ゴルフの名言勝手に解釈  (渡辺隆司のゴルフブログ)

過去から今に伝わるゴルフの「名言・格言」を、勝手な解釈で描いて行きます。 読んだ結果、多分、ゴルフが上手くはなりません。 でも、ちょっと良いゴルファーにはなれるか、と。 もちろん責任持ちませんが。 (イラストの無断使用はしないで下さい)

2017年02月

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「結局ゴルファーは二種類しか存在しない。つまり『もう一度一緒にプレーしたい人物』と『二度としたくない人物だ』」...ボビー・ジョーンズ。

結局のところ、そうなる訳だ。
勿論個人の好き嫌いや言い訳なんか通用しない「接待ゴルフ」には、関係ない話だけれどね。

さて、好きなゴルフだ。
そんなに裕福でもない普通のゴルファーにとって、安くもない費用と大事な休日を使うゴルフだ。
何を好んで嫌な相手と繰り返し遊んだりするものか。
...だから、この言葉は誰でも身に覚えがあるはずの絶対真理。

上手い下手じゃあない。
偉い偉くない、有名か無名か、若いか高齢か、飛ぶか飛ばないか、日本人かそうではないか、男か女か、なんかも全然関係ない...(いや、一部の人には男か女かは関係あるかもしれない?)。

時間と金のやりくりをして、遠足前の気分で過ごす高揚したプレー前日を経て、やっとコースのスタートホールに立った、自分の大事な「ゴルフの日」。
その日が「楽しかった」か「楽しくなかった」か、「気持ちのよいゴルフ」だったか「嫌な一日」だったかは、一緒になったゴルファーによって大きく変わる。
「充実した一日だったか?」なんてことには勿論スコアが大きな要素になるけれど、一緒にプレーした人が「また回りたくなるような人」だったか、「二度と一緒に回りたくないヤツ」だったかの差は大きい。

それに上手い下手関係なく、スピーディーで気持ちの良いゴルフをする人なんかと一緒になると、スコアだって勝手に良くなってくるものだ。
おまけにゴルフっていうものは、「打つ」時間より「歩き、待ち、考え、迷う」時間の方が遥かに長い。
そんな時間に、ちょっとした同伴競技者との会話が気の利いたものだったりすると、その日のゴルフは必ず楽しいものになる。

気をつけなければいけないのは、「自分がどう思われているか」は分からないってこと。
自分じゃあ楽しいゴルフにしようとサービスしているつもりだったのに、「うるさい奴」と思われていたり、気の利いた話をしようとしていたら、「キザでカッコつけてる」なんて思われたり...

あるいは、また一緒にプレーしたい人物に思われるように一生懸命気をつけていたら、その方がゴルフのプレーよりよっぽど疲れてしまったり...
あるいは、とんでもないゴルファーに逆に好かれてしまって、離れるのに必死になってしまったり...


...人との付き合いは難しい。
「いい人」になるのは難しい。

「いいゴルファーになる」のは、もっと難しい。
多分ゴルフが上手くなるより難しい。

ボビー・ジョーンズさん、俺はいったいどっちなんだろね?
 

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「リラックスしろとみんな言うが、ゴルフでは下手に力を抜くと,しばしばトラブルを引き起こすことになる」...ダイ・リース。

「力が入り過ぎだ!」
「力み過ぎ!」
「もう少し力を抜けよ」
なんて言われたことは、誰でもゴルフを始めて以来無数にあることだろう。
かくいう自分も、プロを始めいろいろなゴルファーからそういう忠告を受けてきた...(最近は少なくなったけど)。

だが、しかし、だ。
そう言われて、上手くリラックスしたスイングが出来て、ナイスショットできたことってあるだろうか?
力を抜きすぎて(抜くところが分からずに?)、別な大トラブルの餌食になったって経験の方が多いんじゃないか?
「リラックスして」なんて言葉で言うのは簡単だけれど...それをやるのはものすごく難しい。
だいたい普通の人の場合、「ただ力を全身から抜いて」、単に「緩んだスイング」をすることになる。
そうなればボールが曲がるどころか、ボールに当たることさえやっとのスイングになって、下手すりゃあ空振りさえする!
今迄何度、そんな忠告を受けたゴルファーがリズムを崩して、ふにゃふにゃのタコ踊りスイングになって空振りや大ダフりするのを見たことか...

