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「40歳、50際、60歳の頃を『もう?』と考えるか、『まだ?』と考えるか」...中島常幸。

たまたま、実際にこういう事を言った人物として中島常幸プロの名前が出て来たけれど、何回もいろいろな人の言葉として聞いた事がある。
中島プロにとっては、シニアの年齢になる50歳の時の感想で「まだシニアでやれる」どころか「まだレギュラーでもやれる」とさえ思った事だろう...実際にその後両ツアーで実績を残しているし。

この「もう?」と「まだ?」、誰しもが感じる事だと思う。
その年齢の「大台に乗ってしまった」という感慨だ。
でも自分の経験から言うと、その時にはあれほど高く聳えるように見えた「年齢の壁」が、次の年齢の壁の時には本当に大した事のない低い小さな「柵』に過ぎなかった事に気がつくものだ。

40の壁の時には、「若者」の終わりを感じた...もう馬鹿な事は出来ない、「若気の至り」で許される時代は終わった。
昔の人は「不惑」とまで言って、もう迷いも無く「大人」としての無く風格まで持たなくてはいけない年齢になってしまった、と。
...とんでもない!
40過ぎたって、気持ちはガキのまんまで、道は迷いっぱなし、考えは浅はかで何処に大人の味なんかが出るものか....
今にして思えば「もう?」なんてとんでもない!
「まだ、まだ、まだ!」って事間違い無し(笑)。

50の壁...「青春」の終わりを感じた。
昔見たハリウッド映画で、「人魚」の幻を見る男の話が印象に強い。
その男にしか見えない人魚の存在は、「青春」の終わりを痛感する男の心が生み出したものだったと言う...もう50歳なのだから完全に自分の青春は終わるんだと言う「淋しさ」から。
だけど、後から思うと「50歳なんてまだ洟垂れの若造だ!」って事がしみじみ判る。
だって、悟りなんか全然無縁のもので、俗物煩悩何ら変わりはなかったし(笑)。
人生「まだ、まだ!」だって。

さて60の壁。
困ったものだ...だって、俗物のまんまだもの。
考えてみれば歴史上の人物なんて、ほとんどが60前に死んでいる...昔の時代なら普通は寿命がもう来ている訳だ...ああ、それなのにそれなのに。
客観的にもう「ジジイ」なのに、どうしよう。
「もう?」と思っているのに、「まだ」ってどこかから声がする。
あるコンペで八十過ぎの老ゴルファーに、「60歳なんて、俺から言わせたらまだまだ若造よ!」と鼻で笑われたのが記憶に残る。


いっそこのまま、死ぬまで「まだ?」と言うのもいいかもしれない。
だって、「もう?」と考えて、いい事一つも無いじゃない。
70歳でも80歳でも、いっそ90歳でも「まだ?」...てか(笑)。

「まだ、まだ」人生、なんにも判らん事ばかりだし。