ゴルフの名言勝手に解釈  (渡辺隆司のゴルフブログ)

過去から今に伝わるゴルフの「名言・格言」を、勝手な解釈で描いて行きます。 読んだ結果、多分、ゴルフが上手くはなりません。 でも、ちょっと良いゴルファーにはなれるか、と。 もちろん責任持ちませんが。 (イラストの無断使用はしないで下さい)

2016年12月

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「OB・ロストボールは、天使の取り分」...リー・トレビノ
...だから、とっとと諦めろ!ってこと。

自慢じゃないが自他共に認めるワイパーショット(「右に左に」って意味)の俺だけど、ボールを諦めるのが早いのには自信がある。
5分まるまる探すなんて事は、絶対にしない。
でも、それを学習するのには、痛い思いと時間がかかった。

ラウンドしている時に、他人を巻き込んで一番迷惑をかけるのが、この「ボール探し」だろう。
実は自分でも一生懸命競技をやっていた頃には、良いスコアで来ているときにひん曲げてしまったティーショットのボールは、諦めきれずに探し続けていろんな人に迷惑をかけた。
特に、OBのある場所ではない「単なるロスト」の場合は、「こんな所でなくなるはずがない」と制限時間の5分間一杯迄未練に探し続けたものだった。
しかし、自分の経験では2〜3分探して見つからないボールは、5分探しても見つからない事が殆ど。
そんな時には、さっさと諦めて暫定球を打つ事に切り替えた方が、ずっと気持ち良くプレーが続けられる...5分まるまる探して見つからなかった場合には、不満と怒りと自己嫌悪とが高まって来て次のプレーにもミスを引きずる事が多かった。

で、俺の教訓...「ゴルフってのは「こんな所でなくなるはずが無い」ボールが無くなるゲームでもある。」
そう思った方が良い。
ゴルフコースにはボールを隠す何かがいるのだ...「魔女」かも知れないし、「女神」かも知れないし、「天使」かも知れないし、「物の怪」や「妖」かも知れない。
ボールはフェアウェイの真ん中でも、無くなる。
みんなが「あそこだ」と見ていても、ボールは忽然と姿を消したりする。
だから、そんなボールはワインなんかで言う「天使の取り分」だと思ってさっさと諦めて、「残りのワインを味わえば良い」って、トレビノが言うわけだ。

我々凡ゴルファーは、「コースでラウンドする時には、ボールは安いもので良いから、「売るほど」持って行こう。」
「そんなに欲しいなら、いくらでも天使にくれやらァ」てなもんで、イジイジと未練たらしく探し続けるのは凄く格好悪いぞ。
下手はしょうがないけど、その上格好悪いゴルファーにまでなる事はないものな。




が、それにしても小憎たらしい天使の奴だ...

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「ショートパットというものは ロングパットと同じくらい ミスをするものだ」...オールド・トム・モリス

伝説の名手でさえ、そうなのか。

白状します。
懸命に競技をやっていた15年以上前のこと...
ショートパットを外し続けてスコアを崩した時に、パターを3回捨てた。
ハウスに帰る途中のコースのクリークに一回、家に帰るときに途中の川に2回...それは後々深く反省を続ける事になった愚行...若気の至り、軽挙妄動、穴があったら入りたい行動だった。
いずれも中古クラブ屋で安く手に入れた流行のパターだったんだけど、1メートルはおろか50センチもないパットを何度も外してキレたのが原因だった。

その時こんな言葉を知っていれば...

ゴルフ史上伝説の名手でさえ、ショートパットの難しさを語っているんだから、俺の様な未熟者が1メートル未満のパットを外すなんてのは当たり前のこと。
「入って当たり前」「入れて当たり前」なんてパットは、30センチ未満...俗に言う「ワングリップ」以外にはあり得ないってことだ。(過去には名のあるプロが試合で、10センチ・15センチのパットを入れ損なったと言う記録は沢山残っている)
俺のように50センチくらいを、「お先に」と言って外すなんてのは論外だろう(実は俺の得意技)。

ロングパットは入らないのが当たり前、1メートルのパットも確率「5割以下」だと思って打つのが良いのかも知れない。
でも、多分それだからこそ1メートルをまっすぐ打つパット練習は必要なんだろう。
5割から6割、7割になれば、きっとスコアは画期的に良くなるだろうから。

