ゴルフの名言勝手に解釈  (渡辺隆司のゴルフブログ)

過去から今に伝わるゴルフの「名言・格言」を、勝手な解釈で描いて行きます。 読んだ結果、多分、ゴルフが上手くはなりません。 でも、ちょっと良いゴルファーにはなれるか、と。 もちろん責任持ちませんが。 (イラストの無断使用はしないで下さい)

2017年01月

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「男はカップに入れたがる、女はピンに寄せたがる、あーなんてゴルフはえろちっく!」...不詳。

「ゴルフコースは女に似ている」...だから男は夢中になる...じゃあ、女は何でゴルフが好きになるのか。
なんてことを調べていたら、こんな言葉が見つかった。
マナーにうるさい先達に聞かれたら起こられる様な、俗っぽい言葉なので笑ってしまった。

これでもまだ柔らかく表現したものらしく、もっと俗っぽく伝えられてきたのは

「男は穴に入れたがる、女は竿に寄りたがる、だからゴルフは面白い」だって。

別に俺が言ったんじゃないからね...昔のゴルファーからの言い伝え。
大きな声じゃ言い難いよね(笑)。

いや、オレは別にこの言葉にそんなに共感しちゃあ、いませんよ。
...だって、俺は今アプローチが得意になってきてるんだけど、竿に寄せたがるからって、俺はあっち関係じゃあないからね。

それに、ちょっとゴルフを真剣にやった人なら判ってくれるだろうけど、オレはカップインさせる時より、青い空・濃いグリーンの中、白球がピンにピタリと絡んだショットを打った時の方がずっと気持ちが良いもの。
それに、会心の当たりで思い通りのティーショットを打てた時だって、最高に気持ちが良い。
まあ、「飛ばすのも男の本能」と言われれば、そうなんだけど。

にしても、ピンに寄せるとき、女性は本当に快感を感じるのか?
確かに上手い女性は「寄せ」が上手いけど、気持ちいいから寄せが好きな訳?
いや、やっぱり女性だって「ドッカーン!」と打って、ボールが遠くへ飛んでいった時の方が「気持ちいい〜!」って顔してるし...

いや、待てよ...あの顔はけっこう獰猛な感じがあって...まるで嫌いな男性を思いきり引っぱたいた時の「気持ちいいー!」って顔みたいだよな。
じゃあ、色っぽい「気持ちいい」って顔は、どんなときに?
やっぱり、ピンに寄ったときか?
いやいや、結構いろんなところで「気持ちいい〜」って顔している...

まあね、所詮がさつな男には複雑繊細微妙な女心はわかりゃあしませんって。
女に比べりゃ、男の気持ち良さなんて、何時も一瞬。
「よーし!」「イったあ!」と思ったら、
「お客さん、OBです。」

「はい、もう一回」


...おあとがよろしいようで...


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「ゴルフコースは女と似ている。扱い方を間違えなければ楽しいが、間違えれば手に負えないことになる」...トミー・アーマー。


女性から見たら、「失礼な!」とか、「侮辱している!」とか、「セクハラだ!」とか...非難囂々となりそうな言葉だが...言っているのはトミー・アーマーだから。

(それに彼に限らず、こんな意味の言葉は本当に昔から色々な人が言っている。)


でも、「女」をよく知っている男はもちろん、女にもてない男でも(いや、もてないから尚更か)「女の扱いが難しい」って事には多いに共感するもんだから、この言葉が長く沢山伝わっているんだろう。


ゴルフっていうゲームは、昔から「人生」や「女」に例えられることが多い。

人生に例えられる場合は、そのゲームの「運」「不運」の絶妙なバランスが、自分の生きてきた人生に照らし合わせて、主に自虐的に共感することが多い。

懸命な努力が報われない絶望感。

もう少しでの成功がほんの少しのミスによって台無しになる挫折感。

幸運は自分の方には全然来ないで、他の人ばかりに行くと感じる嫉妬・不公平感。

「一体自分が何をしたって言うんだ」と泣きたくなるような「不運」は、大事なときに何時もやってくる...その「ああ、やっぱり」という「堕ちて行く」感覚にはマゾヒスティックな快感さえ感じてしまう。