この言葉のポイントは「力を抜く」と言っても、「緊張」をスイング中に失っていい訳ではない、ということ。
「リラックスしろ」という言葉は、筋肉と精神を「完全に弛緩」しろと言っているのではなくて、「過度の緊張」をしないように、という意味。
筋肉の過度の弛緩はスイングを壊すことになり、精神の過度の弛緩はゴルフを楽しむ心を鈍感にしてしまうことになる。
ある程度の緊張感は、ゴルフを楽しむ心とスイングに絶対に必要なのだ。

考えてみれば、プライベートでスコアをつけずにただ遊びのゴルフをするより、オープンコンペでも出てみた方がずっと面白いのは、その方が「少し」緊張感があるためなんだと思う。
そう、何も緊張感の無いゴルフはただの散歩と同じで、興奮も無く感動も薄く...せっかくのゴルフなのに、なんだかいろんなことを「もったいなく」感じてしまう...

...ということで、ダイ・リースが本当に言いたいことは
「少しだけ緊張せよ、少しだけ興奮せよ、そうしてもっとゴルフを楽しもう」ってことなのかも...と、オレは勝手に解釈する

それなら出来そうな気がする(笑)。
そうじゃない? 

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「マスコミに騒がれることによって、いかに多くの若者が傲慢になり、前途をゆがめられたことか!」...O.B.キーラー。

まあ、ゴルフにだけ、ということではないんだけれど。
マスコミの寵児になる、ってことは普通の若い人間にとって、そりゃあ気持ちの良いものなんだろう。
そしてマスコミもまた、世間から注目されてヒーローとかヒロインになる存在をいつも探している。
そういう存在が見つかると、そのマスコミ自体が「商売になる」からなんだけど。

今、日本のゴルフ界にも、男女それぞれ何人かの「マスコミの寵児」がいる。
その代表が松山や石川というところだろう。

...気をつけなくてはいけない。
「本人のため」を思っているマスコミなんて、いないのだ。
商売になるから彼らを誉め、おだて、何かの象徴にし、集客のネタにし、ブームを創ろうとしているのだ。
自分より遥かに年上の大人達から、下へも置かぬもてなしを受け、歯の浮くようなことばかり言われ続けて、勘違いせずに自分をしっかり持ち続けるのは...難しい。

勿論、才能はあるのだ。
これから更に開花しようとする潜在能力も確かに認められるから、注目されるのだ。
自信を持っていいのだけれど、怖いのは気がつかないうちに「傲慢」になること。
いくら傲慢になっても、ずっとその力を維持し続ければ、嫌われはしても問題ない。
しかし、そうなった人間が力をなくしたとき、期待を裏切ったときに手のひらを返したように叩くのもそのマスコミなのだ。
そういった例は今まで無数にあったのだ。


例えば、多くの若手プロがタイガーそっくりのガッツポーズや、あの悪名高い「3秒ルール」とかに似た、クラブを投げようとしたり、叩き付けたり、ひどい表情をしたりするようになった。

タイガーを尊敬していると公言しているプロは多いが、そんなことばかりを真似してほしくはない。
ゴルファーでもある普通のファン達は、強くなったプロ、実績を残したプロにはそれなりの風格と気品が欲しいのだ。
ゴリラのドラミングの様なガッツポーズで威嚇するゴルフには、嫌悪感を感じるものが多いのだ。
オレはタイガーがプロになった頃にはしっかり応援していたのに、メジャーを複数獲るようになってからのタイガーのゴルフプレーの態度にはそんな嫌悪感しか覚えなくなった。

そして今、下り坂に入ったタイガーの ニュースには、その実績に対する賞賛はあってもゴルファーとしても尊敬の念は乏しい。
試合に出場すればマスコミはタイガーのニュースを流すが、それはいい成績が残せなければ その落ち目の具合が格好のメシのタネになるからだ。

自分がいいゴルファーかと言うと決してロクなもんじゃない事は判っているけど、これから時代を背負う様な若い強いゴルファーには、ただの強欲な賞金稼ぎではない「尊敬されるゴルファー」を目指して欲しいと思う。

マスコミに乗せられてゴルフを舐めちゃいけないぞ。


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「バンカーはけっして欲張ってはいけない。出すだけで満足せよ.」...ハリー・バードン。

