ゴルフの名言勝手に解釈  (渡辺隆司のゴルフブログ)

過去から今に伝わるゴルフの「名言・格言」を、勝手な解釈で描いて行きます。 読んだ結果、多分、ゴルフが上手くはなりません。 でも、ちょっと良いゴルファーにはなれるか、と。 もちろん責任持ちませんが。 (イラストの無断使用はしないで下さい)

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「悪いショットはすぐに忘れろ 良いショットは繰り返し頭に入れておけ」 チャールズ・ムーア

ゴルフでは、大事な場面で大きなミスショットをした場合、また同じような場面に出くわしたときに同じようなミスをしてしまうことが多い。
ミスの記憶がミスを呼ぶというわけだが、我々誰もがこのことは思い当たるんじゃないか?

「ゴルファーは皆、自分の言葉に責任をとってしまう」、なんて言葉もある。
「なんだか池に入りそうだな..」とか、「引っかけてOBになりそうだ」とか、「右に行きそうだ」なんて口に出して呟いたとたんに、その言葉通りの結果になってしまう。
「いいライだけど、ダフるかも」とか、「こんなとこでシャンクなんかしたら大変だな」なんて言葉にした途端に、それが現実になる。
...思い当たる事ばかりだろう?
打つ前の不安、自信喪失、弱気、嫌な予感、なんてモノが頭を過ると、すぐにそれが現実のものとなる。
「ああ、やっぱり」
「そうなると思った」
「いつもそうだもんな」
「おれが上手く打てる訳無いんだ」
ミスした後、妙に納得して安心したりする。

それじゃあ、進歩は無い。
その場所にいつまでもいる事が楽しいし安心する、と言うならしょうがないが、少しでも「良いショットを打ちたい」とか「もっと上手くなりたい」、「同じミスを繰り返すのは嫌だ」なんて思っているなら、まず考え方を変える事だ。

悪いショットのイメージを記憶していいことは一つもないし、打ち終わってしまったショットを悔やんだって、絶対に元には戻らない。
だから、昔からの有名なゴルファーや評論家が口を揃えて言っている。
「悪いショットは、すぐに忘れろ!」って。
そのかわりに、良いショットのイメージを繰り返し頭の中に入れておいて強く記憶しておけば、自分本来の良いリズムで打つことが出来るし、余計なプレッシャーや恐怖感に襲われることもない、というわけだ。

ただ、ゴルフってのは真面目に取り組めば取り組むほど、「自分のプレーの責任は、全部自分にある」ということが判ってくるから、なんだか必要以上に自分を責めてしまうことが多いんだよね。
特に普段真面目で誠実で、何事にも真っ正直に取り組む「いいひと」は、一つの失敗をいつも繰り返し後悔し、反省し、次にはなんとかしたいと思っているから、結果的に悪い記憶ばかり増えてしまい、プレッシャーのかかる同じ様な場面に出くわすとそればかりが頭に浮かんで来てしまう。
俺は、ゴルファーの8割は「いいひと」で「悲観論者」じゃないかと思っている。

でも自分を責めてもスコアは良くならない。
反省しすぎても萎縮してしまうだけ。
気分転換は簡単じゃないけど、その時自分に出来るのは「次のショットを打つだけ」なんだよね。
そして、「次のショット」は、過去と関係ない新しい体験なんだ。
自分の記憶の底からひっくり返して、見つけて欲しい...良いショットの記憶を。
中には、とても自分が打ったとは思えないくらい「すんばらしいショット」だってあったはずだ。
「プロよりすげえや」なんてヤツだってあったかもしれない。
そういうショットだけ覚えておこう。
良いショット、凄いショットだけ頭に残しておけば良い。
次にショットを打つときは、まず上手く行ったショットを頭に浮かべる...それから打てば良い。
もし悪いショットの記憶が頭に浮かんだら、もう一度アドレスからやり直す。
そしてそれが浮かぶ前に打ってしまう。
それでいい。

もし失敗しても、その時に一応反省したら、すぐに忘れればいい。

案外、ゴルフのプレーの「ツボ」なんじゃないかな、この言葉。
俺みたいに、「悪いプレーは、なかったことにする」ってし過ぎるのも、問題かもしれないけど。

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「最後のパットが入るまで、ゲームは終わっていないのだ」...スコットランドの古諺

本来の意味は、マッチプレーなんかで最後の最後まで試合を捨てるな、という意味だろうと思う。
ゴルフっていうのは自然が相手のゲーム、その中で「上手いとは言っても人間のやること、最後まで何が起きるか判らないのだから、決して諦めてはいけない」という教訓だろう。

でも、自分で自戒を込めて、この言葉は「自分のミスの結果なのに、腐ったり、投げやりになったり、真剣にプレーすることをやめて、いい加減なプレーでせっかくの一日を無駄にしてしまうな!」って事だと、理解している。
実際、過去を振り返れば思い当たることが多い。
ナイスショットがとんでもないライに続けて行ってしまったり、バンカーに入れば人の残した足跡の中、ラフに入ればずっぽりえぐられた穴の中、グリーン外せばなんだか知らん動物の糞の上、ワンピン以内につけたチャンスでことごとくパットがカップに蹴られて入らない、とか...
スタートの2〜3ホールでそんな事が続いて、調子は悪くないのにショットは悪くないのに、スコアが大きく崩れてしまう。

