ゴルフの名言勝手に解釈  (渡辺隆司のゴルフブログ)

過去から今に伝わるゴルフの「名言・格言」を、勝手な解釈で描いて行きます。 読んだ結果、多分、ゴルフが上手くはなりません。 でも、ちょっと良いゴルファーにはなれるか、と。 もちろん責任持ちませんが。 (イラストの無断使用はしないで下さい)

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「年をとったら『打ち』にいってはいけない しっかり大きく『振り抜く』だけだ」...サム・スニード

サム・スニードは「ナチュラルスィンガー」と言われた天性のスウィンガーだったけれど、年をとってもその飛距離が落ちないゴルファーでもあった。
その秘訣とでも言うものが、こんな言葉になったんだろうと思う。

若い頃は全てのパワーをインパクトに集中するスウィングで、十分に飛ばせるかもしれない。
それは下半身のパワーも腕から上半身の筋肉も、背筋腹筋に所謂「コア」の筋肉も全ての筋肉の瞬発力をインパクトの瞬間に解放出来る...運動神経も体力もそれに耐えられるからだ。
しかし、年をとることでの下半身の衰えや運動神経の衰えは、インパクトの瞬間に解放出来る力を若い頃より段違いに少なくさせてしまう。

だから年をとるごとに急速に飛ばなくなった、と感じる人はインパクト重視の「打つ」スウィングの人である事が多い。
騙されたと思って、(インパクトを忘れて)大きく振り抜く事だけを考えてスィングしてみるといい。
そのまま、ボールの事なんか気にしないで大きく振り抜いて打ってみるといい...ボールを意識するとどうしても打つスウィングになるから、ボールを見ないで。
ちゃんとボールに当たった時には、「打つ気」でスウィングしたときよりも「いい球」になっていないだろうか?
「打つスウィング」の人はボールを見ないと不安になるだろうけれど、ゴルフを長年やってりゃボールなんか見る気がなくても結構フェースに当たるもんだから大丈夫。

考える事は「振り抜け!」「振り抜け!」だけ。
ただ、年をとると若い事のように完全に肩が回りきったフィニッシュなんて取れなくなっているんだから、奇麗なフィニッシュなんかを考えなくてもいいと思う。
ただ、「ボールのあるところを通り過ぎるように大きく振り抜け!」だ。

道具、ドライバーも本当は「振り抜きやすい」ドライバーにした方がいい。
インパクトでガッツンと「打つ」ためのスペックと、スパッと振り抜くためのスペックは当然違ってくるだろうし、「打つ」気をなくして「振り抜く」気にさせてくれるスペックというのも当然あるだろう。
それはそれぞれ個人の体力と好みに合わせて、ともかく「振り抜ける」ように,,...

そうして、50才になっても60才になっても、70才になったって「若い者より飛ばしてやる!」なんて気になりゃ面白い。
なんたって「飛ばしっこ」は男の本能、子供の頃のおしっこの飛ばしっこ以来負けりゃ口惜しい男のサガなんだから。

さあ、諦めるのは死んでから。
ドラコン目指して、入れ歯が外れるくらい振り抜いてやろうじゃないの...俺、入れ歯ないけどね(笑)。

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「いつも 『今日しかない』と考えてプレーしている」...ジャック・ニクラス。

以前に書いた、チャールズ・チャプリンの「Next is best」と正反対の言葉のように見える。
しかしあれは、何度ゴルフの魔女や女神にいたぶられ、からかわれ、笑いものにされようとも、決して諦めようとしないゴルファー達の「不屈の精神」を表した言葉...ゴルフの魅力を語った言葉だ。

そしてこれも、ゴルフの本質的な魅力と楽しみ方を語った言葉だといえる。
ゴルフというゲームがなぜこんなに面白く、飽きる事なく長い時間楽しめるのか...なぜ殆どのゴルファーが(経済的な事情でプレー続行が不可能になった人を除いて)、身体が動く限りゴルフを続けるのか?
...それはゴルフが、「一期一会」のゲームだからなんだと思う。

ゴルフというものに、全く同じショットは二度とない。全く同じ条件でプレーする事は、絶対にないゲーム...(「play as it lies」と言うゴルフの基本精神でプレーする限り)一打一打がライが違い、景色が違い、自然条件が違い、自分の身体の具合が違い、心の有り様が違う...そしてそれらの要素が、面白いようにボールに反映されるゲームなのだ。
同じコースで、同じような天気の時、同じ時間帯に何回プレーしても全てのショットが全て違う。
言い換えれば、全てのショットが「その時だけ」の「たった一度」の「一期一会」のショットという訳だ。