プロのバンカーショットはカッコいい。
スパッと砂を薄く切り取って、「大きい!」と思わせてバックスピンでカップ近くに戻す。
「これは寄せるなんて無理だろう」なんていうバンカーから、ピタッと止まる球を打つ。
あるいは遠いピンに対して、トロトロと転がる足の長い球を打つ。

それは凄いことだし、羨ましいことだけど、自分でそれをやろうとしちゃあいけない。
我々がそれをイメージしてやろうとすると、
まず「薄く砂をとってスピンを」なんて思ったら、間違いなくホームランかトップしてバンカーの土手を直撃するだろう。
「止まる球を」なんて思ったって、ボールが勝手にブレーキをかけてくれない限り無理な話。
「良く転がる足の長い球を」なんてイメージした日には、ダフリダフリでバンカーから出やしないだろう。

だからハリー・バードンは、「出すだけで満足せよ」と言っている。
まずグリーンに乗せることを考えるのだ。
ピンの位置は関係なく、バンカーから脱出できてグリーンに乗せることが出来たらそれで満足せよ、と。
...プロは毎日バンカーの練習をしている。
それに比べて我々普通のアマチュアは、バンカー...砂のあるところで練習することなんて殆どないだろう...公園の砂場なんかでやって警官に注意されたり、海水浴場でクラブを振って怒られてる人は見かけるけれど。
そんな我々がプロと同じバンカーショットをやろうなんてのは無理も無理、うまくいったように見えるものだってただの偶然に過ぎない。

バンカーショットは次に「パター使える」ことが出来ればが大成功なのだ。
次にパター使うことが出来れば、あとはパットの勝負となる。
うまくいって1パットなら、サンドセーブ。
スーパーバンカーショットを打ったのと同じだ。
そして普通なら、2パットでカップイン出来るだろう...グリーン上だもの。
それは、「バンカーに入れた」ということで「一つペナルティー」を払うのはしょうがないことだ...自分が入れたんだし。
3パットしたりするのは,バンカーショットではなくパットが下手なため...反省すべきはパットの下手さ加減ということ。

どうだろう,そう考えると「バンカーからグリーンに乗せる」だけなら難しくはないだろう。
ピンに向かわず、グリーンの広い方に「出す」ことだ。

思い出してみようぜ...普通我々のバンカーショットは「ピンが近いとオーバーし,ピンが遠いとショートする」。
それって、殆どピンの位置に関係なく、「結果的に」グリーンのセンター近くに「出しちゃってる」んじゃない?

それって、本当は正しいバンカーの脱出法だったんだ!
自信を持とうぜ、ご同輩。

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「良いゴルファーと悪いゴルファーなんていない
良い人間と悪い人間がいるだけだ」...トミー・アーマー。

結構深い。
いや、もの凄く深い。
普通我々は「あいつは良いゴルファーだ」とか「あいつは、ちょっと悪いゴルファーだなあ」なんて言っているけど、トミー・アーマーは「ちょっと待て!」と言う。

我々の言葉には「ゴルファーとして...?だけど」「普段は良い奴なんだ」なんて意味が込められている場合が多い。
あるいは「ゴルフになると人が変わってしまって...でも、普通の時は結構...」だとか。
トミー・アーマーは、そんな会話を否定する。

「ゴルフのせいにするんじゃない!」と。
「良いゴルファー」ではなくて、それは「良い人」。
「悪いゴルファー」は、「悪い人間」なのだ!

ゴルフをやっていて、「ブチッ!」とキレて何か悪いことしたことないか?
あまりのアンラッキーの不合理さに、つい「なにか」したことがないか?
ルールが判っていて、ふと誘惑に負けたことないか?
あいつに負けるのが嫌で、魔がさした事が無いか?
マナーに外れることを、知っていてついしてしまったことはないか?

