ゴルフの名言勝手に解釈  (渡辺隆司のゴルフブログ)

過去から今に伝わるゴルフの「名言・格言」を、勝手な解釈で描いて行きます。 読んだ結果、多分、ゴルフが上手くはなりません。 でも、ちょっと良いゴルファーにはなれるか、と。 もちろん責任持ちませんが。 (イラストの無断使用はしないで下さい)

2017年08月

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「私はアイアンを力一杯打たない事によって 成功したのだ」...ボビー・ジョーンズ。

アイアンを力一杯打たない。
つまり、アイアンをフルスィングしない、という事だろうと思う。

ゴルフを始めた頃に、ある先輩ゴルファーに言われた事がある。
「アイアンを打ち終わった後に、フィニッシュでよろけるようなスィングはしちゃあいけない」
…同じ事だろう。
よく言われるアイアンショットの名言に、「アイアンは八分ショットがいい」とか「長いクラブを軽く振れ」なんて言葉がある。
これは、わかりやすい言葉なんだけど、実践するのは結構難しい。

「八分ショット」?...これがハーフショットだから、これくらいか?...いやあ、これじゃあ九分ショット?
結局、その度に飛び過ぎたり、ショートしたり...距離が定まらない。

「長いクラブを軽く振る?」...軽く振ろうとすると、ちゃんとボールに当たらない。
スウィング自体が緩んでしまって、きちんとフェースに当てる事さえ難しくなる。

ボビー・ジョーンズが言う「力一杯打たない」という言葉は、やはり「フィニッシュでよろけるほど力を入れない」ってことだろうと思う。
ショートホールでのアベレージゴルファーのスィングを見ていると、殆どの人が小さめのクラブを思い切り振っている。
その結果、フィニッシュで右によろめいたり左によろめいたり...明治の大砲になって後ろに下がる人もいれば、勢い余って前に2〜3歩動いてしまう人もいる。
勿論その結果、彼らはグリーンを外す事が多くなる。

そのかわり、明らかに上級者は、打ち終わった後その場でクラブを立てたまま球の行方を追っているような人が多い。

ボビー・ジョーンズほどのゴルファーがこんな言葉をわざわざ残すくらいなんだから、これに気がつく前には彼だって力一杯打って様々な失敗を経験したんだろう。
この「力一杯」ではないスィングの加減だけれど、ものの本によると「素振りくらいの力」でとも言うらしい...確かに、アイアンの素振りでフィニッシュでよろけるほど振る人は滅多にいない。
アイアンを打つ前には、ちょっとこの言葉を思い出して、大きめのクラブで素振りのような強さで打ってみるといいだろう。

そういえば、アイアン、特にロングアイアンでも軽く素振りのように振るプロのウィングに憧れたなあ。
ニック・ファルド、フレッド・カプルス、アーニー・エルス...あのコーリー・ペイビンでさえ、アイアンをフルショットしているようには見えなかった...
アイアンは「決まった距離」を打つクラブ、いわば「狙い撃ち」をするクラブなんだから、「力一杯」のスウィングなんて必要ないんだ、というボビー・ジョーンズの言葉...決して古くはない。

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日常の感動はひと眠りで忘れてしまうが、「完璧に打てたボールがイメージ通りに飛んで、ピンの根本にぴたりとついた」そんな瞬間は生涯忘れない...ピーター・アリス。

まあ、本物のゴルフ狂の言葉だろう。
ゴルフをやらない人には、とても理解出来ない言葉だ。
それなのに...年齢も行って知識も教養も、ついでに地位まであるような大人達が、こんな言葉に「うんうん」とか「あるある、そんなこと」なんてうなずいてしまうのがゴルフ。

