ゴルフの名言勝手に解釈  (渡辺隆司のゴルフブログ)

過去から今に伝わるゴルフの「名言・格言」を、勝手な解釈で描いて行きます。 読んだ結果、多分、ゴルフが上手くはなりません。 でも、ちょっと良いゴルファーにはなれるか、と。 もちろん責任持ちませんが。 (イラストの無断使用はしないで下さい)

img_0-65


「入れたのは自分自身だ、バンカーがあることに文句を言うな」・・・チャールズ・マクドナルド。


チャールズ・マクドナルドは、アメリカゴルフ協会(USGA)の初代副会長にして、第1回全米アマチャンピオン。
ゴルフの伝統擁護の旗手でもあり、「Play the ball as it lies.」を終生実行し、「ゴルフの精神を理解していれば、ゴルフルールは不要である」という言葉を残している。
ゴルフというゲームは審判がついていないのだから、基本的な精神を理解していればルールというものは簡単明瞭なもので足りる、ということなのだろう。

で、この言葉だ。

「なんでこんな所にバンカーがあるんだよ!」
「このバンカーはひでえなあ...ありえねえ!」
「おかしいよ、ここにバンカーがあるなんて」
「バンカーが多すぎない?」
「このバンカー砂がないよ」
「今日は砂遊びばっかり!」
...
こんな具合に文句タラタラになる人、多いんじゃないだろうか。
あるいは
「30センチ左だったら、入らなかったのに」
「もう1メートル飛んだらピンにくっついていたのに」
...

バンカーとはそういうものなのだ。
日本のコースの設計家が悪いとか、意地悪な訳じゃない。
毎年全英オープンが開かれるイギリスのリンクスコースは、誰が設計したとかじゃない「神が造ったコース」なんて言われている所が多いが、バンカーはそういう風に出来ている。
30センチの運・不運で、天国と地獄に別れるくらいに強烈に存在している。
こういうコースで、バンカーに入れたゴルファーが「こんな所にバンカーがあるのはおかしい」なんて言えやしない。
そのゴルファーが生まれる前から、そのバンカーはコースとともに存在していたのだし、それがそこにあるからゴルフコースなのだ。

なにより、ゴルフボールは自分からそんな所に飛び込まない。

ボールを動かしたのは、ゴルファー自身。
それなのに、バンカーがあることに文句を言うのは、ゴルフを否定し自分を否定することになる。



とはいえ...文句じゃないけど、毎度毎度打つたびにバンカーにしか行かないなんて、そんなゴルフのときもある。
逃げても逃げても、ボールはバンカーに飛び込み続ける。
殆どフェアウェイなんか使わずに、バンカーからバンカーを渡り歩いてグリーン横のガードバンカー。
そこでやっとバンカーから出たのに、アプローチがまたバンカーへ...なんて事だって。
「なんでバンカーばっかり...」なんて言いたくなるのもよく判る。
...でも、結局全て自分がやったこと。
ボールもバンカーも悪くない。

そんな日は、「今日は自虐的ゴルフの日なのかも」とか思って、運の悪い、ツキのない、何をやってもダメな、「可哀想な自分」のゴルフを楽しもう。
不運続きで、何をやっても「破滅的なゴルフ」で自分が堕ちて行く姿にも、それはそれなりの被虐的・倒錯的な暗い喜びがあるからさ(笑)。

 
でも、そんなゴルフに嵌って、「堕ちて行く喜び」が癖にならないように...ご用心(笑)。

img_0-64

「パッティングの極意は、頭を動かさない、フェースをラインに直角に、それ以外は個人の好み。」...トミー・アーマー。

トミー・アーマーは、メジャー3勝(1927年全米オープン、1930年全米プロ、1931年全米オープン)の名手。

この「パッティングで頭を動かさない」ということは、多くの名手達が同じことを言っている。
おそらくゴルフをやる殆ど全員が、パットの時に「頭を動かすな」という言葉は知っているし、正しいとも思っているだろう。
それなのになぜ、名手達が繰り返しそう言わなければならないかというと...こんな名手たちでさえ動いてしまうのだ、頭が。
パットが下手とか、苦手だという人のパットを見ていると、本人は動かしてないつもりでも頭が動いているのが良く判る。
多いのが、インパクトを迎える前に視線がカップの方に動き始める...ルックアップ。
ヘッドアップとも言われているけれど、要するにインパクトが疎かになり、フェースのちゃんとしたポイントで打つことが出来なくなる。
要するに「打ち損ね」ということになる。
原因は、カップが近くにあるため(すぐに見える所にあるために)、結果を早く見たがる「本能」。
あるいは、間違ってなかったか心配になってしまう「不安」。

これを改めるための名言・格言には、良く知られた「入ったかどうかは目で見ないで、カップインの音を耳で聞け」という言葉がある。
実際にカップインした音が聞こえる迄カップを見ないようにパットをしてみて、違和感や苦痛を感じると人は、間違いなくルックアップしている。

もう一つ、以外と多いのがバックスイングで右に、ダウンスイングで左にスエーしている人。
本人は頭が動いていないつもりでも、要するにヘッドと一緒に頭が動いている。
この「頭が動く」というのは、多くの場合実際には上半身が左右に動いていることであり、もっと自分で追求してみると膝から動いている事が多い。
(古来多くのプロは、パットを構える時にまず下半身を動かさないように「固める」事に注意を払っている)
普通のアマチュアはパターのフェースやボールに注意が行ってしまっているので、自分が動いているかもしれないということにまで気が回らない。

