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「ゴルフコースは女と似ている。扱い方を間違えなければ楽しいが、間違えれば手に負えないことになる」...トミー・アーマー。


女性から見たら、「失礼な!」とか、「侮辱している!」とか、「セクハラだ!」とか...非難囂々となりそうな言葉だが...言っているのはトミー・アーマーだから。

(それに彼に限らず、こんな意味の言葉は本当に昔から色々な人が言っている。)


でも、「女」をよく知っている男はもちろん、女にもてない男でも(いや、もてないから尚更か)「女の扱いが難しい」って事には多いに共感するもんだから、この言葉が長く沢山伝わっているんだろう。


ゴルフっていうゲームは、昔から「人生」や「女」に例えられることが多い。

人生に例えられる場合は、そのゲームの「運」「不運」の絶妙なバランスが、自分の生きてきた人生に照らし合わせて、主に自虐的に共感することが多い。

懸命な努力が報われない絶望感。

もう少しでの成功がほんの少しのミスによって台無しになる挫折感。

幸運は自分の方には全然来ないで、他の人ばかりに行くと感じる嫉妬・不公平感。

「一体自分が何をしたって言うんだ」と泣きたくなるような「不運」は、大事なときに何時もやってくる...その「ああ、やっぱり」という「堕ちて行く」感覚にはマゾヒスティックな快感さえ感じてしまう。

だが、ゴルフと言うのは実の人生と違って、ラウンド後にいつの間にか生まれる「妄想による希望」と「根拠のない自信」によって、次のラウンドではまた新たな再生のスタートを切ることが出来る。


女に例えられる場合、ゴルファーはコースに対して強引に「押しの一手」で対したり、あるいは卑屈に「引いて引いて」刻んで回り道をして、何とか自分の思う通りに回ろうとする、その姿勢がその人の女性に対する態度に重なると言う事。

それぞれが精一杯の拙い手練手管で、なんとか憧れの女性を「落とそう」とする報われそうも無い努力が共通しているって訳だ。

まかり間違って上手く行った場合の達成感は、他では決して得られないくらいの「喜び」があるはずなんだけどね。


しかしどっちにしたって、そう簡単に気難しいコースがいい思いをさせてくれるはずもなく、口説いても口説いても素敵な女性がこちらを向いてくれる訳も無い。

それでも根が善良で真面目なゴルファーは、「自分のやり方(口説き方)が間違っていたのか」と反省し、次のラウンドでは違う方向から違う攻め方や、違うクラブで再び懸命にアプローチする。


しかし、そんなことを繰り返しているうちに機嫌を損ねたコースに往復ビンタを浴びて、「ああ、ワーストスコア更新だ..」なんて泣きを見ることになる。

まあ、そこで諦めないのが「女」と「コース」の違うところだけど。

女性には3回誘ってダメなら完全に諦めた方が良い。

それ以上しつこく誘ったら、「ストーカー」として警察に捉まるかもしれないから。


でも、それがゴルフとなると、ストーカーとなってもしょうがない。

嫌われても、嫌がられても、引っぱたかれても、蹴っ飛ばされても、締め落とされても、気がつけばまたゴルフコースに向かう自分がいる。

そんなに嫌いなら、ずっとこっちを向いてくれなければいいのに、何故かゴルフコースはどんなラウンドでも一回は自分に向かってゴルフの女神様が「微笑んで」くれて、素晴らしいプレゼントをくれるものだから。

たった一発の「会心のショット」、絶望の闇に光が差す「バーディー」、ふとした事で掴む「ああ、これだ!」の感覚、ふと振り返った時の空の美しさ、涙ぐむ顔に触れて通り過ぎた気持ちの良い風...

ああ、根が単純なゴルファーってのはそれだけで報われた気持ちになっちまう。


調子に乗るとぶん殴られて、諦めようと思いかけるとちょっとプレゼント...結局、ゴルフってのは究極のツンデレ女なのかもなあ。