普通なら「日常生活の中の感動こそ人生の喜びだ」とか「どこにでも感動することはあるし、ひと眠りで忘れるなんて事は無い」「そんなひと眠りで忘れてしまうような「日常」を送っている人間は不幸な奴」...なんていうのが当たり前だろう。
それなのに、「たかが遊び」の「たかがゴルフ」で、こんな事が「生涯忘れない」感動だなんて納得する「ゴルファー」なんて人種は、絶対に普通じゃない。

それが、ゴルフを始めて90を切るくらいになると、この言葉が実感として判ってくる。
ゴルフというものを始めると、始めは誰でもその「飛距離の魅力」に熱中する。
人間がやるスポーツで、人の力で「ゴルフより遠くに飛ばす」スポーツはないのだ。
誰でもが、その「飛んで行くボールの浮遊感」に酔ってしまう。
どうやったらもっと飛ばせるか、もっと美しく、もっと遠くに、あるいはもっと高く、あるいはこんな風な弾道で...結果が分かりやすく努力の成果も納得しやすい、「飛距離追求の道」だ。
勿論、そのまんま「飛距離=命」で、死ぬまで飛距離の追求を続けるゴルファーも多いんだけど、多くのゴルファーはやがてもう一つのゴルフの魅力に出会い「新たな感動」の追求を始める。
それが、「ピンに絡む球の感動」の追求。
どんな場所、どんなライからでも、青空を切り裂いて緑のグリーンに向かう白い球筋...難しいグリーンの難しいピンの位置に対して、デッドに打ち込んでぴったりとつけバーディーを奪う...
当然、そんなショットなんて極稀に(あるいはまぐれで)しか打てないもんだから、打てたら感動するし(スコアそっちのけでね)、忘れない。
少なく無い割合のビギナーを脱したゴルファー達は、そんなピンに向かっていく白い弾道を、イメージ通りに宙を飛ぶボールを夢にまで見るようになる。

実際自分もゴルフを始めてしばらくは、パーシモンドライバーのペーパーファイバーのインサートにドンピシャで当たった糸巻きバラタボールの打撃音と、低く出て宙を3段ロケットで駆け上がる白いボールの弾道の夢を見ていたんだけど...
すぐにゴルフの夢は、イメージ通りに宙を飛んでピンに絡むショットの夢に変わっていった。
勿論今でもゴルフで見る夢は「ピンに絡む白いボール」。


...つまりゴルフって奴は、こんな普通じゃない言葉に納得するくらい「日常生活の感動を薄くさせる程のレベルの」強い感動を与えてくれるゲーム、というわけなんだ。
そして、こんな瞬間はゴルフのレベルにあまり関係なく、ただゴルフの女神の悪戯心で体験させてくれる事も多い。

そんな感動の瞬間をまだ体験した事のないゴルファーは、ゴルフをやめるなら今のうちだ。
これを体験してしまうと、もう生涯ゴルフの夢から覚める事が出来なくなるから。 

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「自分が本当に上手くなったなあ、実力がついたなあ、と感じるのは、ボロボロになってしまったスタートのハーフを耐えきった時だ」...ある老ゴルファー。

偉大なプロや名手、有名人の言葉ばかりではなく、こんな無名のベテラン老ゴルファーの言葉も書いておきたいと思う。
同じような意味の格言には
「偉大なゴルファーには、酷いスタートをリカバーする能力がある」
なんて言葉も聞いたことがあるが、「偉大じゃない」我々凡ゴルファーには無縁の言葉として、無視。
...だって、我々がワーストスコアを更新するような時って、スタートの大叩きを取り返そうとしてどんどん無理攻めを繰り返し、結局あきれるほどの大叩きをして「もうゴルフなんてやめた!」になるんだから。

で、老ゴルファーの言葉。
我々は、とかく大事な試合のスタート3ホールくらいは、緊張と興奮と睡眠不足と自意識過剰と誇大妄想の混乱の中、自分が何をやっているのかわからない「此処はどこ? 私は誰?」状態でプレーしている場合が多い。
で、気がついたら(大体「我に帰る」のは4番ホールだ)、3ホールでハンデ使い切っていたり...