1メートルのパットは本当に難しい...名手や名人と言われるプロにとっても。
だから、凡俗な大叩きゴルファーがいくつか外したからって、そんなにキレるなんて傲慢すぎるって事。
外して当たり前、もし入ったらゴルフの神様にお供え物をするくらい感謝するのが筋ってモノだ

オールド・トム・モリスの言うように、ショートパットと言うものはロングパットと同じくらい「上手い奴」でもミスをするんだから、「ショートパットだから易しい」なんて思っちゃいけない。
謙虚に誠実に、一生懸命に入れに行こう。
迷わず、怯えず、言い訳も逃げ道も考えずに、「決めて」打つ。

その結果、自分の思うように打てて外したら、胸を張って次のホールに立ち向かおう。
「今日はこんな日だ」と思って、その結果は記憶せず・反省もせず・後悔もしない。

パットって、本当に難しいんだ。
短いパットだって、「絶対に入るパット」なんて無いんだ。

ねえ、モリスさん。 

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「せっかく開眼した(はずの)当たりが、長く続かないのは[Over-do]のためだ!」
この言葉は、ボビー・ジョーンズ、ジミー・ディマレ、ヘンリー・コットン他、古今の著名なゴルファーが口を揃えて言っている言葉。

オーバー・ドゥ...やりすぎるってこと。

確かに自分にも、一つや二つではない「覚え」がある。
ある時は、アイアンを上手く打ち込んでボールを捕まえる「コツ」を掴んだと思った。
しばらくは実にイメージ通りにボールが飛び、しかもピンに絡んでピタッと止まる。
これで俺はアイアンは絶対マスターした!...なんて思っていた。
しかし、だんだんダウンブロー(本人はそう思っていた)に打ち込む度合いが強くなっていき、フェアウェイに掘る穴の深さが増していった。
そしてついには、ショートアイアンで打ったときにはアイアンがフェアウェイに突き刺さり、抜けなくなるまでになってしまった。
今思えば笑い話だけれど、自分では「華麗なるダウンブローで、ワラジの様なターフをとっているだけ」なんて信じていた...しまいには右手を捻挫するくらい深く打ち込んで、深い穴掘って、何がダウンブローなんだか(笑)。

有名なプロゴルファー達でさえ、オーバー・ドゥになることに気を遣うなんていうんだから、我々がある日突然「わかった!」なんて事は、実は深ーい落とし穴の前で背伸びして、甘そうな頭上の木の実を獲ろうとしているのと同じなのかも知れない。
そんな簡単に「わかる」なんて、ゴルフはそんなに甘くないってみんな知ってるはずのこと。
それなのに不思議なことに、ラウンドするたび、練習するたびにゴルファーってのはいきなり閃いちゃうし、何かを掴んじゃう。
「これだ!」ってやつだ。
そして、それが今迄に経験した事の無い様な良い結果を出してくれたりする。
「判った!」「俺は開眼したんだ!」「俺は壁を越えた!」なんてね。

そうなるともう、それだけを信じ込んでこだわり、道が見えたからと夢中で練習する。
それが「たまたま」上手く行っただけなんて事は、全く思いもしない。
しかし、何ラウンドかは上手く行ったラウンドのあと、「あれ?」と思う...以前得意だったヤツが上手くいかないし、開眼したはずのヤツもおかしい。
「こんなはずでは...」と、自分が見つけた事柄を必死で反芻し、練習の成果を表そうとするのだが、やればやるだけミスが酷くなって来る。
それどころか以前は無かった様なミスさえするようになる。
ふと気がつく...俺は上手くなっているどころか、下手になっているんじゃないか?

メチャクチャになってしまった自分のゴルフの姿に気がついて、ふと思うようになる「あれは、悪戯好きの魔女の囁きだのか?」

ゴルフの上達と言うのは、振り子の様なものだと聞いた事がある。
例えば、全てが右に行き過ぎて悪い状態の時に、左側の方法に気がつくとスイングが右から左に移って行く...するとある一瞬、全てが真ん中のいい状態になり、素晴らしい結果が出るようになる。
しかし、その「左」の方法をやり過ぎると全てが左に向かって行き、結局今度は左側の悪い状態に突入してしまうのだと。
その「真ん中」の状態を維持する事は、プロの超一流ゴルファーにとっても容易な事ではないんだ、と。


