ゴルフの名言勝手に解釈  (渡辺隆司のゴルフブログ)

過去から今に伝わるゴルフの「名言・格言」を、勝手な解釈で描いて行きます。 読んだ結果、多分、ゴルフが上手くはなりません。 でも、ちょっと良いゴルファーにはなれるか、と。 もちろん責任持ちませんが。 (イラストの無断使用はしないで下さい)

2017年09月

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「ロングパットが入る時は、「強く打ち過ぎた」と思う時だ。臆病なパットにチャンスはない。」...アーノルド・パーマー。

パーマーと言えば「go for break!」を合い言葉に、所謂「パーマー・チャージ」でコースを攻めまくって絶大な人気を博して、今の世界的ゴルフブームの礎を作った名ゴルファー。
そんな人物だからこそ、せっかくのチャンスにも関わらず「届かない」パットをするゴルファーが気になってしょうがなかったんだろう。
...「臆病なパットにチャンスはない」は、厳しい言葉だ。
この考え方は、かの老雄トム・モリスの「never up,never in」「届かなければ入らない」の言葉と同じ、パットはともかくカップまで届くように打て、というのが基にある。

確かに、せっかくいいショットやアプローチを打ちながら、カップに届かないパットを打つゴルファーを見ていると他人事ながら苛つく事がある。
「ショートして入らないパットも、通り過ぎて入らないパットも同じだろう?」
「命までかかっている訳じゃあるまいし、なんでもっと強く打てない?」なんて...
必要以上のビビりパットなんて見た日には、ゴルファーの人間性にまで疑問を持ってしまう。
(自分でショートした場合なんて、自分の人間性に疑問を持っちまって困ってしうまう)
そんな事を先輩ゴルファー達も感じて来たからこそ、以前に書いた「バーディーパットをショートするような人間と友達になるな!」なんて言葉が伝えられて来たりしたんだろう。

しかし、最近面白いと思うのはオープンコンペで一緒になるようなカップルの人達を見ていて、夫婦、恋人、友達関係、いずれの年代、職業に関係なく、女性の方がカップに届く強気のパットを打つ事。
総じて、男の方がショートする事が多い。
とんでもないノーカンパットは別として、きっちり30センチ以上オーバーする「男前」のパットをするのは、老若関係なく女性が多い。

何とも潔くパットを打って来て、返しを平気で入れる「男前」の女達!
それに引き換え、1メートルのパットでさえビビってショートして、それをまた外す男達!

世に言う「草食系」の男と、「肉食系」の女達ってことか?

...おーい、苦労してるのは判ってるけどさ、ショートする男達(俺も含めて)...一度「強く打ち過ぎた」と思うほど打ってみろよ、そのパット。
アーノルド・パーマーばりの、強気のパットだ。
多分そんなつもりで必死に打ったパットだって、やっとカップに届くくらいなんだろうけどさ。

...情けないぞ男達、女達にばかり「男前」のパットを打たせているのは。

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「ゴルフのコレクションとは、ゴルフという「狂気の世界」の中のもう一つ特別な「狂気の世界」である)...ジョゼフ・マードック。

このジョゼフ・マードックと言う人は、「ゴルフ収集家協会」(GCS)の創立者。
自らの趣味の事を「狂気の世界」と言うのだから、その情熱たるや常人の想像を遥かに超えたものだったろうと想像出来る。
この「ゴルフのコレクション」というもの、自分でも思い当たるのはクラシッククラブやボールという「道具のコレクション」。
ゴルフというものにある程度熱中してくると、ゴルフの歴史やゴルフ史上の名プレーヤーの逸話などに興味が湧いて来て、同時に彼らの使っていた道具にも興味が湧いてくる。
勿論、性能的には圧倒的に現代のクラブの方が上なのは間違いないし、あらゆる科学的な研究の結果を体現した今のクラブは、機能的な美しさでも昔のクラブとは比べ物にならない。

しかし、スコア以外のものにも興味が向き始めたゴルファーは、例えばほんの少し前まで使われていたパーシモンヘッドのドライバーの美しさに魅了されたりする。
その一本一本手作りの、ベテランの職人が丁寧に造り上げたクラブには、コンピューター制御で量産された機械的な現代クラブの冷たさの対局にある、温かく情緒的な佇まいを感じるはずだ。
そしてもっと昔の、「時代の名器」と言われたマグレガーやトミー・アーマーのパーシモンドライバーなんかを見てしまうと、その美しさはまさに美術工芸品と感じる事だろう。
そして、それを自分のものとして飾ってみたい、撫で回してみたい、なんて思ったとしたら、もうあなたは「狂気の世界の中の狂気の世界に嵌り込んでしまった」という訳だ。
アイアンも同じ...性能的には今のアイアンの製品管理の方が行き届いているのは当たり前。
しかし、クラシックアイアンはその材質や「無駄」としか思われない装飾にも、単なる道具以上の「何か」を感じさせるものがある。