そういう事を一度でもした貴方は、「悪いゴルファー」ではなく「悪い人間」なんです。
ゴルフはちっとも悪くない。
悪いのは悪人の貴方なんです。
...そう言う意味。

...もちろん、俺も身に覚えは...ある。
まあ、自分じゃ善人とは思っていないから良いんだけれど、それでも後悔している事はずっと心から消えない。
「二度とするものか」なんて、ずっと思っているんだけれど、何たって俗物だから気をつけないとつい悪の誘惑に取り憑かれそうになる自分がいる。


「そんなあ...俺は違うよ」なんて否定したい人は沢山いるでしょうけど(笑)。
でも、今迄見て来た所じゃ、やっぱり俺くらいの悪人の方がずっと多い。
もちろん神様の様な立派な人も少数いるけどね。

トミー・アーマーさん、俺も一応「良いゴルファー」になるように精進はしてますけど、元々が俗物で善人じゃあないんで、苦労しそうです。


まあ、ゴルフの道も人生も、「良い人になるのは簡単じゃないよ」って事ですな。

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「夢に向かって その旅路を楽しみなさい」...デービス・ラブ二世

デービス・ラブ三世の親父さんの言葉。
プロゴルファーであり、著名なレッスンプロでもあった男。

洒落た言葉だ。
一般的には、この言葉は息子のデービス・ラブ三世に、例えばプロゴルファーへの道を語った言葉として伝えられている。

しかし、俺にはこの言葉は「ゴルフ」そのものの楽しみ方を語った言葉のように感じられる。
この「夢」とは何だろう。
プロゴルファーになること?
それじゃあつまらないし、我々には関係ない。

スコア?
そうかも知れない。

でも、俺はこの言葉は「ゴルフのラウンド」そのものの楽しみ方を、教えてくれているような気がするんだ。
みんな、ゴルフが好きな人間なら誰だって、スタートホールのワクワクするような期待と、びりびり来る緊張感ってたまらないだろう?

「夢」というのは、その人にとっての「完璧なラウンド」、あるいは「完璧なスコア(自分にとっての)」であり、彼はそのスコアや結果よりも、「それを目指してジタバタする自分の旅の過程をもっと楽しみなさい」といっているような気がするわけ。

ラウンドの結果は嫌も応もなく数字で出る。
絶対的な「結果」だ。
でも、其処にはその数字を残したゴルファーの喜びや悲しみは表れていない。
...本当は、その部分こそゴルフの楽しみではないのか?
結果の数字なんて、我々のゴルフの楽しみのほんの一部でしかないんじゃないか?
我々アマチュアのヘボゴルファーは、その「過程」が楽しくてゴルフをやっているのではないか?

夢は、そうさ70台のスコアさ、いやパープレーさ、なんてみんな思っているけど、殆ど失敗に終わるのはみんな判っているじゃないか。
それだけが楽しみだったら、殆どの凡暗ゴルファーはゴルフなんてやめているはず...でもスコアカードに書いてない部分が楽しいから、ヘタクソ凡ゴルファーもゴルフに熱中し続ける事が出来る。

カップインまでの「数」だけではなく、カップインまでの「いろいろやってしまうこと」をもっと楽しめばいい...デービス・ラブ三世の親父さんが、世の多数を占める凡暗ゴルファーにそんな意味で言ってくれたんだったら、「格好いいね!」親父さん! なんて、俺は思ってしまうんだけど。


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「優れた設計のパー3ホールは、正しく打たれた完全なショットには容易にパーを与えるかわりに、ミス・ヒットや無計画なショットには容赦なく5以上のストロークを与え、はじめから計画的に4で上がろうとする者には確実に4を与える」...トム・シンプソン。

トム・シンプソンはイギリスのコース設計家。
ショートホールの設計のイメージを語っているのだが、これはイコール我々のショートホールの攻略のイメージとも重なる。
ショートホールというのは、調子が悪いときには一番パーをとれる可能性の高いホールだし、調子が良いときには思わぬ落とし穴が待ちかまえているホール、というのはゴルファーならみんな実感している事だろう。
殆どの場合はアイアンで届く距離であり、乗せさえすればパーは簡単にとれる...調子が良いときにはこんな風に思ってティーショットするだろう。
そして、そんなに調子がよいときには、ピンデッドに狙ってバーディーを、なんて考える。
しかし、ちゃんとした設計のショートホールの場合、ピンに近い方にグリーンを外すと、必ず難しいアプローチが残るように出来ている。
それを、なおも無理してピンを狙っていくと、簡単にダボやトリになる。
これはグリーンの周りで落とすスコアだけに、精神的なダメージが大きい。