ここからだ。
無理攻めを繰り返すのは、結局試合を諦めて半ば試合を投げている場合が多い。
「ギャンブルショットで間違ってバーディーやイーグルが来たら、それから真面目にやればいい」...なんて、頭の中は思考停止に陥って、10に一つ100に一つの可能性しかない無謀な攻めを繰り返す。
こうなると、酷いミスの連続も堕ちて行く快感に似て、殆どマゾヒストの世界に嵌り込む。
自分では「ここからだ、ここからだ」なんて思おうとしても、口に出して「まだまだだ」なんて言ってみても、本心では「もう、だめだ」と思っている。

本当に真剣に努力しているゴルファーは、此処から粘る。
「過ぎてしまったことはしょうがない、ここから出来る限りのゴルフをする」と本心から考える。
ミスを避け、渾身のショットを打ち続け、細心のアプローチ、心を込めたパットを打ち続ける。
たとえ、スタートの3ホールで崖っぷちに来ていることがわかっても、必死の必死さでプレーを続ける。
カッコ悪くとも、みっともなくとも、絶対に崖から落ちるもんかとしがみつき、すがりつき、齧りつく...

そうして残りホールを耐えきれた時、それが本物の実力になる。
そのことで「ああ、俺は上手くなったんだ」と実感出来る。
...調子と運のいい時には、誰でも思ってもない不釣り合いな好スコアは出る。
しかし、そんなものは実力ではない...単にゴルフの神様の気まぐれに振り回されただけのこと。
本物の実力というのは、この老ゴルファーの言葉を実感出来るようなプレーが出来たときだ。

...自分でも、遥か以前「過去最高のプレーが出来た」と感じた時は、グロスでベストスコアを出したときではなく、調子が悪くてスタートホールでトリを打った後に、その最悪のショットのまま必死で耐えて残りの8ホールをパーで回れた時...「俺は本当にいいゴルフが出来た」と思った。
トータルでは大したことはないスコアだったけれど、一段上のゴルフが出来たと感じた。



...今じゃあ、崖からすぐに滑り落ちちゃうんだけどね。

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「ゴルフというのは、150ヤード飛ばそうと思って打てば50ヤードしか飛ばず、50ヤード打とうと思って打てば150ヤード飛ぶものだ」...作者不詳。

古来からいわれているゴルフの「名言」の一つで、ゴルフの上達の重要なポイント...スイングの「ツボ」、「コツ」だという。

思い当たるのは、我々殆どの凡ゴルファーでも経験したことがあるだろう...「刻もうと思って打ったアイアンは良く飛ぶ」ということ。

「池まで150ヤードです」
「じゃあ140ヤード打つなら大丈夫だね。140ヤードは8番だけど、念のために130ヤードしか飛ばない9番で刻むよ。」
なんて選んだ9番アイアン。
どうせ刻みなんだからと、軽い気持ちでビュンと振る。
いい手応えで、池の手前...のはずが行ってみるとボールが無い。
なんといつもの7番の距離を9番で打ってしまった、ということになる。
「そういえば、あんなに軽く良い感触のショットって、普段のアイアンのショットじゃあ経験したこと無かったな。」
...普通のアイアンのショットでは、練習場で確かめた(つもりの)自分の番手の飛距離を必死に打つんだけれど、殆どの場合ショートする。
自分では7番が150ヤードのはずなのに、その距離をきっちり打ったことなんて殆ど無い。
...150ヤード打つつもりで、大ダフリで50ヤードなんてのは結構あったりするのに。

しかし、9番で150ヤードなんて練習場でも打ったことが無いのに、こんな気楽な刻みの時にその飛距離が出てしまう。
自分が打ったのに、自分の飛距離が信じられない...なんかの間違いなんじゃないのか?