真剣にプレーすればするほど、毎回のショットは新鮮で変化があって、頭も身体もフルに使って対処しなければならない深みがある。
やればやるほど熱中するのは当たり前だ。
...ただ、ゴルフの神様って奴はへそ曲がりで意地悪で、浮気者で気まぐれで、皮肉屋で悪戯好きなもんだから、我々にこれ以上ないくらい惨めで悲しく絶望的な思いを繰り返し味わわせる。
それも、より正直で誠実にプレーしている人を選んで狙い打ちをしているように、だ。

しかし、これで「投げて」はいけない。
ゲームを投げてしまったら、ゴルフの楽しみをより深く知る機会を捨ててしまう事になる。
(絶望から再起する事こそゴルファーの楽しみの真骨頂とも言えるんだから(笑)。)
「NEXT IS BEST」は、ゲームを投げなかったゴルファーが言う権利のある言葉。
投げてしまった人間には、次のゴルフを語る資格はない。

だから、ゴルファーは何時だってニクラスの言うように「今日しかない」と考えてゴルフをプレーするのがいい。

多分、そんな気持ちでラウンドすれば、池に映る空の色だって、フェアウェイ脇のラフに咲く花だって、OB杭の向こうから吹いてくる風だって、コースに流れる雲の影だってゴルフと人生をきっと豊かにしてくれるから。

「ゴルフ」と「人生」、どちらも「一期一会」だからこそ、面白い。 

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「レッスン書が増えるたびに 窒息するゴルファーが増えて行く」...ボブ・マーチン。

薄々感じてる人も多いだろう。
ゴルフスイングの新しい理論や、練習法や、チェックポイントなどの「評判になる」レッスン書が発売される度に、なんだかゴルフってものが複雑になって行くように思えてくること。

確かに「新しい」レッスン書には、「おおっ!」と思えるような内容が含まれている。
思わず「そうだったのか...」と、目の前が開けたような気にもなるだろう...
だが殆どの場合、しばらく実践していると「あれ?」と気がつく事が色々と出てくる。
「これは、前に呼んだあの本と同じ事じゃないか?」「これは、今まで練習して来た事と全く逆の事言ってるけど、これでいいんだろうか?」

ゴルフってゲームは、そもそも「地面に転がっているボールを、棒切れで遠くへ正確に飛ばそう」っていうゲーム。
こんな動きは人間の本来の身体の作りや自然な動きに逆らうものなのだ...だから、自分の本能のままに動くと、まずろくにボールに当たらないのが当たり前。
おまけになんとかボールに当たるようになると、今度は「本能的な動き」「自然な動き」は「行って欲しくない方向」へボールを打つ結果になると言う、ゴルフスイング最大の問題に直面する事になる(右の池を嫌がると右へ飛び、左のOBを嫌がると左にボールが行くと言う現象)。
だから動きに制限を加える。
例えば「頭を動かさない」「スエーしない」「肩を上下動させない」「脚をばたつかせない」等々...これらは、実は地面にあるものをなんとかしようと思った時に自然に出る動きを止める事でもある。
それに、普通の反応として「行って欲しくない方向から身体を背ける」なんて事も、結果として気持ちと反対の方向へボールを打つ事になる不思議を理解する等々。
...つまり、古来人類が育んできた自然な動きに反する「不自由な動き」こそが結果として正解、そしてそれがゴルフのスイングだと言う事を理解しなくてはいけない。

そんな不自由な動きを身体に覚えさせてボールを打って遊ぶには、まず大事なのが何度でも同じ動きが出来るように「再現性の高い動きを身につける事」。
これが一番大事だという事は古のゴルファーにも判っていたために、昔からゴルファー達はその習得に努力した。
結果、それぞれ自分の身体や心の特性に応じて、個性的だけど自分には再現性の高いスイングを時間をかけて身につけて行った。
で、その努力の過程をなるべく省いて、合理的で再現性の高いスイングを短い時間で身につけさせようというのが現代の世に数あるレッスン書の目的だ。

だが、多過ぎる。
どれも最終目標は同じはずなのだが...例えば「フッカー」と「スライサー」は逆の動きをしている。
例えば、身体の硬い人、柔らかい人、太った人と痩せた人、力持ちとひ弱な人、背の高い人や低い人...そのそれぞれが違う悩みがあるのを、どのレッスン書が救えるか?
世に出ている膨大な数のレッスン書の海から、まずは自分に必要なレッスン書を選ぶためのレッスン書が必要なんじゃないか...と思えるくらい正解を探すのは大変だ。
探しまわっているうちに、ゴルフそのものに窒息してしまう人も出て来るだろう。

窒息しない為には、新しい情報に流され過ぎない事、近道を狙っての浮気を繰り返さない事、簡単に上達する方法は無いと知る事、長く遊ぶ為には時間と金がかかると割り切る余裕を持つ事。
そしてこんな試行錯誤の全てが、「ゴルフの楽しみのうち」と心底思うこと。


貴方が良いゴルフ人生を送れるかどうかと言うのは、レッスン書とは全然関係ない事なんだから。


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