ゴルフの名言勝手に解釈  (渡辺隆司のゴルフブログ)

過去から今に伝わるゴルフの「名言・格言」を、勝手な解釈で描いて行きます。 読んだ結果、多分、ゴルフが上手くはなりません。 でも、ちょっと良いゴルファーにはなれるか、と。 もちろん責任持ちませんが。 (イラストの無断使用はしないで下さい)

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「ゴルフは言い訳で始まって、言い訳で終わるゲームだ」...ハーヴイー・ペニック。

ペニックは有名なレッスンプロ、というか、ベン・クレンショーやトム・カイトを育てた名コーチ。
言葉はそのままの意味。
要は、「だけど、あまり言い訳なんかするんじゃない」という意味だろう。
言い訳するのは見苦しい、言い訳はみっともない、男らしくない、情けない、かっこ悪い、傲慢である、なんて、心の内が透けて見えるようで聞き苦しいから「言い訳なんか言うものじゃない」。

確かに、いちいち言い訳を言うゴルファーとはあまり一緒に回りたくないし、言い訳を言う自分も好きじゃあない。

ただ俺はかなり以前に、頼まれて書いたエッセイで顰蹙を買ったことがあるんだけれど、「アマチュアゴルファーは『言っても良い言い訳』がある」と思っている。
...それは、『仕事』の言い訳。
トップアマと呼ばれる人の多くは、「アマチュア」とはいいながら実際には殆ど仕事をせずに、一週間に3日も4日もゴルフをしている。
それは、例えば練習場の経営者だとかゴルフショップ経営だとか、あるいは「飲食店経営』とか言いながら実際は他の人に店を任せて自分はゴルフ三昧なんて人達だ。
...それに比べて、普通のアマチュアゴルファーは一週間に5日以上仕事をしている。
みんな生活のために家族のために必死で働いて、残った時間と生活費以外の給料の残りを遣り繰りしてゴルフをしている。
毎日仕事をちゃんとやってこそのゴルフなのだ。

だから、ゴルフの予定や試合の予定が決まっていても、決してそれに合わせて優先的にスケジュールを調整するなんて事は出来ない。
当然、ゴルフの前日までに何とか仕事を終わらせようと、寝る時間を削ったり、徹夜したりして無理をしなくちゃいけない。
それでも、急な仕事が入ったりで、ラウンド当日に万全の状態でゴルフをやれるなんて事は滅多にない。
せっかく練習してたのに寝不足で身体が思うように動かなかったり、仕事で腰を痛めてしまったり、何週間も練習出来なかったり、言い訳や愚痴を言いたくなるのも当然だろう。
でも、それがアマチュアゴルファーの普通の姿なのだ。

(「道具が」とか、「運が」とか、「同伴競技者が」とか、「キャディーが」とかの言い訳は本当に見苦しい。
そんな言い訳をするヤツは軽蔑されて当然だ。)

ゴルフの女神さんも「仕事が忙しくって...」って言い訳ならば、きっと許してくれるはず。
「俺は家族の為にちゃんと仕事をやったんだ!」って言い切れるならね。



...それでも言い訳しない奴って、やっぱり格好いいけどね。

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「こんなはずじゃなかった」というのが、君の本当の実力だ。...三好徳行

「君、そういうのを傲慢と言うんだよ。」
昔、尊敬する大先輩にこう怒られた。
...ゴルフを始めて4−5年くらい、確実に上手くなってきたのが実感できて、月例で優勝入賞を繰り返し、ハンデがどんどん減ってきていた。
「もう、俺は2度と90以上は叩かない...いや、85以上叩かない」なんて本気で思っていた。
そんな時、その先輩とラウンドする機会があったのだが、どういうわけか(自分ではそう思っていた)やることなすこと裏目に出て、ハーフで50を超えるスコアになってしまった。
「こんなはずじゃあない」という思いで頭がいっぱいになり、山ほどの言い訳を考え...それでも後半のハーフは39でまとめることが出来た。

面目は果たしたとホッとしてラウンド後にコーヒーを飲んでいた時、山ほど考えていた午前中のハーフの大叩きの言い訳を一言言った途端に、穏やかな言葉で「傲慢ですね。」と言われた。
そして、静かにこの言葉を教えてくれた。
恥ずかしさで真っ赤になり、全身に汗をかきながらこの言葉をかみしめて、大先輩に頭を下げた。
「ありがとうございます。」...それしか言えなかった。

この前の試合、午前中はスタートホールの5パットから、なんだかんだで49だった。
正直、言いたい「言い訳」は、いくつもあった...キャディーが、風が、練習が、クラブが、キックが、ライが、腰が、金が、仕事が、指が、...その種類は数え切れない。
そして、さらに強風の吹く午後、拾いまくって40であがった...この日の午後のスコアとしてはかなり良いスコアで、風がなければパープレーくらいの感触があった。
当然、自分の中では「これが実力だ」なんて気持ちがあった...でもこの言葉を思い出したときに、これはラッキーだったんだ、と改めて謙虚に反省するしかなかった。。