それに最近流行の理論...高速グリーンなどのパットは、左肩を下げてバックスイング・左肩を上げて打つ、というのがよく言われているが、これも頭の上下動やスエーを誘発しやすい。
とりあえずは、「パットのスイング中は頭を動かさない」「そのためには膝も動かさない」なんて事を、頭に刻み付けておくといいかもしれない。

「フェースをラインに直角に合わせる」...これは当たり前のことなんだけど。
意外に曲がったラインだと、そのラインに直角に合わせるのは難しい。
ラインに対してより深くやり過ぎたり、浅く間に合わせたりしやすい...結果、打った瞬間にラインから外れたのが判るようなパットになりやすい。
今はボールにラインが入っていたりして、それをパッティングラインに合わせ、ボールのラインに対して直角にフェースを合わせる、という風にして「ラインに直角」に合わせ易くはなっているが...
こんなこと丁寧にやっていると、間違いなく「スロープレー」になるので、程々にしておくことが肝心だ。
そんなに時間をかけてそのパットを入れたって、そのおかげでスロープレーヤーのレッテルを貼られたら、スコアよりずっと大事なものを失うことになる。
それに大体の場合、(アベレージゴルファーの場合)「時間をかけたパットは入らない」という法則がある。


...どんなパットの名手だって、「パットを打ったら、後は祈るだけだ」と言っているくらい、パットには人の手ではどうにもならない部分があるのだから。


img_0-63

「すべての点が間違いだらけのスイングでも、世界一になれる」...リー・トレビノ。

この陽気なメキシコ系アメリカ人がアメリカツアーで頭角を現し始めた時、殆どあらゆるゴルフメディアは彼のスイングを「すべての点で間違っている」と酷評した。
それは当時一般的だった「正しいゴルフスイング」の考え方とは、トレビノのスイングは殆ど全部が違っていたからだ。

グリップが一定していない、
スタンスがオープン過ぎる。
トップが浅い。
フラットすぎる。
右手で打っている。
右半身主導のスイングだ。
アウトサイドインの軌道だ。
フォローを真っすぐ出しすぎる。
右側が出過ぎる。
重心が左に出過ぎる。
...等々。

当時のスーパースターだった、パーマーやニクラスなどのスイングが「正しいスイング」と言われた時代、こんなスイングは言語道断...レッスンプロ達にとっては、営業妨害のスイングだったろうと想像出来る。
ところがトレビノは、こんなスイングで、スライス一辺倒で、全英オープン2勝、全米オープン2勝、全米プロ2勝を挙げたのだ(マスターズだけは、オーガスタのコースが彼の球筋に合わないと、苦手にしていた)。
実際には、スイングの大事な部分ではしっかりと理に適った動きをしているのだが、もし強くなければお世辞にも他人に褒められるスイングではなかったろう。
...ほかの人に「奇麗なスイング」と褒められることは絶対になかったスイングだ。

しかし例えばアメリカとは全く違う、一見荒涼としてただの荒地のようなコースで開かれる全英オープン...「奇麗」と褒められるだけのスイングは、まったく役に立たない。
吹き抜ける強風と、平らな所のない千変万化するライを相手にして、必要なのはいかにフェースをボールに正確に当てて、思ったような球筋のボールが打てるか...だけ。
美しいトップも、美しいフィニッシュも意味がない。

我々へぼゴルファーにとって、「奇麗なスイング」というのは、正直憧れではある。
誰だって他人から「奇麗なスイング」と言われたい。
(初心者がレッスンプロに教わって、奇麗なスイング作りから始めるのは、まったくもって正しいと思う...多分それが上達への一番の近道だと思うから。)
しかし、ある程度(長い時間?)自己流で楽しんで来て、それなりなボールを打てるようになった後、スイングが奇麗じゃないから奇麗なスイングにしたいと思っても、それは非常に難しい。
一度身体が覚えたスイングは、そう簡単には変えることは出来ない。
いくら教わっても練習しても、奇麗なスングへの改造はなかなか上手く行かず、スコアも伸びないどころか悪くなって行く。
仕事の合間に、出来る限りの努力ををしているのに、いつまでたっても奇麗なスイングにはほど遠く、スコアも悪くなり...ゴルフに行くのが辛くなってくる。
これは本末転倒じゃないのか?

ゴルフは、止まっていて自分からは動かないボールを打つゲーム。
どんな格好だって、毎回きちんとボールに当てられれば、後はクラブが助けてくれたり頭の使い方でホールと戦って行けるもの。
どんなライからでも打てる打ち方...奇麗な弾道でなくても、自分だけの球筋でもいい。
ほかの人とは違うルートで進んでもいいし、全然違ったクラブを使ったり、クラブの使い方が変わっていてもいい。
ルールに抵触するような特殊な打ち方じゃなかったら、どんな風にクラブを使ってどんなスイングをしたっていい。
ゴルフってゲームは、結構自由なことが出来るのだ。

トレビノみたいなプロだっていたんだ。
誰もが奇麗なスイングで、奇麗な弾道のゴルフを目指さなくたっていい。
自分の打ち方に磨きをかけて、自分だけのホール攻略を楽しむのだって面白いと思わないか?
自己流を磨いて行くのもゴルフの醍醐味だと思うし、そんなゴルファーは格好いいと思わないか?

それでも自分の打ち方に、再現性を高めるための練習は絶対必要なんだけれどね。


↑このページのトップヘ