だが、ゴルフと言うのは実の人生と違って、ラウンド後にいつの間にか生まれる「妄想による希望」と「根拠のない自信」によって、次のラウンドではまた新たな再生のスタートを切ることが出来る。


女に例えられる場合、ゴルファーはコースに対して強引に「押しの一手」で対したり、あるいは卑屈に「引いて引いて」刻んで回り道をして、何とか自分の思う通りに回ろうとする、その姿勢がその人の女性に対する態度に重なると言う事。

それぞれが精一杯の拙い手練手管で、なんとか憧れの女性を「落とそう」とする報われそうも無い努力が共通しているって訳だ。

まかり間違って上手く行った場合の達成感は、他では決して得られないくらいの「喜び」があるはずなんだけどね。


しかしどっちにしたって、そう簡単に気難しいコースがいい思いをさせてくれるはずもなく、口説いても口説いても素敵な女性がこちらを向いてくれる訳も無い。

それでも根が善良で真面目なゴルファーは、「自分のやり方(口説き方)が間違っていたのか」と反省し、次のラウンドでは違う方向から違う攻め方や、違うクラブで再び懸命にアプローチする。


しかし、そんなことを繰り返しているうちに機嫌を損ねたコースに往復ビンタを浴びて、「ああ、ワーストスコア更新だ..」なんて泣きを見ることになる。

まあ、そこで諦めないのが「女」と「コース」の違うところだけど。

女性には3回誘ってダメなら完全に諦めた方が良い。

それ以上しつこく誘ったら、「ストーカー」として警察に捉まるかもしれないから。


でも、それがゴルフとなると、ストーカーとなってもしょうがない。

嫌われても、嫌がられても、引っぱたかれても、蹴っ飛ばされても、締め落とされても、気がつけばまたゴルフコースに向かう自分がいる。

そんなに嫌いなら、ずっとこっちを向いてくれなければいいのに、何故かゴルフコースはどんなラウンドでも一回は自分に向かってゴルフの女神様が「微笑んで」くれて、素晴らしいプレゼントをくれるものだから。

たった一発の「会心のショット」、絶望の闇に光が差す「バーディー」、ふとした事で掴む「ああ、これだ!」の感覚、ふと振り返った時の空の美しさ、涙ぐむ顔に触れて通り過ぎた気持ちの良い風...

ああ、根が単純なゴルファーってのはそれだけで報われた気持ちになっちまう。


調子に乗るとぶん殴られて、諦めようと思いかけるとちょっとプレゼント...結局、ゴルフってのは究極のツンデレ女なのかもなあ。

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「プロの物まね屋で終わるな。 諸君には諸君だけの方法があるはずだ。」...デイブ・ヒル。
(久保田滋氏編 「ザ・ゴルフ」(ゴルフ名言集)より)

そうだろうと思う、だけどその自分だけの方法が難しい。

こんな事描くととまた仕事が減りそうだけど、ずっと思っていることがある。
自分でも仕事だから何度も描いているんだけれど...例えば、タイガー・ウッズのスイング。
仕事では「プロの良いスイングの見本」として、イラストに描くわけだ。
「このスイングが素晴らしい」
「君たちも参考にしなければ」
「この方法でこんな結果を彼は出しているんだから、こうすれば君たちも良い結果が出るはずだ」
そんな記事のイラストとして...でも、本当にそうだろうか?
確かに良いスイングではあるんだろう。
現実に素晴らしく良く飛ぶし、素晴らしいスコアを出し、優勝を重ねてはいる。
...でもね、俺の考えじゃ彼のスイングなんて、我々普通の人には絶対に真似できない特別のスイングなんだ。
身長は190センチ、鍛え上げられた筋肉がついていてずっとトレーニングを欠かさず、子供の頃から作り上げたフォームで、身体が壊れるほどのスピードで振り抜く(実際に彼でさえ壊れちゃったけど)。
そんなスイングを、普通の凡ゴルファーが本当に真似できると思う?
そりゃあ、形だけなら真似する事は出来る...それこそタイガーに比べたら超スローモーションのようなスピードで。
でも、それで彼のスイングの良いところや凄い所が、少しでも取り入れられるだろうか?
それこそ、似て非なる物...どころか、所詮滑稽な猿まね踊りみたいなもので、何の役にも立たない努力なんじゃないか?
むしろ才能とセンスでカバーしている、頭の上下動やら振り過ぎの身体の動きなんかだけ真似る結果となって、酷いボールの連発や身体を痛める結果になる事が多いんじゃないか?

