならない...なんて感じた時には、こうしたレッスンプロのちょっと変わったアドバイスを試してみるといい。

視点・注意点をちょっと変える事でスイングが劇的に変わるのが、我々レベルのゴルフの面白さ。
それまでの自分の感覚が狂っている事に気がついて、目の前に全く新しい道が開ける、なんてことがよくあるのだ。

悩んでいたら、ちょっとお試しを...


img_0-105

「19世紀の昔から、全てのゴルファーの最大の喜びは、力の限りの一撃でボールが遠くの砂丘を越えて行くのを見ることである」...レイドロウ・バービス。

レイドロウ・バービスは、ロイヤルセントジョージズ&サンドイッチゴルフコースの設計者。

ゴルファーって奴は...
19世紀の昔から、クラブもボールも、服装も、プレーする職業も年齢も関係なく、結局のところ「思い切りボールを引っ叩いて遠くに飛ばすこと」が最大の喜びであることに変わりはないってこと。

例えば、彼が言う「砂丘」。
彼の造ったコースには、本当に上手く飛ばせれば越えることが出来る「砂丘」があるらしい。
だから越えることが出来たゴルファーには、「いいコースだ」という評判になり、どうしても越えることが出来ないゴルファーには「ひでえコースだ」という評判になったと言う。

トータルスコア、つまりパー72を基準とする打数で優劣を比べるようになってから、「無謀な冒険」より「利口な刻み」の方が理にかなった攻め方として世間に認められるようになったが、ゴルファーって奴は本心の本心では「飛ばなくちゃつまらない」というのが正直な気持ちだろう。
それが証拠に、ゴルフクラブの変遷というものは...その目的の90パーセントは、「より遠くに飛ぶ道具」を求めてなんだから。

例えば、飛ばすためのゴルフクラブ...ウッドクラブに使われた木材を調べてみると、まず18世紀にはその材質は、サンザシ、シャクナゲ、リンゴ、ナシ、シデ、ハナミズキ、ブナ...と、殆どありとあらゆる木材を使ってどれがより飛ぶかを探し求めた記録がある。
19世紀に入ると、イチイ、リンゴ、ナシ、サンザシ、が主流となり、19世紀末になってやっと柿の木が使われ始めた。
そして20世紀になって、アメリカのミシシッピ川沿いにある樹齢200年を越えた柿の木が、ドライバーに最高の木材であると認められて、主流となって行く。

これはみんな飛ばすことが目的...しかし副産物として、よく乾燥されたパーシモンに糸巻きボールの打感の良さが、プラスされる最高の快感としてゴルファーを虜にしてしまう。

今でも使用に耐えるパーシモンドライバーは、良質のものはオイル漬けにされた後、しっかりと乾燥されて簡単に割れずに、打感も良くなり飛距離も出る。
さすがに、現代のツーピースボールやスリーピースボールで固めのボールでは、フルショットするとヘッドが破壊されてしまう可能性が高いが、女性用の極柔らかいコンプレッションのボールか、残っている糸巻きボールでかっての「飛ばしへの憧れ」の遺産を楽しむことが出来る。

パーシモンを使わなくてもいいから、現代のゴルフでもたまには本能に任せて「ぶっ叩く」ゴルフだってやってみるといい。
72の数字を気にするゴルフなら、「正確に刻む」利口なゴルフも「あり」だけど、たまには72の数字を気にしないで、コースとのマッチプレーのつもりで「力の限りの一撃」でぶっ叩いて戦ってみるのもいいんじゃないか?

これは18世紀、19世紀からずっと続いている、ゴルファーの「最大の喜びの追求」なんだから。


img_0-104

「インパクトの後は、ヘッドを低く出してボールを追え!」...バイロン・ネルソン。

バイロン・ネルソンは、ツアー52勝(うちメジャー5勝)を誇り、1945年には11連勝を含む年間18勝という記録を残した名ゴルファー。

「近代スイングの生みの親」とも言われるそのスイングの特徴が、これ。
そのためには、両膝の関節を柔らかく使う必要がある(いわゆるニーアクションというやつ)が、これは我々レベルには結構難しい。
普通のアベレージゴルファーにとっては、意識すると「左右にスウェーしっぱなし」にもなりかねないので、深く考えてもしょうがない。
逆に右膝や左膝がのび切っちゃあダメだ、ということなら意識できるけど。

何よりも我々に役に立つのは、インパクトの後すぐに「ヘッドを上げて行く」動きは絶対にダメということだろう。
アイアンのショットは当然ながら、ヘッドを低く出して行かなければ、ほとんどがミスショットになる。
ティーアップしたボールならたまに当たるかもしれないが、「すくいあげる打ち方」に未来はない。
意識は「下に向かって打つ」のが正しいという事に異論はないだろう。