9番で150ヤード...事実が教えてくれているのだ、これが自分が一番良いスイングを出来た時の最大飛距離なのだと。
これは「無駄な身体の力が抜け」て「ヘッドを走らせた」結果、ちゃんと「ヘッドが仕事をした」自分の最高のスイングが出来たということ。
これはスイングの「極意」だ。
この実際に自分が打てたスイングをいつでも再現出来るようになれば、ゴルフがガラリと変わるはず。
こんな時こそ、そのスイングの感触を身体が覚えているうちに、絶対に自分のモノにするように練習するべき。
(そのスイングを2回に一回でも再現出来るようになったとき、ゴルフの実力は数段上のクラスに進化したとも言える。)

でもね、150ヤード打とうとして50ヤードしか飛ばないのはわかるけど、スッと無心で振ったスイングが意外に飛距離が出るというのもわかるけど...50ヤード打とうとして150ヤードは飛ばないんじゃないかい?
名人達は、いつも150ヤードを「50ヤード打つつもり」で打っていたのかね?

古来のゴルフの名人さん達に聞きたいんだ...俺はどうやっても50ヤード打つつもりで150ヤードも飛ばないんだけれど、スイングに欠陥があるのか...心にやましいことがあるからなのか?

50ヤードでいい、50ヤードでいい、って言い聞かせて打つと...
本当に50ヤードしか飛ばないんだもの。

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「ゴルフで大事なのは、力を抜くこと、ゆっくり振ること。 あなたの両腕には力が入り過ぎている」
...グレナ・コレット。

グレナ・コレットは1920〜30年代の、ゴルフ史上に残る美人ゴルファーとして有名な女性。

ゴルフの格言で「力を抜け」という言葉は、本当に沢山出てくる。
だが、この「力を抜け」ということは実に難しい。
勿論力を入れ過ぎて、体中がガチガチになってしまうのが悪いなんて事はみんな判っていることだろう。
しかし、そこで意識して「力を抜こう」と意識してスイングしても、いい結果になる事は殆ど無い...力を抜く加減も場所も、やり方がわからないのだ。
しかし、グレナ・コレットという美人ゴルファーは身長も160センチあまりで、残された写真を見ても女性として逞しいなんて言葉とは全く無縁な人のように見える。
そんな女性が『力を抜け』と言っている訳だから、我々が「普通に」スイングしようとしているつもりの力加減では、まだ強すぎるのだろう。

両腕もグリップも力を抜く...バイロン・ネルソンがこんな言葉を残している。
「スイングで本当に力が必要なのは、使ったクラブをバッグに戻す時だけだ」

使ったクラブをバッグに戻す時の力...思い当たるだろうか?
勿論、タイガー・ウッズがミスした後のクラブの戻し方を思い出してはいけない。
彼は虎を槍で刺し殺すくらいの勢いで、バッグにクラブをぶち込むんだから。

...普通に穏やかにクラブをバッグに戻す...あの力が最大だと言う。
それならグレナ・コレットが「あなたの両腕には力が入り過ぎている」というのも、意味が分かるだろう。

まあしかし、実際にやってみると難しい(笑)。
腕とグリップ、上半身と下半身、バックスイングとダウンスイング...バラバラに意識して考えると、とても出来たもんじゃない。
普通の人は力を抜いたつもりで振ると、いろいろな関節が緩んだだけの「タコ踊りスイング」になる。
飛ばないし曲るし気持ち悪いし格好悪い...スイングにリズムも締まりも全く無くなってしまう。
他に、力を抜いたつもりが単なるスローモーションスイングになってる人も多い。
力を抜いたら全然飛ばない、という人がこれ。

...正しく力を抜ければ、ゴルフの大事な何かをつかめる。
ポイントは身体の力を抜く目的が、「結果ヘッドに仕事をさせるため」と言う事。
つまり、練習で「身体の力を抜いてもヘッドスピードが上がり再現性も上がる動き」を追求するしかないんじゃないだろうか。
とりあえず、両腕の力を抜く事からはじめて。