...そんな道具に興味を持って、一つでも手に入れてしまうと...もうその病気からは逃げられなくなる。
と言っても、本人にとってはそのコレクションは趣味の世界を広げ、独りの時間を充実させ、仕事や実生活がたとえ順調ではなくても心の平安を得る事の出来る、実に有意義なものなんだけど...

道具の次に多いコレクターは、「本」...つまりゴルフ関係の「古書」を集める人達。
でも、これは日本にではあまり価値あるものは多くないので、どうしても本場英国やアメリカの「古書」集めになる...つまり、英語をある程度自由に出来ない人には敷居が高い。
他に多いコレクションは、切手、古画、スコアカード、人形、マーカー、著名ゴルファーのサイン...等々。

残念なのは、この趣味に対する理解者が少ない事。
特に家庭に置いては、資金面でも場所の面でも同居人の理解及び許可を得る事は至難の業となる。
酷い妨害に会う事さえ多々ある...個人の趣味、特に「コレクター」と言う種類の人々は他人には理解され難いものなのだ。 

面白いのは何人か知っているこういう人達、それほど上手い人は多くない。
ラウンド数だって決して多くは無く、せいぜい月1がやっとのゴルファーが多い。
腕だって、上手い人でせいぜいハンデは8〜9、一番多いのは15〜23くらいのアベレージクラス。
なんかコレクションに情熱を向けた結果、技術を上達させる方向にはあまり情熱がなくなってしまったみたいに見える。
...まあ、普通の稼ぎの人の場合は、「小遣いをコレクションに回してしまった結果ラウンドする資金がない」というだけなんだけどね。


でも、幸せそうなゴルファーばっかりだ(笑)。


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「ゴルファーにとってもっとも大事な事は、驚くような素晴らしいショットを打つ事ではなく ミスを一つずつ着実に減らす事である」...ジョン・ヘンリー・テイラー。

間違いなく真理だ、どうしようもなく正解だ...それだからこそ、我々凡ゴルファーには耳が痛い。
まあ、ゴルフに限らず「世の理」って奴は総じて面白くないし、当たり前だし、「そんな事はとっくの昔から知ってるわい!」とでも言いたくなるしろもんだ。

「ミスを着実に減らす」にはどうすればいいか...これは地道な練習を積み重ねて、どんな場合でも同じようにスイング出来る、つまりより再現性の高いスイングをゴルファー各々が造り上げるのが一番。
その上で、コースに出た時に「自分に合った」「より安全な攻め方」を考える。
そして、ミスの可能性のある冒険をせずに、自分の出来る範囲のショットで、見栄えが悪くてもより確実な方法を選んでそれを守り通す。
もしミスした時には、再び同じミスをしないように、より易しい打ち方でより易しい攻め方を選択する。
これをやり続ければ、そのラウンドは自分の実力にあった「つまらないミスの少ない」それなりのスコアで回れるのは確実だ。
...こういう攻め方(ラウンドの方法)は、少しゴルフをやって来た人なら誰でもわかっている事だと思う。
先人の名言は、間違いなく正しくて参考になる。

なのになぜ、みんなこの先人の言う通りにラウンドしないんだろうか?
池があれば越えたがり、コースが曲がっていればショートカット狙い、フェアウェイが狭くたってドライバーをぶん回し、バンカー越えのピンはデッドに攻めたがり、奥歯や腰がぶっ壊れるほど力を入れて攻めまくる...