それはタイガーに限らず、今のトッププロの殆どに言えることだろう。
彼らのスイングはアスリートだから出来る特別なもので、一般のアマチュアゴルファーの参考にはならない。
...と書くと、反論が一杯あるだろうけれど。
じゃあ、どうすればいいのか? と。

そうなんだ...デイブ・ヒルの言う「諸君だけの方法」なんてのが、簡単に判れば苦労はない。
考えられる一つが、自分だけの再現性の高いスイングを、ラウンドしながら作り上げていくやりかた。
でも、このためには莫大な時間と金と努力が必要だろう。

結局、自分と体格とか体力、筋力とか、年齢とかに何かしら共通性のあるプロ、ないしは上級者の人を参考にしてスイングの基本を作り、そこに自分だけの再現性と効率の良い何かをプラスして作り上げていくのが一番良い方法だろう。
そして、今現在その方法を一番簡単に実現できるのは、そういう考え方の「頭の柔らかいレッスンプロ」に助けてもらう事だと思う。

テレビや本で見る世界のトッププロの物まねは、自分に「やっぱり出来ない」というコンプレックスを植え付け、「俺はダメだ」という自信を無くすだけの結果になる事が多い。
...そんなことを言ったのではないのかなあ、この言葉。

だから速く確実に上達したいなら、とにかくプロの様な格好良いスイングを目指すより、「自分がいつでも平常心で打っていける」ような自分に合った無理の無い(でも合理的な)スイングを、「頭の柔らかいレッスンプロ」と共に早く見つけることだ。

「変則スイングを固めたものほど、スイングの再現性が高い」、なんて言葉もあることだし。


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「ゴルフは言い訳で始まって、言い訳で終わるゲームだ」...ハーヴイー・ペニック。

ペニックは有名なレッスンプロ、というか、ベン・クレンショーやトム・カイトを育てた名コーチ。
言葉はそのままの意味。
要は、「だけど、あまり言い訳なんかするんじゃない」という意味だろう。
言い訳するのは見苦しい、言い訳はみっともない、男らしくない、情けない、かっこ悪い、傲慢である、なんて、心の内が透けて見えるようで聞き苦しいから「言い訳なんか言うものじゃない」。

確かに、いちいち言い訳を言うゴルファーとはあまり一緒に回りたくないし、言い訳を言う自分も好きじゃあない。

ただ俺はかなり以前に、頼まれて書いたエッセイで顰蹙を買ったことがあるんだけれど、「アマチュアゴルファーは『言っても良い言い訳』がある」と思っている。
...それは、『仕事』の言い訳。
トップアマと呼ばれる人の多くは、「アマチュア」とはいいながら実際には殆ど仕事をせずに、一週間に3日も4日もゴルフをしている。
それは、例えば練習場の経営者だとかゴルフショップ経営だとか、あるいは「飲食店経営』とか言いながら実際は他の人に店を任せて自分はゴルフ三昧なんて人達だ。
...それに比べて、普通のアマチュアゴルファーは一週間に5日以上仕事をしている。
みんな生活のために家族のために必死で働いて、残った時間と生活費以外の給料の残りを遣り繰りしてゴルフをしている。
毎日仕事をちゃんとやってこそのゴルフなのだ。

だから、ゴルフの予定や試合の予定が決まっていても、決してそれに合わせて優先的にスケジュールを調整するなんて事は出来ない。
当然、ゴルフの前日までに何とか仕事を終わらせようと、寝る時間を削ったり、徹夜したりして無理をしなくちゃいけない。
それでも、急な仕事が入ったりで、ラウンド当日に万全の状態でゴルフをやれるなんて事は滅多にない。
せっかく練習してたのに寝不足で身体が思うように動かなかったり、仕事で腰を痛めてしまったり、何週間も練習出来なかったり、言い訳や愚痴を言いたくなるのも当然だろう。
でも、それがアマチュアゴルファーの普通の姿なのだ。