毎回、練習場でボールを思い切り引っ叩いて気持ち良くなっていても、単なる欲求不満の解消にしかならないぞ。


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「結局、最後は神頼み」...ヘンリーコットン。

どんなに練習し、上達し、熟練の技と経験を持っていようとも、カップインするまでの一ホールのドラマの中で、ゴルファーは結局神に祈ることになるのだ...とゴルフを極めたような識者が言う。

...ゴルフの面白さ、深さの最重要な部分に「人の力ではどうにも出来ないラッキーやアンラッキーとの遭遇」がある。
もしゴルフというものが、ゴルファーがその努力と練習と経験で得ることが出来た力をいつも同じように発揮出来て、例えば何時もハンデキャップ8とハンデキャップ12のものが4打差で終わるようなゲームなら、人はこの遊びにこんなに熱中することはなかったろう。
ハンデ8のゴルファーがアンラッキーの連続で100を叩くことがあれば、ハンデ12のゴルファーがツキにツイてパープレーで回ったりするのがゴルフなのだ。

努力は報われることもあれば、報われないことも多々ある。
不思議なことに、全く努力が報われないゴルファーが「もう、ゴルフなんかやめた」なんて心の底から思った時に、信じられないラッキーがやって来て「ああ、ゴルフを続けて来て良かった」「もう少し続けてみるか」なんて思いをさせることは本当に多い。
そんなことをする「なにか」がいるのだ。
その他にも、思い当たることが多いだろうけれど、信じられないショットが出たとき、考えられないような難しいパットが入ったとき、奇跡のようなラッキーな状況に出会ったとき...殆どのゴルファーは「なにか」、つまり「神」の存在を感じるらしい。

勿論、ヘンリー・コットンにとっては、「神」は「キリスト」なり「天の父」なりの一神教の神だろう。
ある人にとっては、仏教の仏、ある人にとっては自分の先祖...
それぞれ譲れない自分の「神」を持つ人々は、ラウンド中それぞれの神様に「神頼み」をするんだろう。

自分は特定の宗教はない...かといって無神論者でもない。
よく考えてみれば、アニミズム...精霊信仰なんかが自分の感性に近いかもしれない。
樹齢千年も経つという大木や、厳かな山、海、空気、水の流れ、太陽、月、星星、花や植物等々...
生物、無機物に限らず、自分がある種の「畏れ」や「畏敬の念」を感じるものに「精霊」もしくは「神」のようなものが存在すると思っている。
そして、ゴルフ場には「ゴルフの神様」が住んでいると思っている。

だから、俺の神頼みするのは「ゴルフの神様」...
...無宗教の人が大部分の日本でも、ゴルフをやる人の中には「ゴルフの神様」を信じている人は多いんじゃないか。

ただ、この「ゴルフの神様」というのが、一筋縄ではいかない厄介な存在だ。
色気たっぷりで、触れなば落ちん風情でありながら、傲慢で意地悪で浮気者の「女神」と、ともかく一度惚れられたら逃げても逃げてもついてくる深情けの貧乏神の「魔女」と二人がいるらしい...
この二人が何とも絶妙な「間」で、ゴルファーを翻弄してくれる。
腹が立つのは、「さすがに女神さん、俺のためにこんなことを..」なんて思っていたら、いつのまにかニヤニヤ笑う魔女にすり替わっていたり、「お前なんか大っ嫌いだ!」なんて魔女のついたゴルフバッグを蹴飛ばすと、いつの間にか背中にぴったりと色っぽい姿でくっついて来たり...

そうして、俺が思うにどこの神々より「ゴルフの女神」は、一番タチが悪い。
だって、それが判っていながら、繰り返し「ああ、女神様! 頼む!」なんて呟かされてしまうんだから...一日に18回も!

