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「紳士のスポーツがゴルフなのではない。ゴルフが紳士を作るのだ。」...バーナード・ショー

これは昔ゴルフを始めた頃に聞いてメモしていた言葉だが、改めて調べてみると、久保田滋氏の編集した「ザ・ゴルフ」(出版芸術社)に
「ゴルフが紳士淑女のスポーツだとする意見には反対だ。ゴルフをやる事で、紳士淑女になるというなら賛成だ。」...バーナード・ショー
という言葉があった。
多分原文はこういった意味だったのではないかと思う。

自分がなぜ30代半ばまでゴルフをやらなかったかというと、当時知り合いにゴルフをやっている人がいなかったためと、テレビや新聞等で見かける「ゴルフ」のイメージが酷く悪かったからだ。
テレビでは、レッスン番組みたいなもので「ゴルフ」を見かけたが、どこぞの社長やら重役やらのお年寄りが、何とも珍妙な格好でボールを打ち、力なく飛んでいくボールを「ナイスショット!」とか言ってプロもおべっかを言う...それはなんだか、「功なり名遂げた成功者達」が散歩気分で「紳士ごっこ」を遊ぶ球遊びか、みたいな印象だった。
そして、テレビなどニュースでよく「緑の待ち合い」とか言われていた。
政治家なんかがゴルフをしながら、誰にも聞かれずに「密約」をしたり「共謀」を測ったりする場...それに加えてその「待ち合い」なんて言葉には、淫靡で何やら怪しげな印象があったし...

それが、実際にプレーしてみると...これは「さすがイギリス発祥」の凄いゲームでありスポーツだった!
それは山登りやロッククライミングに似ていて、「日々同じ条件のない自然を相手に、自分の持てる限りの技術と情熱と頭脳で、最善の攻略ルートを見つけ出し、どんなに不運とアクシデントに見舞われようとも、決して諦めずに耐えて目的地にたどり着く!」...
おまけにその凄さの極めつけは、「審判がいない!」。
いくらでもインチキもズルもし放題...どこの場面でも堕落への誘惑の手が伸びてくるのだ!

こんなものは他にはない。
これに惚れ込んで熱中するものが、外見はともあれ「心は立派な紳士」にならないはずがない。
だからこの言葉が心に響く。

...ただ、これに耐えた上でも「悪魔」は誘惑の手を緩めない。
スコア..つまり数字の誘惑だ。
ゴルフはあくまでスポーツでありゲームであるのだから、最終的に数字で優劣あるいは順位を競う宿命がある。
そして熱中するあまりに数字にすべてを賭けるようになると、いろいろなものを逆に失う事になる。
数字にだけ拘るとゴルフというのは、鈍感で残酷で冷酷、打算と卑怯さ、自分勝手で唯我独尊、力と自然破壊、「数字さえ少なければ、誰よりも偉い」「より少ない数字で回る事が出来れば、なにをやっても良い」と言う醜い存在を生み出す事になる。

...我々はゴルフを楽しんで「心の紳士」になりたいと願う。
己自身の弱さと醜さ、自己嫌悪と後悔と反省と懺悔の気持ちに打ちひしがれながらも、精一杯の痩せ我慢と空を見上げて胸を張り、緑のフェアウェイを歩きたいと思う。
見た目はボロボロでも、「俺はお天道さんに顔向けて歩いて行けるぜ」ってね。


くれぐれもスコアの誘惑に負けて、努力した結果「嫌な奴ほどゴルフが上手い」なんて忌み嫌われるような存在にならないようにね。