(「道具が」とか、「運が」とか、「同伴競技者が」とか、「キャディーが」とかの言い訳は本当に見苦しい。
そんな言い訳をするヤツは軽蔑されて当然だ。)

ゴルフの女神さんも「仕事が忙しくって...」って言い訳ならば、きっと許してくれるはず。
「俺は家族の為にちゃんと仕事をやったんだ!」って言い切れるならね。



...それでも言い訳しない奴って、やっぱり格好いいけどね。

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「こんなはずじゃなかった」というのが、君の本当の実力だ。...三好徳行

「君、そういうのを傲慢と言うんだよ。」
昔、尊敬する大先輩にこう怒られた。
...ゴルフを始めて4−5年くらい、確実に上手くなってきたのが実感できて、月例で優勝入賞を繰り返し、ハンデがどんどん減ってきていた。
「もう、俺は2度と90以上は叩かない...いや、85以上叩かない」なんて本気で思っていた。
そんな時、その先輩とラウンドする機会があったのだが、どういうわけか(自分ではそう思っていた)やることなすこと裏目に出て、ハーフで50を超えるスコアになってしまった。
「こんなはずじゃあない」という思いで頭がいっぱいになり、山ほどの言い訳を考え...それでも後半のハーフは39でまとめることが出来た。

面目は果たしたとホッとしてラウンド後にコーヒーを飲んでいた時、山ほど考えていた午前中のハーフの大叩きの言い訳を一言言った途端に、穏やかな言葉で「傲慢ですね。」と言われた。
そして、静かにこの言葉を教えてくれた。
恥ずかしさで真っ赤になり、全身に汗をかきながらこの言葉をかみしめて、大先輩に頭を下げた。
「ありがとうございます。」...それしか言えなかった。

この前の試合、午前中はスタートホールの5パットから、なんだかんだで49だった。
正直、言いたい「言い訳」は、いくつもあった...キャディーが、風が、練習が、クラブが、キックが、ライが、腰が、金が、仕事が、指が、...その種類は数え切れない。
そして、さらに強風の吹く午後、拾いまくって40であがった...この日の午後のスコアとしてはかなり良いスコアで、風がなければパープレーくらいの感触があった。
当然、自分の中では「これが実力だ」なんて気持ちがあった...でもこの言葉を思い出したときに、これはラッキーだったんだ、と改めて謙虚に反省するしかなかった。。

ある程度上手くなると、何回かパープレーあるいはそれに近いスコアで上がれたなんて経験を持っているだろう。
そして心のどこかで、それが俺の本当の実力だ、なんて思っているだろう。
でも、そんなのは「本当の偶然」なのだ。
そんな時は、ティーショットはフェアウェーを外さず、曲がった奴だって木に当たったりして戻ってくる、セカンドはミスしてもみんな乗ってしまう、外れた奴がチップインバーディーになったりする、長いパットが入ってしまう、打ち損ねたパットが正しいラインに乗って入ってしまう、パーパットはお先にばっかりで全然疲れずにパーがとれてしまう...そんなラウンドだったはずだ。
流れが「トントン拍子」と言うように、良い方に向いていたはずだ。
...それこそが、ゴルフの女神の悪戯、ただの偶然で断じて本当の実力ではない。

「可能性はある」、それだけだ。

叩いたから落ち込む、というのは身の程知らずの傲慢だ...先達はそう言っている。
叩いて落ち込む姿には(俺のいつものパターンだけど)、自分を「本当は上手いんだ」と見せたいような醜さがあるのを自覚しなくちゃいけない。
こんな時は「さあ! 殺せ!」「これが俺の実力だ!」くらい、開き直って下手を認めるしかない...「俺は下手なんだ!」「でも、このままじゃあ終わらない」...ゴルフの面白さを知ってしまったゴルファーは、あきらめの悪いのが一番の才能だ。

そう、「がんばらないけど諦めない!」


そして
「まだ、まだ!」...だ。

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ゴルフは「たら・れば」の悔恨によって、さらに深く興味を増す...P・G・ウッドハウス
(夏坂健氏「ゴルファーは眠れない」より)