ある程度上手くなると、何回かパープレーあるいはそれに近いスコアで上がれたなんて経験を持っているだろう。
そして心のどこかで、それが俺の本当の実力だ、なんて思っているだろう。
でも、そんなのは「本当の偶然」なのだ。
そんな時は、ティーショットはフェアウェーを外さず、曲がった奴だって木に当たったりして戻ってくる、セカンドはミスしてもみんな乗ってしまう、外れた奴がチップインバーディーになったりする、長いパットが入ってしまう、打ち損ねたパットが正しいラインに乗って入ってしまう、パーパットはお先にばっかりで全然疲れずにパーがとれてしまう...そんなラウンドだったはずだ。
流れが「トントン拍子」と言うように、良い方に向いていたはずだ。
...それこそが、ゴルフの女神の悪戯、ただの偶然で断じて本当の実力ではない。

「可能性はある」、それだけだ。

叩いたから落ち込む、というのは身の程知らずの傲慢だ...先達はそう言っている。
叩いて落ち込む姿には(俺のいつものパターンだけど)、自分を「本当は上手いんだ」と見せたいような醜さがあるのを自覚しなくちゃいけない。
こんな時は「さあ! 殺せ!」「これが俺の実力だ!」くらい、開き直って下手を認めるしかない...「俺は下手なんだ!」「でも、このままじゃあ終わらない」...ゴルフの面白さを知ってしまったゴルファーは、あきらめの悪いのが一番の才能だ。

そう、「がんばらないけど諦めない!」


そして
「まだ、まだ!」...だ。

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ゴルフは「たら・れば」の悔恨によって、さらに深く興味を増す...P・G・ウッドハウス
(夏坂健氏「ゴルファーは眠れない」より)

夏坂氏によると、ウッドハウスは生涯に400編のゴルフ小説を書いた異才ということだが、私は彼の本は読んだことがない。
ただ、この言葉はゴルフをある程度プレーしたことがある人なら、誰でもが感じる言葉だろう。

「あの時こうしたら..」「あのショットはこうすれば...」の「たら・れば」は、ゴルフで一番「してもしょうがないこと」として、謂わば「笑いもの」にされている言葉である。
つまり「あとの後悔先に立たず」「覆水盆に返らず」で、なんの役にも立たないし、男らしくない(今は「女の腐ったような」ではなく「男の腐ったような」とも言うらしい)し、みっともないし、情けないとか言う意味で使われる事が多い。
しかし、この「後悔」とか「悔しさ」から出る「たら・れば」こそが、さらにゴルフと言う熱病にはまってしまう原動力となるんだと、ウッドハウスは言っているのだ。

確かに、殆どのアベレージゴルファーがクラブを買ったり替えたりするのは、「あの時ちゃんと当たるドライバーだったら...」とか、「あの時にショートウッドをもっていれば...」とか、「もっと易しいアイアンだったら...」とか、「スピンのかかるウェッジさえあれば...」とかいう、「たら・れば」の思いが動機になっている。
...今ちゃんと当たっているものを、さらに良くするために替えるなんて人はそうはいない。

そして練習に行く事だって、「あの時ピッチエンドランがちゃんと打てたら...」「高い球を打つ練習をしていれば...」「スライスを少なくする練習していたら...」「アドレスの方向を練習で確かめていれば...」なんて、コースでの失敗や悔しさの「たら・れば」の思いからだろう。

天才ならざる我々凡ゴルファーに、本当に後悔のない、悔しさのないラウンドが出来ることなんてまず無い。
そして、そういうアベレージゴルファーってのは、本当に謙虚で素直で正直で向上心に燃えている人ばっかりで、傲慢で自信に満ちて自分に酔っているような「嫌なヤツ」なんて見たことがない。

だから、何時だってラウンドが終わったときには、みんな「顔で笑って、心で泣いて」、たくさんの「たら・れば」を反芻し、心の奥底で「こんなに下手ならもうゴルフなんかやめたい」「でも、こうすれば、次にはきっと劇的に良くなるような気がする...」「でも、俺には才能がないのかも...」「でも...」なんて、もう一人の自分と後悔と反省と自虐とかすかな希望の会話を繰り返す。
そして、みな苦悩に満ちた修行僧のような表情で、クラブハウスを出て家路につく。
(ゴルフをやらない人が見たら、「この人達はきっとゴルフをやめてしまうだろう」なんて思うくらいだ。)


でも、そんな苦悩に満ちた修行僧達は、その日の日付が変わる頃....

「そうだ! あれをこうしたら」
「もしかしたら、これをこうすれば」

いつの間にか「たら・れば」が、暗黒の悲しみから大きな希望の光りへと変わって行くのを感じているのだ。



そうして
「ええと、次のゴルフの予定は...」

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