...「面白くない」のだ、先人の言う通りのゴルフは。
我慢して、耐えて、冷静に計算して、気持ちを抑えて安全第一...そんなことは普通の人は実生活でさんざんやって来ている事だもの、ゴルフコースでまでそんな事したくないんだよね。
たとえ確率5割を切っていたって、10割ダメな訳じゃない...命までとられる訳じゃない、一か八か、行くかやめるかなら「行っちまえ!」だ。
プロだって躊躇する様なトラブルでも、「まず安全に」なんて言葉は頭からこぼれ落ちてる。
そんな超難易度トラブルショットでも、我々凡ゴルファーのノー感出会い頭ギャンブルショットがたまに上手く行っちまう...そんなスンバらしいショットが打てた(単なる偶然ラッキー使いまくりショットなんだけど)日には、「もう、スコアの多少は関係ない!」になっちまう。
そう、「自分で信じられないような素晴らしいショット」が打てると、スコアよりも報われた気持ちになるゴルファーが実に多いんだ。

だから「このままじゃいけない」と思った凡ゴルファーは、その「快感」をまず捨てる事。
コースに出たら、「坊さんの修行」のような気持ちで、淡々と「ミスを減らす」ゴルフに徹する事。
そうすれば、絶対にスコアは良くなる事間違いない。

我々にとって、ゴルフってのは「気持ちが良くてスコアが悪い」か、「ストレスが溜まりに溜まるがスコアは良い 」の二択なのだ。

さあ、どっちにしたい?
...御同輩。 

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「優柔不断な人はプレーが遅い、卑怯な人は言い訳が多い、教養のない人はスコアをごまかす」...ウィリー・パーク・ジュニア。

厳しい言葉だ。
極極少数の優秀なゴルファー以外は、少しはこの言葉に思い当たるところがあるだろう。

スロープレーヤーは、自分ではそう思っていない人が案外多い。
実際にスロープレーと評判の人に聞いてみると、自分がプレーが遅いと思っている人は殆どいないのに驚く。
クラブの月例などで、あからさまに「あの人と同じ組になりたくない」なんて嫌われている、評判のスロープレーヤーが「自分のプレーは遅くない」と思っていた、なんて事は何度も経験がある。
考えてみれば、自分で「自分はプレーが遅いかも..」なんて思っている人は、プレーを速くしようと思うのが普通だから、スロープレーヤーというのは「自分の遅さにも気がつけない、鈍感で優柔不断な、だらしない無自覚な人」だと言える。
...気がつくと前の組と間が空き、後ろの組が待っている、なんて状況が結構あるという人...「君はスロープレーヤーかなのだ」、気をつけよう。

言い訳が多い...これは自分も思い当たる。
大体「事情を説明する」なんて事を普通にやってしまうのは、これ全て「言い訳」と言えるし、プレーを振り返ればみんな言い訳になりかねない。
場を柔らかくするためにとか言って、あれこれ説明するのも結局「言い訳」の一つに間違いない。
俺は思い当たる事が結構ある...つまり、自分は「卑怯者」なのだ...反省しなくちゃ。
せめて、言い訳じゃあなくて「自分を笑う」という芸風にしなくちゃね。
...気をつけよう、自分!

スコアをごまかす...これは論外だろう。
実際に「普通にスコアをごまかす」なんて話は、「会社の接待ゴルフで、相手の偉いさんがそうだった」とか、「会社のコンペでいつもスコアをごまかす上役がいる」なんて事を聞いた事があるけれど。
そういう話もよく聞いてみると、単に「オーケーです」と言われたパットを数え忘れていたり、ワンペナとツーペナとを間違えていたりという事で、悪意や不正をしている気持ちがなかったのが殆どだろう。
たまに「あの人は林に打ち込んで、木に当てたりしていても必ずダボ以下のスコアを言う」なんて評判の人がいるけど...こういう人は、もうみんなに「インチキやる人」と知れ渡っていて、「学歴はあっても教養のない人」だと認知されているから構わなければいい。
こんな奴は、近いうちに誰も一緒にプレーする人がいなくなるから、ゴルフも続けられなくなる。
問題は、自分でうっかり数え間違いをしてしまう場合...くれぐれも少なく言わないように気をつけなければいけない。
沢山打ってしまったOB、池やロストがらみのホール、出なかったバンカー、お先にを外したりカップに蹴られてくるくる回ったグリーン、念には念を入れて数えてわからなかったら他人に聞き、それでも「自信がなかったら多めに言って置く事」、だ。



う〜〜ん、俺は元々いい人間じゃないから、いいゴルファーになるってのは本当に大変だ、やっぱり(笑)。

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「年をとったら『打ち』にいってはいけない しっかり大きく『振り抜く』だけだ」...サム・スニード

サム・スニードは「ナチュラルスィンガー」と言われた天性のスウィンガーだったけれど、年をとってもその飛距離が落ちないゴルファーでもあった。
その秘訣とでも言うものが、こんな言葉になったんだろうと思う。