今の「数字の多少で優劣を決める」ストローク数オンリーのゴルフ遊びでは、それだけで「今日はもう何やってもダメな日だ」と、次のホールからやる気が無くなり、集中力が消え、全てのショットが投げやりになってしまう。
コースの所為にしたり、クラブの所為や誰かの所為にして、愚痴と嘆きと言い訳を繰り返す。
....そしてその結果、翌日から始まる後悔と反省の日々。

マッチプレーならそんなホールの出来事も十分取り返せて楽しめるんだけど、ストロークプレーではこう言う事が普通に起こる。
はじめの2〜3ホールで大叩きすると、それでその日がダメな日に決まってしまう...(残りの15〜6ホールをいくら頑張っても叩いた分バーディーで取り返すなんて普通のゴルファーじゃ不可能だから。)
せっかく遠くからゴルフコース迄やって来て、それなりの金と時間を作って、何日も前から楽しみにしていたラウンドが、朝のうちだけで終わってしまって、残りはまるで消化試合のように空虚な球転がしの散歩になってしまう。
これじゃあ、勿体ない。

最後のパットを決める迄ゴルフと言うゲームを楽しむ為には、ストロークの合計数優先主義のゴルフをやめる事が一番。
ゴルフの基本は、コースとのマッチプレー。
もちろん勝負する(チョコレートだけね)仲間がいるなら、そんな仲間とのマッチプレーがゴルフは面白い。
いくら叩いても負けはそのホール一つだけ。
次のホールは新しい気持ちで勝負する。
これなら、最後のホール迄勝負は楽しめる。

ストローク数は、最後のパットを決めてから数えれば良い。

コースとのマッチプレーは、自分のハンデの数だけパーに一打足し、パー以上は自分の勝ち、ボギーで分け、ダボ以上は負けと計算する。
それで五分以上なら、自分の勝ちとする。
結構いい勝負が出来るぞ。
(自分のハンデが無かったら、平均スコアか一番最近のスコアのオーバーパー分の8割を仮ハンデとすると、いい勝負を楽しめるぞ。)


(でも、ひとたびコースに出てみると、どこかで数字に拘る俗物の自分もそこにいる。
最後のパットまで、誠実に気持ちを込めて、そしてゴルフの女神に感謝して、ホールアウトしたいものだといつも思ってはいるんだけれどね...反省、デス。)


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「ゴルフは、他のみんなが幸運に恵まれ、自分だけが不運に取り憑かれるゲームだ。」
グラントランド・ライス(アメリカ)

どうだろう?
この言葉のように感じたことがないゴルファーなんて、殆どいないんじゃないのか?
「なんて俺はついてないんだ」とか、「どんなにいいプレーしたって、変なところばかりにボールが行きやがる」とか、「あいつはいいなあ、ラッキーばっかりで」とか思ったことが無いゴルファーなんているのか?

正反対の言葉に、「ゴルフにおける幸運と不運の量は同じだ」なんて言う言葉もあるけど、どう?
どっちの言葉が、実感として共感できる?
「こう言えるヤツなんて、絶対に幸運に多く恵まれているヤツだ」って思ってるだろ。

確かに確率論とかで言えば、その数字はやがては半々に収束するんだろうけど、その数字が収束するほどに試行を重ねる時間は、我々の人生では足りないはずだ。
我々が元気でラウンドする間に、運と不運が同じになる事なんて事は絶対にない!...(と思う)。

当然、幸運につきまとわれる人間と、不運ばっかりの人間に別れるわけだけど、何故か俺の周りでは9対1で不運(自己申告では)な人間ばっかりだ。
「特に自分は不運だ」なんて、みんな思っている。
なのに、ゴルファーはこの言葉のように「自分以外の人間は幸運なのに」と感じてしまう訳だ。
ひがみなのか焼きもちなのか、自己憐憫か被害妄想か、ヘボゴルファー程俗物で業が深いのかも。

...しかし、いつも不幸ばっかりな目にあったって(あくまでも本人の申告ね)、それでもみんなゴルフをやめないのがまた不思議。
不運な自分を楽しんでるのか、それともいつか自分にも幸運がやってくるのを信じているのか。


考えてみると、やっぱりゴルフの神様は女だと思う。
...モテる男とモテない男の話に、これはまんま当てはまるもの。


その女神さん、頼むから今年はちょっとは俺の方を振り向いてくれないかなあ。
俺の隣には貧乏神が懐いちゃって、ずっと離れてくれないんだ。
こいつをなんとかゴミ箱に捨てて来るからさ、俺の近くにもう少し...

別に「つきあってくれ」、とは言わないからさ。


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