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「ゴルフは恋愛問題のようなもの。真剣に考えなければ楽しくないし 真剣に考え過ぎれば心臓発作の元となる。」...ジョゼフ・マードック。

ゴルフっていうやつは、古来「人生に似ている」とか、「女に似ている」とか、「恋愛問題に似ている」とか言われて来た。
どれも、そう簡単に良い結果が出せない、近道の無い、上手く行ってるヤツが珍しくて羨ましい、複雑怪奇・面倒至極な問題ばかりなんだけど。

確かにゴルフってのは、本気になればなるほど面白くて、深みにはまる。
この言葉がピンと来ない人は、それほど本気でゴルフを遊んでないか、子供の頃から(若いうちから)ゴルフに親しんだ人のどちらかだろう。

大人になって、それも年をとってゴルフを始める人ほど深みにはまって、我と我が身を焼き尽くしてしまう、というのは「老いらくの恋ほど、深みにはまる」恋愛問題とまったく同じ。
...「老いらくの恋」で我が身を滅ぼしてしまうのは、殆どの場合「悪女」に引っかかり、その手練手管によって無我夢中となり...ついにはそれまでの人生で築き上げて来た「地位」も「名誉」も「財産」もすっかり失ってしまう、というのがお定まりのストーリー。
そしてゴルフ場にも悪女が居るのだ。
普通には「ゴルフの女神様」なんて言われて、コースを歩くゴルファーに優しい視線を投げ掛け、囁き、誘惑するティーグランドやグリーンの脇や木々の影に居る存在だ。
が、その手管の上手い事といったらもう...

「よし!開眼した!」「わかった!」なんて感じて追いかければ追いかけるほど、次から次へとアンラッキーやトラブルをバラまいて絶望の縁へとたたき落とし、「もうこんなゴルフはやめた!」「ゴルフなんて面白くない!」なんて言う疲れ果てた百叩きゴルファーには、バーディーやイーグルのラッキーパンチを味合わせて意地悪の限りを忘れさせたり、「俺はこんなに飛ばせるのか!」なんて人生最高のショットを打たせたて、また夢を見させたり...

うすうす真実の自分は判っているのに、身分不相応の夢を女神が見せてしまうのだ。
悪女に惚れちゃあいけない。
ゴルフの女神に気を取られちゃあいけない。
長生きしたかったら、女もゴルフも程々に...ってことだ。



...なんて事出来たら、俺は立派な紳士で立派なスクラッチプレーヤーになってるわい(笑)!
凡人俗物ダッファーは、恋愛もゴルフも心臓痛めながら、毎日真面目に真剣に悩んで楽しんで...
心臓の薬飲みながら、カッコ悪くてもこれが俺のゴルフ、俺の人生、なんの文句があるもんか! 
 ...だ(笑)。


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「練習の最後の一球は、いい球を打って終れ。」...トム・ドーセル。

最後の一球てのは、記憶に残ってしまうんだそうだ。
...多分誰でも覚えがあるだろう?

長い時間練習して、沢山のボールを打って、そろそろ練習を切り上げようなんて思った、残りの一球。
「最後だからドライバー」とか「今日の仕上げだからウェッジでアプローチ」とか「今日やった練習の仕上げだ」なんて気持ちで臨む最後の一球。

それがまあまあのショットならいい。
ところが、ドライバーで打ったら、思ってもみなかった逆球が出た。
ウェッジで打ったらシャンクした。
仕上げのつもりが大ダフリ...

もうボールが無い。
どうするか?