「オーバードゥをしない」と言う事は、超一流ゴルファーにとっても難しい事だと言うんだから....我々凡ゴルファーがしょっちゅう開眼して「あっちへ行ったり」「こっちに来たり」で右往左往しているのは、しょうがないと言えばしょうがないって事だ。

だからせめて、我々も「開眼」なんてしちゃったときは、「この開眼で行き過ぎないよう用心しよう」なんて思わないかい?
ご同輩。 


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「打つ前に悪いイメージを持つと、その通りのミスになる。」...ミッキー・ライト。

大分前から良く聞いた言葉に、「ゴルファーは自分の言葉に責任を持ってしまう」というのもあった。
色々なゴルフ界の著名人が同じ意味のことを言っているところを見ると、この言葉は上手い下手、ゴルフ歴の長短にかかわらず誰もが感じていることなんだ、と改めて思う。

「この前はここでフックしてOB打ったんだよなあ...」とか、「ここの池には何度も入れてるよなあ...」なんて、ちょっとでも思ったが最後...殆どの場合そのイメージの忠実な再現になってしまう。
誰でも心当たりがあるだろう。

ゴルフの奥深さであり、面白さとも共通するんだけれど、
「ゴルフボールは、必ず行って欲しくない方向に飛ぶ」という「真理」もある...これは宇宙の定理でもある。
「左に行っちゃダメだ!」と思えば、必ずボールは左に飛び、「右には行くな!」と願えば必ずボールは右に行く。
では、どうしてみんなそこそこフェアウェイに打てるようになるか、というと...ゴルファーというのはみんなコースで酷い目にあってから、修行をするようになるからなのだ。
そこではみんな本能と欲望を抑え、「動かしたい所を動かさないよう」に、「動かしたくないところを動かすよう」に、「右に動きたいところを左に動かし」、「左に動きたいところを右に動かし」、「上に行きたいところを下に向け」、「下に動こうとするのを上に動かし」...そんな血と汗と涙の努力と練習の結果、ボールは弱々しくもフェアウェイに行くようになる。
そのように自分の本能から遠く離れた所で、苦労の末作り上げた「スイング」というものは、「こんなに苦労したんだから、きっとフェアウェイの方向に行く...に違いない...行って欲しい...頼むから行ってくれ」なんて感じで、やっと微妙なバランスの上で「もの」になっているもんなのだ。

だから、そこに疑問が入るともういけない。
チラッとでも「右の池が...」とか「左のOBが...」なんて思っただけで、そんな努力と修行の結果なんて霞のようにどこかへ吹き飛んでしまう。
これは沢山の有名なプロゴルファーでさえ、言っている言葉なんだから間違いない。

じゃあどうするか、ということだけど...そう思うな、ということしかプロも言えない。
そんなイメージが出てきたら、アドレスを解いてはじめからやり直す、と。
でも、出てくるなって言ったって、出てくるのが悪いイメージ..なんたって景色が見えてしまうんだから。

そこで、しょうがないからおまじないを頭の中で繰り返す...「俺のボールは絶対にまっすぐ飛ぶ!」でも「今日の昼飯は、中華にする」でも「ここでまっすぐ飛んだら、嫁さんにお土産持って帰る」でも「フェアウェイ右サイドに飛んだら、今度の休日には子供の相手をずっとする」でも「あの女優のおっぱいはいいなあ」でもいい。
悪いイメージを一時的に、強引に違うイメージで吹き飛ばし押さえつけて、その間にスイングするのだ。

つくづくゴルフってのは...繊細で正直で謙虚で優しい神経の持ち主には難しいゲームだ。
だから昔から、「嫌な奴ほどゴルフが上手い」って言葉が言われているのだ。

...嫌な奴だがゴルフが下手、っていう俺は立場がないけど。

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「我々は公平ということを、言い過ぎる。
 非常に良いショットが 非常に悪いライになることがある。
 だが、それがゴルフなのだ。」...ジョージ・ダンカン

どうだろう。
別に「長い目で見れば、幸運も不運も同じ」という言葉があるけれど、自分じゃ圧倒的に不運の方が多いと思っている人が圧倒的に多いんじゃないか。
...でも、ここでは運不運の問題は置いておいて。