若い頃は全てのパワーをインパクトに集中するスウィングで、十分に飛ばせるかもしれない。
それは下半身のパワーも腕から上半身の筋肉も、背筋腹筋に所謂「コア」の筋肉も全ての筋肉の瞬発力をインパクトの瞬間に解放出来る...運動神経も体力もそれに耐えられるからだ。
しかし、年をとることでの下半身の衰えや運動神経の衰えは、インパクトの瞬間に解放出来る力を若い頃より段違いに少なくさせてしまう。

だから年をとるごとに急速に飛ばなくなった、と感じる人はインパクト重視の「打つ」スウィングの人である事が多い。
騙されたと思って、(インパクトを忘れて)大きく振り抜く事だけを考えてスィングしてみるといい。
そのまま、ボールの事なんか気にしないで大きく振り抜いて打ってみるといい...ボールを意識するとどうしても打つスウィングになるから、ボールを見ないで。
ちゃんとボールに当たった時には、「打つ気」でスウィングしたときよりも「いい球」になっていないだろうか?
「打つスウィング」の人はボールを見ないと不安になるだろうけれど、ゴルフを長年やってりゃボールなんか見る気がなくても結構フェースに当たるもんだから大丈夫。

考える事は「振り抜け!」「振り抜け!」だけ。
ただ、年をとると若い事のように完全に肩が回りきったフィニッシュなんて取れなくなっているんだから、奇麗なフィニッシュなんかを考えなくてもいいと思う。
ただ、「ボールのあるところを通り過ぎるように大きく振り抜け!」だ。

道具、ドライバーも本当は「振り抜きやすい」ドライバーにした方がいい。
インパクトでガッツンと「打つ」ためのスペックと、スパッと振り抜くためのスペックは当然違ってくるだろうし、「打つ」気をなくして「振り抜く」気にさせてくれるスペックというのも当然あるだろう。
それはそれぞれ個人の体力と好みに合わせて、ともかく「振り抜ける」ように,,...

そうして、50才になっても60才になっても、70才になったって「若い者より飛ばしてやる!」なんて気になりゃ面白い。
なんたって「飛ばしっこ」は男の本能、子供の頃のおしっこの飛ばしっこ以来負けりゃ口惜しい男のサガなんだから。

さあ、諦めるのは死んでから。
ドラコン目指して、入れ歯が外れるくらい振り抜いてやろうじゃないの...俺、入れ歯ないけどね(笑)。

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「いつも 『今日しかない』と考えてプレーしている」...ジャック・ニクラス。

以前に書いた、チャールズ・チャプリンの「Next is best」と正反対の言葉のように見える。
しかしあれは、何度ゴルフの魔女や女神にいたぶられ、からかわれ、笑いものにされようとも、決して諦めようとしないゴルファー達の「不屈の精神」を表した言葉...ゴルフの魅力を語った言葉だ。

そしてこれも、ゴルフの本質的な魅力と楽しみ方を語った言葉だといえる。
ゴルフというゲームがなぜこんなに面白く、飽きる事なく長い時間楽しめるのか...なぜ殆どのゴルファーが(経済的な事情でプレー続行が不可能になった人を除いて)、身体が動く限りゴルフを続けるのか?
...それはゴルフが、「一期一会」のゲームだからなんだと思う。

ゴルフというものに、全く同じショットは二度とない。全く同じ条件でプレーする事は、絶対にないゲーム...(「play as it lies」と言うゴルフの基本精神でプレーする限り)一打一打がライが違い、景色が違い、自然条件が違い、自分の身体の具合が違い、心の有り様が違う...そしてそれらの要素が、面白いようにボールに反映されるゲームなのだ。
同じコースで、同じような天気の時、同じ時間帯に何回プレーしても全てのショットが全て違う。
言い換えれば、全てのショットが「その時だけ」の「たった一度」の「一期一会」のショットという訳だ。

真剣にプレーすればするほど、毎回のショットは新鮮で変化があって、頭も身体もフルに使って対処しなければならない深みがある。
やればやるほど熱中するのは当たり前だ。
...ただ、ゴルフの神様って奴はへそ曲がりで意地悪で、浮気者で気まぐれで、皮肉屋で悪戯好きなもんだから、我々にこれ以上ないくらい惨めで悲しく絶望的な思いを繰り返し味わわせる。
それも、より正直で誠実にプレーしている人を選んで狙い打ちをしているように、だ。