夏坂氏によると、ウッドハウスは生涯に400編のゴルフ小説を書いた異才ということだが、私は彼の本は読んだことがない。
ただ、この言葉はゴルフをある程度プレーしたことがある人なら、誰でもが感じる言葉だろう。

「あの時こうしたら..」「あのショットはこうすれば...」の「たら・れば」は、ゴルフで一番「してもしょうがないこと」として、謂わば「笑いもの」にされている言葉である。
つまり「あとの後悔先に立たず」「覆水盆に返らず」で、なんの役にも立たないし、男らしくない(今は「女の腐ったような」ではなく「男の腐ったような」とも言うらしい)し、みっともないし、情けないとか言う意味で使われる事が多い。
しかし、この「後悔」とか「悔しさ」から出る「たら・れば」こそが、さらにゴルフと言う熱病にはまってしまう原動力となるんだと、ウッドハウスは言っているのだ。

確かに、殆どのアベレージゴルファーがクラブを買ったり替えたりするのは、「あの時ちゃんと当たるドライバーだったら...」とか、「あの時にショートウッドをもっていれば...」とか、「もっと易しいアイアンだったら...」とか、「スピンのかかるウェッジさえあれば...」とかいう、「たら・れば」の思いが動機になっている。
...今ちゃんと当たっているものを、さらに良くするために替えるなんて人はそうはいない。

そして練習に行く事だって、「あの時ピッチエンドランがちゃんと打てたら...」「高い球を打つ練習をしていれば...」「スライスを少なくする練習していたら...」「アドレスの方向を練習で確かめていれば...」なんて、コースでの失敗や悔しさの「たら・れば」の思いからだろう。

天才ならざる我々凡ゴルファーに、本当に後悔のない、悔しさのないラウンドが出来ることなんてまず無い。
そして、そういうアベレージゴルファーってのは、本当に謙虚で素直で正直で向上心に燃えている人ばっかりで、傲慢で自信に満ちて自分に酔っているような「嫌なヤツ」なんて見たことがない。

だから、何時だってラウンドが終わったときには、みんな「顔で笑って、心で泣いて」、たくさんの「たら・れば」を反芻し、心の奥底で「こんなに下手ならもうゴルフなんかやめたい」「でも、こうすれば、次にはきっと劇的に良くなるような気がする...」「でも、俺には才能がないのかも...」「でも...」なんて、もう一人の自分と後悔と反省と自虐とかすかな希望の会話を繰り返す。
そして、みな苦悩に満ちた修行僧のような表情で、クラブハウスを出て家路につく。
(ゴルフをやらない人が見たら、「この人達はきっとゴルフをやめてしまうだろう」なんて思うくらいだ。)


でも、そんな苦悩に満ちた修行僧達は、その日の日付が変わる頃....

「そうだ! あれをこうしたら」
「もしかしたら、これをこうすれば」

いつの間にか「たら・れば」が、暗黒の悲しみから大きな希望の光りへと変わって行くのを感じているのだ。



そうして
「ええと、次のゴルフの予定は...」

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「遠くへ飛ばそうとしなければ、ボールは遠くに飛ぶものだ」...サム・スニード。

逆に言えば、「遠くへ飛ばそうとすればするほど、ボールは遠くに飛ばないものだ」ってこと。
が、こればっかりは、「ゴルファー全員がある程度判っているのに...殆どのゴルファーが出来ないこと」だ。
大体ドライバーを握って、「遠くに飛ばそうなんて考えてもいない」なんて言うゴルファーは、偽善者か嘘つきだ。

そりゃあ、「他人より飛ばしたい」なんて事を考えないようにしている人だって、「自分なりに飛ばしたい」とは考えている。
じゃあなければ、もっと易しい他のクラブを使えば良いんだから。

ドライバーというクラブは、誰にとっても「一番飛ぶはず」のクラブ。
それ以上飛ぶクラブは、キャディーバッグに入ってない。
「飛ぶはず」って言うのは、それより飛ばないクラブ...(たとえば3Wやユーティリティーなど)...より「飛ばす」ためのクラブとして使うわけで、おまけに「飛ぶ上限」は決まっていない。
この飛ぶ上限が決まっていないクラブ、と言うのが問題なのだ。