ゴルフの面白さ、ゴルフの奥深さというものは、自然の中で遊び競うものだというところにあると思う。「自然の中で遊ぶ」ということは人工的な場で遊ぶ事と違い、同じ距離を打つのであっても、風が違い、気温が違い、自分の体調も違い...そして「ライ」が違う為に「全く同じショット」を打つ事はまず無いと言う事。

昔からいろいろな名手達がゴルフのことを、「ゴルフは景色のゲームだ」とか「ゴルフはライのゲームだ」とか言っている。
景色とは、例えば「右がOB」とか「左が池」だとか、「目の前が池」だとか、普通の広くて何にも無いフェアウェイからならなんでもないショットが、見える「何か」があるだけで普通にショットが打てなくなってしまう...景色を見たことによる心理的な影響がゴルフを難しくすることを言う。
(10メートルの長さで幅30センチの板は、地面においてあれば誰でも問題なく歩けるけど、20メートルの高さにあったら歩いて渡れる人は極少ないだろ?)

そして、「ライ」。
ゴルフは原則的に、ティーグラウンドでボールをセットしたら、グリーンに乗るまで絶対に「手」でボールを触ってはいけないのだ(アンプレアブルの処置、修理地、カジュアルウォーターの処置、あるいは動かせない障害物の処置など、いくつかの例外はあるけれど)。
どんなに良いショットをしても、誰かが掘ったディポット跡に入ってしまうことがある。
ちょっとキックが悪かっただけで、変な傾斜に行ってしまうことがある。
理不尽だし不公平だし、時には「祟り」とか「呪い」の存在迄信じたくなる程だ...でも、「それがゴルフ」なのだ。
ゴルフは本来アンフェアなもの、それを甘んじて受けて、その苦難を乗り越え、奥深さを楽しむのが本当の「ゴルファー」なんだと思う。

だから、よくオープンコンペなんかでやっている「6インチプレース」。
あれはゴルフを本当に楽しみたい人は絶対にやってはいけない。
もしやれば、その人のやっているものは断じて「ゴルフ」ではなくなってしまう...ただ格好が「ゴルフに似た球遊び」だ。
ゴルフに似てはいても、志も誇りもルールも、世界の人が楽しむ「ゴルフ」じゃあない。

初めてオープンコンペで会うゴルファーのそこだけは見ている...そして、ボールに触らない人とのゴルフ談義は、実に楽しい。
ともに不運を嘆き合うんだって、触らないから潔い。

だから「ゴルフ」は面白い。

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「冒険しなければ、なにも手に入らない」...イギリスで、古くから言われている格言の一つ。

日本風に言えば「虎穴に入らずんば 虎児を得ず」とかなんとか...

例えば、自分がナイスショットをすれば届くけれど、少しでもミスすれば池に入る、なんていう場合。
貴男は冒険するだろうか、安全第一で刻むだろうか?
なんだか、人生に対する「向き合い方」みたいなことさえ問われているような問題。
普通は刻む人と、行く人は半々くらいだろう。
そして「行く人」の成功率もせいぜい50パーセントあるかないかだと思う。

今の一般的なレッスン書やレッスンプロの薦めるのは、大体慎重論の方だろう。
無謀な攻め方をするのは、「ゴルフ頭の悪い」ゴルファーとして軽蔑され、「行かない」ゴルファーのほうが「頭脳的なゴルファー」として賞賛される。

なのに、昔のゴルファーがこうした言葉を残しているのは何故だろう?
...こう考えられるのではないか。
「勇気あるショット」にはうまくいったときには「自信」と、「スコア」と、「良い記憶」がご褒美としてゴルファーに与えられる。
この勇気の記憶は、次に冒険しなくてはいけない場面に遭遇したときに、決断の早さと、身体の動きのスムースさと、心に不安が起こるのを抑える「自信」をもたらしてくれる。
「臆病さ」からきた「刻み」には、また再びそういう場面に遭遇したときに、前と全く変わらない怯えと不安に襲われる...いつまで経っても、同じ結論しか出せなくなるわけだ。

命まで奪われるわけじゃなし(ボールの一つや二つ、スコアの一つや二つ)...「チャレンジしてこそ、自分に新しいゴルフの世界が開かれる」ってことを昔の人は言ったんだと思う。

ただし、勇気あるショットと「無鉄砲」なショットは違う。
アーノルド・パーマーも言っているが
「勇気あるショットには報酬があるが、無鉄砲なショットには得られるものはなにもない」