しかし、これで「投げて」はいけない。
ゲームを投げてしまったら、ゴルフの楽しみをより深く知る機会を捨ててしまう事になる。
(絶望から再起する事こそゴルファーの楽しみの真骨頂とも言えるんだから(笑)。)
「NEXT IS BEST」は、ゲームを投げなかったゴルファーが言う権利のある言葉。
投げてしまった人間には、次のゴルフを語る資格はない。

だから、ゴルファーは何時だってニクラスの言うように「今日しかない」と考えてゴルフをプレーするのがいい。

多分、そんな気持ちでラウンドすれば、池に映る空の色だって、フェアウェイ脇のラフに咲く花だって、OB杭の向こうから吹いてくる風だって、コースに流れる雲の影だってゴルフと人生をきっと豊かにしてくれるから。

「ゴルフ」と「人生」、どちらも「一期一会」だからこそ、面白い。 

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「レッスン書が増えるたびに 窒息するゴルファーが増えて行く」...ボブ・マーチン。

薄々感じてる人も多いだろう。
ゴルフスイングの新しい理論や、練習法や、チェックポイントなどの「評判になる」レッスン書が発売される度に、なんだかゴルフってものが複雑になって行くように思えてくること。

確かに「新しい」レッスン書には、「おおっ!」と思えるような内容が含まれている。
思わず「そうだったのか...」と、目の前が開けたような気にもなるだろう...
だが殆どの場合、しばらく実践していると「あれ?」と気がつく事が色々と出てくる。
「これは、前に呼んだあの本と同じ事じゃないか?」「これは、今まで練習して来た事と全く逆の事言ってるけど、これでいいんだろうか?」

ゴルフってゲームは、そもそも「地面に転がっているボールを、棒切れで遠くへ正確に飛ばそう」っていうゲーム。
こんな動きは人間の本来の身体の作りや自然な動きに逆らうものなのだ...だから、自分の本能のままに動くと、まずろくにボールに当たらないのが当たり前。
おまけになんとかボールに当たるようになると、今度は「本能的な動き」「自然な動き」は「行って欲しくない方向」へボールを打つ結果になると言う、ゴルフスイング最大の問題に直面する事になる(右の池を嫌がると右へ飛び、左のOBを嫌がると左にボールが行くと言う現象)。
だから動きに制限を加える。
例えば「頭を動かさない」「スエーしない」「肩を上下動させない」「脚をばたつかせない」等々...これらは、実は地面にあるものをなんとかしようと思った時に自然に出る動きを止める事でもある。
それに、普通の反応として「行って欲しくない方向から身体を背ける」なんて事も、結果として気持ちと反対の方向へボールを打つ事になる不思議を理解する等々。
...つまり、古来人類が育んできた自然な動きに反する「不自由な動き」こそが結果として正解、そしてそれがゴルフのスイングだと言う事を理解しなくてはいけない。

そんな不自由な動きを身体に覚えさせてボールを打って遊ぶには、まず大事なのが何度でも同じ動きが出来るように「再現性の高い動きを身につける事」。
これが一番大事だという事は古のゴルファーにも判っていたために、昔からゴルファー達はその習得に努力した。
結果、それぞれ自分の身体や心の特性に応じて、個性的だけど自分には再現性の高いスイングを時間をかけて身につけて行った。
で、その努力の過程をなるべく省いて、合理的で再現性の高いスイングを短い時間で身につけさせようというのが現代の世に数あるレッスン書の目的だ。

だが、多過ぎる。
どれも最終目標は同じはずなのだが...例えば「フッカー」と「スライサー」は逆の動きをしている。
例えば、身体の硬い人、柔らかい人、太った人と痩せた人、力持ちとひ弱な人、背の高い人や低い人...そのそれぞれが違う悩みがあるのを、どのレッスン書が救えるか?
世に出ている膨大な数のレッスン書の海から、まずは自分に必要なレッスン書を選ぶためのレッスン書が必要なんじゃないか...と思えるくらい正解を探すのは大変だ。
探しまわっているうちに、ゴルフそのものに窒息してしまう人も出て来るだろう。

窒息しない為には、新しい情報に流され過ぎない事、近道を狙っての浮気を繰り返さない事、簡単に上達する方法は無いと知る事、長く遊ぶ為には時間と金がかかると割り切る余裕を持つ事。
そしてこんな試行錯誤の全てが、「ゴルフの楽しみのうち」と心底思うこと。


貴方が良いゴルフ人生を送れるかどうかと言うのは、レッスン書とは全然関係ない事なんだから。


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