例えば3Wが210ヤードなら、ドライバーと言うクラブは210ヤード以上で「上限なし」というわけだ。
250ヤードだって280ヤードだって300ヤードだって、上限が無いクラブなんだから「多分」打てない訳じゃない、なんて思ってしまう。
...すると、当然普通のゴルファー達は「どこまでも飛ばしてやる」と力が入り、狂気の様な超全力スイングになるのはしょうがない事だろう。
結果、殆どが悲しみと絶望のミスショットばかりと言う事になり、惨めなセカンドショットを迎える事になる。

「普通にスイングすれば良い」...そんなことは本当は頭ではみんな判っていること。
ただ、ドライバーを持ったとたんに、殆どのゴルファーは異常な興奮状態になって我を忘れてしまうので、出来ないだけなのだ。
では「どうすればいい?」というと、先人達がきわめて効く「おまじない」を伝えてくれている。

それは、ドライバーを打つ前には
「飛ばないように、飛ばないように」と唱えること。

ついでに言うと、アイアンを打つときは
「乗らないように、乗らないように」
アプローチでは
「寄らないように、寄らないように」
パットでは
「入らないように、入らないように」
と唱える。

この言葉を唱えると、不思議な事にゴルファーは異常な興奮状態から「我に返る」ことが出来る。
肩に力が入った緊張状態から解放される。
これは、ある大先輩のゴルファーから聞いた言葉で、関東のトップアマなんかが伝えられて実行しているらしい。



このおまじない、プレッシャーを感じたときにやってみるといい。

多分、凄く効く。

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「風の中のプレーの最上の秘訣は、風に刃向かうことではなく、風に従うことだ」...ヘンリー・ロングハースト。

ゴルフボールって奴があんなに風に影響されるなんて、ゴルフをやったことがない者には信じられないことだろう。
ゴルフボールは堅いし結構重い...でも、それが天気予報で「強風「なんて出てた日には、笑っちゃうくらい風に乗って、まるで糸の切れた凧のようになるんだから面白い。
もちろん河川敷のように、遮るものがないコースでの風は凄いが、林間コースでの木々の高さを超えたボールに対する影響も笑っちゃうくらい凄い。
むしろ、常に風の吹いているのが判る河川敷では、誰もが自然に対応しようとするけれど、林間コースの木の上や、林の切れ目を吹き抜ける強風は、変化があって対応も難しい。

ヘンリー・ロングハーストが言っているのは、こうした風に対してより強い力で強いボールを打って対抗しようとしても、無駄なことだ...勝てるわけがなく、より酷い失敗を招くだけだということ。
それよりは、風に逆らわず、風を利用してコース攻略を考えろといっているわけだ。

でも、それはそれなりに難しい...真っ正面からのアゲンストで、どう風を利用しようと?

たぶん、飛ばないのを覚悟して地道にフェアウェイを使え、ということなんだろうけど。
実際には風に吹かれまくって、「フェアウェイに置く」なんてのは上級者のみに出来る至難の業で、ろくなスコアにならないのがオチだろう。

かってのプロの人達は、それぞれ、「パンチショット」だとか「ノックダウンショット」だとか、「低い地をはうようなフックボール」だとか、「プッシュショット」とか、それぞれ風に乗らない低いボール(風の下を潜るとも言うらしい)で打つ方法を考えて、対応した。
高等技術だから、アベレージには向いていないと言われているけど、そう言われていたってそのままでは進歩がないんだから、練習場でそんな打ち方を練習しておいて損はないだろう。

先日一緒に回った大学ゴルフ部出身の若者は、綺麗なスイングでハイドローを打ち、飛距離も正確性も優れたものだったけど、強風の中でドライバーからアイアンまで全て同じ弾道で攻めていって風の餌食となってしまった。
風が弱いときには、何度もピンにぶつけるほどの精度を誇ったアイアンが、風に負けてバンカーでは目玉になり、外してはいけない方に外して崩れていった。
下手なりのパンチショットを多用した俺が、グリーン周りに運んでパー・ボギーを拾っていくのに対し、悪い方に外した彼はダボを重ねていく。
まあ、俺の「パンチショットもどき」の打球ってのは殆どゴロに近いから、それが結果として良かったと言う事だろう。