ここからが俺の勝手な解釈だけど、「勇気あるショット」の条件とは、せめて練習場で3回に一回は打てるショットではないだろうか...俺的には5回に一回打てるものでも良いと思うけど。
なぜなら、そんなショットを「ここ一番」で上手く打てたら、練習場ではいつでも打てるようになるほどの自信になるから。
無鉄砲なショットとは、「上手く打てた記憶の無いショット」、あるいは「ただ打ちたいと思っているだけのショット」、あるいは「テレビで見ただけのプロの打ったショット」、あるいは「プロも打てないような凄いショット(笑)」なんかの事。
つまり、妄想と願望のみで打とうとする「100回に1回も当たらない、下手打ちギャンブルショット」の事だ。


「行くか、やめるか」...やった後悔か、やらなかった後悔か...どちらを選ぶかと聞かれたら、俺は間違いなく「やって後悔」した方が良いと思っている。
だからこの次にそういう機会に出会ったら、また間違いなく行っちまう...


いい年して、懲りずに...そして、口癖になっちまった「やっぱり、オレは馬鹿だ...」を言うんだよなあ。

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これは、ゴルフを始めた頃に、大先輩から注意されたことの一つ。
「ボールを拾うときには、カップからなるべく離れたところに足をおけ」
つまり、「カップの側を踏みつけるな!」という教えだった。

このことに関しては、テレビ中継などでよく見ていると、日本のプロ(特に女子)にもカップのすぐ側を踏んでボールを拾う人が多いのに気がつく。
まして、アマチュアの試合なんかになると、カップから1センチくらいの所まで踏み込む人なんかもいる。
普通に見ていると大部分のアマチュアゴルファーは、15センチから20センチくらいまでは踏み込んでいるんじゃないだろうか?
この距離、近すぎないか?

アメリカのツアーなんかを見ていると、殆どの人がパターを支えにして、4−50センチ以上離れてボールを拾っている。
まあ、これは自分でもやってみたけど、結構きつい姿勢で、下手すると体重を掛けたパターでグリーン上に凹みが出来そうだったので今はあまりやっていない。

このことに注意している名言などを探してみると、ハービー・ペニックが
「ボールを拾い上げるときに、どれだけカップの近くを踏まないようにするかを見ると、そのプレーヤーがどれだけ思慮深く、思いやりのある人かがわかる」
という言葉を残している。
そして、この「カップの近く」がどのくらいの距離であるのかが問題なのだが、自分ではよく「ワングリップOK」なんて使われている、ワングリップの距離くらいだろうと考えていた。
ワングリップというと、ほぼ25−26センチ、これだけ離れればいいのではないか、と。

面白いことに札幌で買った本の中に、鈴木康之氏の「ゴルファーのスピリット」という本があり、この中でこれについての考察が書かれており、その距離を靴一足分(約26.8センチ)としている。
その理由は、ボールがふた転がりでキッチリはいる距離...つまりボールの直径X3.14X2が26,8なんだそうだ。

こんなことしたからってスコアが良くなるわけではないけど、みんながフェアで公正に楽しみ競う様に気を使うって、大事な事なんじゃないか?

カップのすぐ側を平気で踏み荒らして行く様な「自称上級者」より、カップから離れてボールを拾う百叩きのゴルファーの方が、ずっとスマートに見えないか?
(そんな所に気を使わないゴルファーなんて、オレは二度と一緒に回ろうなんて思わない。)

「ワングリップ又は靴一足分、カップから離れてボールを拾う」
こんな風にさりげなく気を使う...ちょっと洒落ているんじゃない?

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「ピークは心が決めるモノ」...鈴木規夫

というのは今、共同通信で十年以上連載していて全国の地方紙に配信されている、「鈴木規夫のゴルフは心」で鈴木規夫が自分自身に語った言葉だ。
ゴルファーというものは、「今がピークだ」と思ったときには、もうゴルフの力は下り坂になっている。
何時も挑戦者の気持ちで挑戦し続ければ、ピークはまだこれから来ると言う。
そして「もう年だから」というのは、甘えや言い訳を自分にしているだけだというのだ。

確かに、普通のゴルファーは60歳くらいになると「もう競技は無理だ」、とか「年だから全然飛ばなくなった」、とか「俺なんか所詮こんなモノさ」なんて言葉が普通に会話に出て来るだろう。
同じ様な年齢の仲間も、みんな一緒にスコアが落ちて行くから、それが自然で当たり前の事と疑いもしないだろう?