対して、難しいところに外すと寄せる自信がないからと危険の一番少ない方向を狙うと、乗っても長いパットが残ってバーディーは難しいが、上手くいけばパー、3パットしてもボギーであがれる。
もちろん外しても、グリーンに乗せるだけなら難しくないから、十分ボギーでいける。

わかっているんだよな。
ボギーで良い、と思えばショートホールは易しいものだ、なんて。
でもね、アイアンで届くところにピンが見えて、平らなライにティーアップして打てる...そんな状況ではじめから安全なところにボギーを狙って打つ、なんてハンデ18の人だってなかなか出来ない。
ティーグランドからの打つ前のイメージなんて、「寄せてパー」なんかじゃなくて「ピンそばでバーディー」に決まっているよなあ?
ゴルファーはそれが我慢できるようになって、初めて上級者への道を歩み始めることが出来る(笑)。
...そう、ストレスと自虐に満ちた、シングルへの道をね。
ゴルフの本質ってのは(「スコアを少なくする」と言う部分だけでは)、欲望を耐えて凌いで本能に逆らって我慢するマゾヒスティックなゲームだって事...そのしんどい世界に飛び込む勇気があるものだけが、上級者と呼ばれるようになる資格がある。

難しい事を考えたくない明るく善良で正直で優しい人間が、ゴルフで上級者になるのはもの凄く難しい。
「嫌なヤツ程ゴルフが上手い」と言う嫉妬半分の言葉が昔から伝わっているのも、そういう事からなのだ。
だから、いつも明るく楽しくいい人でゴルフを楽しみたいなら、ずっと出たとこ勝負本能一直線の「たら・れば」ゴルフを楽しむのもアリって事だ。


設計家の言葉、ショートホールのティーグランドで、一度思い出してみるといい。

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「大胆にパットするものには、カップは非常に大きく見えるものだ」...サー・ウォルター・シンプソン。

これには逆説的な意味があって、「怖がっておっかなびっくりパットするものには、カップは非常に小さく見える」と同じ事。

確かに(傍目に見れば大胆ともいうけれど)、「打ちすぎた!」なんてパットの方が、「ピッタリだ」なんて思ったパットより入ることが多い。
そして、「あれ?入っちゃった。」なんて事が続くと、なんだかいつもよりカップが大きく見えてくる。
そうすると、「こんな大きいカップなら入るはずだ」なんて更に思えて、多少遠くたってその日のパットがガンガン入りまくったりする。
年に何度かある「パットの入る日」の始まりだ。
そしてショットが良い日より、こんな「パットが入る日」の方が自己ベストの更新をしたりする可能性が高い。

パットっていうのはどんなに下手な人でも、ワンピンを横に1メートルも外したりすることはあまりない。
やるとすれば距離の誤り...特にショートし過ぎるミスが多い。
ショートしてショートしての3パットや4パットなんてのは、ゴルフのミスの中でも最もやっちゃいけないミスだ。
こんなミスをするとアプローチやショットのミスも多くなるし、なにより心に大きなマイナスイメージが出来上がってしまって、やる事成す事悪い方向に向かって行く。

だから、パットの入らない日はカップの大きさを倍くらいにイメージして強めに打ってみた方が良い。
「でかいカップだ!」って心を騙しても無理矢理カップを広げてしまうのだ。
そう思えれば、緊張して手が動かないなんて事は少なくなる。

なんたって、チャンスについたボールをことごとくショートするなんて、一番みっともない。
小さく見えるカップにびびって、手が動かない、打てない、なんて見ていても情けない。
以前描いた「チャンスについたバーディーパットをショートする奴と、友達になってはいけない」って言葉は、こういったときによく分かる。
そんな風にショートしまくる奴には、必ず泣き言や愚痴や言い訳が一緒についてくる。
たかがショートパットで、人格の弱みがみんなばれてしまう。
それ迄の長い時間をかけて作り上げて来た外向きのイメージが、パット一つで崩れ去ってしまうのだ...一日の時間をかけて遊ぶゴルフってのは、結構怖いモノなんだ。


無理矢理でもイメージしろ!
カップは倍大きいぞ!
打て! 打て!
痩せ我慢して、唇噛み締めて、血圧上げながらでも、必死にカップを越えさせろ!
打ちすぎて外れるのは、ショートして外すよりもずっと気持ちが良いはずだ。





...まあ、限度もあるけどね。


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