ここでやめると、「逆球が出た」「シャンクした」「ダフった」とか言う事が、それまでの沢山の時間と数多くのボールを打った記憶を押しのけて、一番強く記憶に残ってしまう。
そして、例えば次のラウンドのスタートホールでのティーショット...必ずあの「逆球」が頭に浮かぶ。
あのシャンクや、あのダフリが頭に浮かぶ。

だから、「最後の一球はいい球を打って練習を終わらせなければいけない」、という訳だ。
ある人はもうワンコインとかもう10球打ってみる、ある人はこっそり使わないコースボールを打って悪い記憶を消すとか、ある人は連れのボールを借りていい球を打つとか...色々な人が色々な事をやっている。
なんにしたって、絶対に最後は悪い記憶や不安を残さないで練習を終わらせなくてはいけない。

自分にも覚えがある。
...最後の一球のアプローチがシャンクした...もうワンコイン打つのも面倒で、ついそのままやめてしまった。
そして、その嫌な記憶が残ったままの次のラウンドで、その不安なアプローチが本当にシャンクした...あとはもうボロボロ。

だから、必ず練習はいいボールを打って、いい記憶を残して切り上げる事。
最後の一球がミスショットで終わると、練習の結果に不安しか残らない。


...でもねえ、そうすると練習が永遠に終わらないような気もしてくるんだよねえ...
俺みたいに小心な男だと、「最後の一球」だと思うと緊張して 必ずミスしそうな気がするもの。

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「トラブルになったら、『やりたい』ショットではなく、『やれる』ショットをしろ」...ジャック・バーグ。

イラストのようなケース、左打ちなら前に打てて距離を稼げる。
右打ちでは普通にスイング出来ないの、でスイングの出来る真横に出すだけとなって確実に1打の損となる。

さあ、どうするか。
左打ちで少しでも前に打つ、と言う選択をする人が結構多いんじゃないだろうか。
テレビの試合中継なんかでは、プロがやっているのを何度も見た事があるし、フルスイングじゃないんだからゴロでもなんでも前には打てるだろう...

まあ、殆どの場合は「空振り」となる。
最悪の場合、変なところに当たってもっと悪い状況になってしまう事だってありえる。
...そりゃあそうだ、普通の右打ちの人が左でボールを打つなんてやった事が無いんだろうから。
練習場だって、殆どのところでは右打ちの打席では左打ちは出来ないし。
ただ、プロなんかがやっているのを見た事があるからやれるような気がするし、やってみたいとも思っていたし...
その結果1打の損だったのが、2打の損...空振りに動揺して3打4打にも影響して、晴れてビッグイニングの達成となってしまう。

トラブルは、そこに打ち込んだ事で1打のペナルティーを払うのは覚悟しなくてはいけない。
1打払うのは真っ当な対価なのだ。
それをケチったんだったら、失敗すればさらに大きな罰金を払わなければならなくなるのは、世の理ってものだろう。
素直に横に出しておけば、1打多いだけで済んだ...かもしれないのに。

他のトラブルも同じ事...急斜面にしろ、林の中にしろ、池にしろバンカーにしろ、そこに打ってしまったのは自分なんだから、「やったことがない」「やれたらいいな」なんてショットをしようとして、さらに深みにはまるような事はするな...謙虚に「やれるショット」を打つ事だけ考えろ、とジャック・バーグは言っている訳だ。

だが...ある不良中年ゴルファーは、考える(自分の事だけどね)。
「命までとられる訳じゃなし、可能性があるならやってみるのが男だべ」
(別に「だべ」じゃなくてもいいんだけどね)
そして、やってみると(宝くじやパチンコなんかよりよっぽどいい確率で)それが結構上手くいったりするから、ゴルフって奴は面白い。
正直な所、俺はドライバーのナイスショットより、逆転満塁起死回生のスーパーギャンブルトラブルショットの成功の方に大きな快感を感じる。
そんな「フェアウェイからより、トラブルショットの方がグリーンに乗る確率が高い」と言われている俺には、この格言を提案する資格は無い...「俺はいつも「やれる」ショットより「やりたい」ショットを打つ方を選ぶ、アホゴルファー」だって言う自覚がある。

たしかにスコアメイクを考えれば、ジャック・バーグの言葉を聞くべきだ。

でも、それを承知でお馬鹿をやるのもまたゴルフ。
理由?...「だって、その方が気持ち良いんだもの」でいいじゃない。

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