しかし、ラウンドの度にスコアが悪くなって行く、ついこの間迄色々と教えてやっていた若いヤツに、飛距離もスコアも追い越されて行く...それで本心から心穏やかでいられるのか?
ベストスコアより20打も30打も多く打って回ることが、本当に楽しいか?
心の片隅に「いや、本当の俺はもっとやれるはずだ」なんて気持ちが、口惜しそうに蠢いていないか?
...「今」諦めるのは、口惜しくないか?

のんびり冬眠して春を待つつもりの季節でも、「刺激」は遠慮なく戸を叩く。
これから燃えようとしている男、挑戦しようと動き始めている男達が、「真面目に遊ぼ!」と誘いに来る。
真面目に練習しないと打てないような、剛刀を使えと言ってくる。

そうだなあ、残り少ない人生で、稼ぎも少ない貧乏暮らしだが、ちょっと早めに始動して今年の春に挑戦してみるか。
「俺のピークはこれから来るんだ」なんて、少し気持ちを騙してみるか。
世間一般の「年齢」も「ピーク」もそれは他人が勝手に決めたもの、俺のピークは俺が決める、ってね。
まだ寒いけど、外に出て、背筋を伸ばして、身体をほぐして、ちょっと腹回りを落として、下半身を少し鍛えて...そしてゴルフの女神に懺悔して。
もう一度、ここからスタートしてみる。
今は多分ハンデは18か20だろう、これを5年後に8か6にはしよう、なんて決めて。

「俺のピークはこれから5年後にやってくる」...そう自分を騙し切ったら、本当にそうなりそうな...気がしないでもないじゃない(笑)。

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「多くのゴルファーは ボールを早く打とうとしすぎる。 タンポポの花を打つようにスイングすればいい」...サム・スニード


天性のスインガーと言われたサム・スニードの言葉だが、要するに「打ち急ぐな!」ということ。


世の中の「名人」とでもいわれる様な方々から見ると、数多いる「俗物ゴルファー」達は、ゴルフクラブを手にしてゴルフボールを前にすると、スイングを始めた途端に皆世の中の理を忘れて発狂してしまうんだそうだ。

確かに我々の多くは、ボールに対して構え、動き出した途端に「記憶喪失」になったり、普段とは別の人格に「変異」してしまって、鬼の様な形相で息も荒くなり、まるで親の敵のようにボールに襲いかかって...打ち終わった後でふと我に返り、恥ずかし思いに赤面した経験というのがあるだろう。
素振りの時にはまだ気は確かなのに、ボールがあると「もっと飛ばさなくちゃ」という狂気のスイッチが入ってしまう...その結果、悲鳴を上げたり、怒り狂ったり、絶望の呟きや、呪いの言葉を吐き出している人物が自分だと気がつくのは、ティーグランドを降りる時だ。
だから、何度でも同じ失敗を繰り返す。

それだけ「ボールを打たなくちゃ」「もっと飛ばさなくちゃ」というプレッシャーは、ゴルファーにとって「重い」と言う事。
そして、「もっと飛ばしたい」は「もっと力を入れなくちゃ」になり、自分の力(主に腕力)の「フル動員」になり、それはスイングの理を忘れた「リズムの欠けた早打ち」「出鱈目な腕力打ち」「全身無駄働きの踊り打ち」になってしまう。

で、サム・スニードは言う。
「みんな、早打ちしすぎて、レート・ヒッティングができていない」
「だから、ボールを打とうとは思わずに、道ばたのタンポポの花を打つように打てばいい」
...だそうだ。

確かに、クラブが降りてくるまで「待つ」感覚がないと、殆ど手が先行したり、右肩が落ちたりしてミスになる。
早打ちにならずに「待つ」事が出来れば、それがレートヒッティング出来たということ。
その「待つ」と言う感覚は、「冷静な頭脳」「落ち着いた頭」が無ければ体現出来ない。
ゴルフスイングで殆ど全部のゴルファーが発狂してしまうのは、「ボールを打とう」とする事が原因なのは確か...だから、これを「道端に咲いているタンポポを打とう」としているんだとイメージするとどうだろう。
クールに発狂もせずに、ゆっくりとスイング出来るだろう?
誰もがちゃんとレートヒッティング出来てるはずだ。

まさにこの部分が、ゴルフスイングのツボの部分と言える...長くレッスンイラストを描いてきて知り合った、多くのな有能なレッスンプロ達は、共通して「この辺り」のことを色々な言葉で表現している。

そんな中で、サム・スニードのこの言葉がこのポイントを一番易しい言葉で言っている、と思うんだけど。
...どうだろう? 