問題は、ドライバーのティーショット。
よくレッスン書には「アッパー軌道」で打つ、と書かれている。
だから「遠くへ飛ばしたい」とか「高い軌道で打ちたい」とかいう意識があると、アベレージゴルファーは思いっきりアッパーにボールをカチ上げようとする。
するとほとんどのゴルファーは、右に重心を100パーセント残して終わる「明治の大砲」になったり、「左肘を曲げ右手ですくい上げる」窮屈スイングになったり、右肩を思い切り低くして左肩を伸び上がらせたり、シャフトが寝てしまったり...
結果、ダフり、天ぷら、チョロ、大スライス、ダグフック、果ては空振り迄もしてしまう。
偶然真っすぐ当たっても、ほとんど距離が出ない結果となる。

そんな時に、このバイロン・ネルソンの言葉を思い出してみよう。
インパクトの後、低くヘッドを出して、ボールをヘッドが追いかけるイメージを持つのだ。
こう考える事で、右肩が下がりすぎたり、シャフトが寝たり、左半身が伸び上がるのを防ぐ事が出来るはず。
インパクトゾーンが長くなり、方向性が良くなるだろう。

ただし、ボールを追おうとするあまり、飛球線に沿って真っすぐに「どこまでも」ヘッドを出して行こうとしてはいけない。
ヘッドはインパクトからボールを追いかけた後、左に振れて行くのだ。
このためには左肘を真っすぐ出し続けないで、インパクト後にたたんで行くイメージを持てばいい。

本当のバイロン・ネルソンのスイングは、素人には真似できるものではないけれど、ちょっとした時にこんなイメージが結構役に立つ。
一度、練習場でお試しを。

img_0-103

「真っすぐにボールが飛んだのは、ただの偶然だ。」...ベン・ホーガン。

ゴルフというゲームは、人間が自分の手で一番遠く迄ボールを飛ばすスポーツだ。
飛ばす人で300ヤード以上...300メートルもボールは飛んで行く。
普通の人だって、200ヤード以上...つまり200メートル前後は飛ばす事が出来る。

100ヤード以上飛ばせば、ほぼホームランとなる「野球」に比べて、倍以上の距離をほとんどの人が飛ばせるのだ。
それこそゴルフの一番の魅力でもあり、そのボールが飛んで行く「浮遊感」に人は惹き付けられる。

ただし、そこがゴルフの魅力でもあり一番の悩みでもある部分。
「飛ばせば飛ばす程、ボールは曲がりやすくなる」のだ。
100ヤードだったら1ヤードの曲がりだったものが、200ヤードでは10ヤードも20ヤードも曲がる事になる...科学的な問題だけでなく、「飛ばしたい」という欲がもっとたくさんの曲がりを生む。
当然、ゴルフに熱中した人は「曲がらないよう」に練習する。
毎日毎日沢山の球を打ち、いろいろな教本でスイングを勉強し、「曲がりにくいクラブ」や「曲がりにくいボール」を探し続ける。

そこに、このベン・ホーガンは「間違いがある」、と言っている。
真っすぐ飛んだのは偶然だ...つまりボールは曲がるものだ、と。
ベン・ホーガンの時代、ドライバーはパーシモン。
フェースにはロールとバルジがあり、ボールは柔らかいバラタボール...確かに真っすぐに飛ばすなんて無理だとも思える。
それに比べると、今の時代はドライバーのヘッドは大きくなり慣性モーメントが増し、ボールも回転数をおさえたものもあり、「真っすぐに」飛ばし易くはなっている。
...だからと言って、200ヤード以上の距離を曲がる(つまりボールに横回転をかけずに)事無く、真っすぐに飛ばすなんて事は、常識で考えれば、ほぼ無理。

ではどうすればいいか?
「曲がる方向を決めた球を打つ練習をしろ!」と、ベン・ホーガンは言う。
つまり、自分の「曲がる」持ち球を練習で鍛え上げるのが一番いい、と。
右回転のスライス、左回転のフック、どちらかを自分の持ち球にして、それを練習で完全に自分のものにする...そのほうが「真っすぐな球を打つ」よりずっと易しいし、スコアアップの一番の近道になるということだ。
そういう自分の持ち球を作るという事は、「絶対に左に行かない」とか「絶対に右には行かない」という自信を持つ事になる。
それはコース攻略で、大変な武器となる...だから、「曲がる球」を打つ練習をしろ、と。

真っすぐな球を打つ練習ばかりしていると、コースでは必ず右にも左にも曲がる球が出る。
偶然にしか出ない「真っすぐな球」を追い求めている限り、練習場シングルにはなれてもコースで良いスコアは出せる訳が無い、と覚えておこう。

どうせほとんどの人がへそ曲がりなくせに、ゴルフにだけ「真っすぐ」を求めるなんて...チャンちゃら可笑しくて、へそで湯を沸かせるわ! って(ベン・ホーガンは言ってないけど)、思わない?
へそ曲がりはへそ曲がりらしく、曲がるボールの練習、だ(笑)。


↑このページのトップヘ