「強風の日はゴルフにならない」と普通のゴルファーは言うけれど、例えばドライバーで距離は出なくても低いライナー性のボールを打とうとしたり、あるいは150ヤードをトップさせてみようとしたり、100ヤードでも転がして乗せようとしたり、発想力とやり方次第で風は「ゴルフ遊び」の新しい楽しみ方を広げてくれる。
俺は思う...風は雨よりずっと良い。
雨の日はゴルフ以外に煩わされる事が増えるだけで、ずぶ濡れになって気持ちも悪く、ゴルフの基本の「転がし」さえも出来なくなり、グリップが滑る危険が増え、ボールをロストする事が多くなり、フェアウェイやグリーンも痛めつける結果となり、とても「遊び」の気分じゃ居られなくなる。
発想や工夫でどうなる事なんて何も無く、体調迄崩してしまう危険がある。
...雨の日のゴルフには、楽しい事なんかマッタク一つも無い。

俺はこんな雨とは絶対に遊べないけど、風とならいくら強くても普段より頭を使って自由な「ゴルフ」を遊べる。
それでスコアがどんなに悪くなったって、風の吹く日は嫌いじゃない。

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「リカバリーショットは、それが出来るときまで待て!」...ボビー・ジョーンズ

確かに。
ああ、自分はそれで何度、大叩きの深みに入ったことか!
大事に出しておけばボギーで済むのに、結果として難しい(と言うより殆ど不可能な)トラブルショットに挑戦して、結果としてトリだのダブルパーだのになっちまう。
まるで、目先の負けを取り返しに行って、結局スッカラカンに擦ってしまう弱いギャンブラーの姿だよな。
「取り返そう」なんて言うギャンブルってのは、負けるに決まっているものなのに。

少しばかりティーショットが飛ぶ代わりに曲げることの多い自分は、セカンドは半分以上トラブルショットというのが今までのゴルフスタイル。
当然林の中やら、谷間の底やら、山のてっぺんからのショットがやたらに多くて、そんなところからのリカバリーには少しばかり自信がある。
むしろ、偶に行くフェアウェイの真ん中なんかより、トラブルショットからグリーンオンしてチャンスにつく事の方がずっと多いくらい。

だから、自分では全てのトラブルを取り返しに行っていた。
例えば、谷底から残り180ヤードを90度のフックを打って乗せたり、木の真後ろから木の股を抜いて150ヤードを30センチに乗せてバーディーを獲ったり、林の中200ヤードを2アイアンでトップさせて転がして乗せてバーディーとか、残り60ヤードをサンドを開いて殆ど真上に上げて木を越えてオンとか...記憶ではそんな事ばかりが残っている。

が、冷静になって思い返してみると、それが失敗して結局ダボ以上叩いた方が圧倒的に多いのが真実。
大部分を占める失敗の記憶を、頭から消しているだけなのだ。

ボビー・ジョーンズの言っているこの言葉...前に30センチの隙間があるときに、横や後ろに安全に出すことは勇気がいる。
「今はリカバリー出来るときではない」と、決心するのには一歩後退する勇気が必要だ。
しかし、真にゴルフを知っているのは、こんな時に平気で後ろに出せる人だろう。

...林の中からフェアウェイを見ると、十分スイング出来るし、ボールの前は空いている。
グリーン方向の太い木と木の間は5メートルくらい、その先に15センチもない細い木が一本あるだけ。
空いている空間の比率からいって、90パーセント以上は木に当たらない空間だ。
こういうときは、その若い木を狙えば当たらない、というのがゴルフの常識。
「狙ってその木に当たるなら、俺はプロになってやらあ」なんて鼻で笑ってフルスイングすると...何とも美しい「パカーーーン」という音を残して、その若い木の幹の芯を食ったボールは、俺の真後ろ...さらに深い林の奥へと消えて行く。


ゴルフと言うのは、本当に不思議で奥深いゲームだ。
合理的、科学的が必ずしも真ならず、かと言って気持ちばかりでも迷路に嵌る。

「危険を承知で行くか?」「行かないで安全に出すか?」...これは、ゴルフの一番の悩みどころかも。

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