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「悪いショットはすぐに忘れろ 良いショットは繰り返し頭に入れておけ」 チャールズ・ムーア

ゴルフでは、大事な場面で大きなミスショットをした場合、また同じような場面に出くわしたときに同じようなミスをしてしまうことが多い。
ミスの記憶がミスを呼ぶというわけだが、我々誰もがこのことは思い当たるんじゃないか?

「ゴルファーは皆、自分の言葉に責任をとってしまう」、なんて言葉もある。
「なんだか池に入りそうだな..」とか、「引っかけてOBになりそうだ」とか、「右に行きそうだ」なんて口に出して呟いたとたんに、その言葉通りの結果になってしまう。
「いいライだけど、ダフるかも」とか、「こんなとこでシャンクなんかしたら大変だな」なんて言葉にした途端に、それが現実になる。
...思い当たる事ばかりだろう?
打つ前の不安、自信喪失、弱気、嫌な予感、なんてモノが頭を過ると、すぐにそれが現実のものとなる。
「ああ、やっぱり」
「そうなると思った」
「いつもそうだもんな」
「おれが上手く打てる訳無いんだ」
ミスした後、妙に納得して安心したりする。

それじゃあ、進歩は無い。
その場所にいつまでもいる事が楽しいし安心する、と言うならしょうがないが、少しでも「良いショットを打ちたい」とか「もっと上手くなりたい」、「同じミスを繰り返すのは嫌だ」なんて思っているなら、まず考え方を変える事だ。

悪いショットのイメージを記憶していいことは一つもないし、打ち終わってしまったショットを悔やんだって、絶対に元には戻らない。
だから、昔からの有名なゴルファーや評論家が口を揃えて言っている。
「悪いショットは、すぐに忘れろ!」って。
そのかわりに、良いショットのイメージを繰り返し頭の中に入れておいて強く記憶しておけば、自分本来の良いリズムで打つことが出来るし、余計なプレッシャーや恐怖感に襲われることもない、というわけだ。

ただ、ゴルフってのは真面目に取り組めば取り組むほど、「自分のプレーの責任は、全部自分にある」ということが判ってくるから、なんだか必要以上に自分を責めてしまうことが多いんだよね。
特に普段真面目で誠実で、何事にも真っ正直に取り組む「いいひと」は、一つの失敗をいつも繰り返し後悔し、反省し、次にはなんとかしたいと思っているから、結果的に悪い記憶ばかり増えてしまい、プレッシャーのかかる同じ様な場面に出くわすとそればかりが頭に浮かんで来てしまう。
俺は、ゴルファーの8割は「いいひと」で「悲観論者」じゃないかと思っている。

でも自分を責めてもスコアは良くならない。
反省しすぎても萎縮してしまうだけ。
気分転換は簡単じゃないけど、その時自分に出来るのは「次のショットを打つだけ」なんだよね。
そして、「次のショット」は、過去と関係ない新しい体験なんだ。
自分の記憶の底からひっくり返して、見つけて欲しい...良いショットの記憶を。
中には、とても自分が打ったとは思えないくらい「すんばらしいショット」だってあったはずだ。
「プロよりすげえや」なんてヤツだってあったかもしれない。
そういうショットだけ覚えておこう。
良いショット、凄いショットだけ頭に残しておけば良い。
次にショットを打つときは、まず上手く行ったショットを頭に浮かべる...それから打てば良い。
もし悪いショットの記憶が頭に浮かんだら、もう一度アドレスからやり直す。
そしてそれが浮かぶ前に打ってしまう。
それでいい。

もし失敗しても、その時に一応反省したら、すぐに忘れればいい。

案外、ゴルフのプレーの「ツボ」なんじゃないかな、この言葉。
俺みたいに、「悪いプレーは、なかったことにする」ってし過ぎるのも、問題かもしれないけど。

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