ゴルフの名言勝手に解釈  (渡辺隆司のゴルフブログ)

過去から今に伝わるゴルフの「名言・格言」を、勝手な解釈で描いて行きます。 読んだ結果、多分、ゴルフが上手くはなりません。 でも、ちょっと良いゴルファーにはなれるか、と。 もちろん責任持ちませんが。 (イラストの無断使用はしないで下さい)

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「ゴルフは一度で三回も楽しめる。
コースに行くまで、プレー中、プレー後、だ。
ただし、内容は
期待・絶望・後悔の順に変化する。」・・・・アーサー・バルフォア

アーサー・バルフォアは1800年代から1900年代にかけての人物、英国首相。

変わらないね。
100〜200年前のゴルファーも、現代のゴルファーも。
それにしても、毎回毎回同じことの繰り返し...なのに、どうしてみんなゴルフをやめないんだろうねえ。
ゴルフをやらない人にすれば、まだ日も上らない早朝に喜び勇んで出かけて行って、夜空に星が瞬く時間に命の半分を失ったほどに項垂れて帰ってくる、大きな荷物を抱えた人物は、理解不能の不審者にしか見えないだろう。

こんなに叩かれても叩かれても、不死鳥のように(ゾンビのように、とも言う)いつの間にか蘇って、また挑戦し続けるエネルギーをもっと生産的なものに向ければ、人はもっと人生に成功できるんじゃないか、なんてことさえ思う。
でも、何度でも同じことを繰り返すっていうのは、言い換えれば自分も含めてゴルファー(特にアベレージゴルファー)って奴は、基本的に学習能力に欠け、記憶力にも重大な欠陥がある人間ということでもある...まあ、社会生活の上では「ダメ人間」の部類だよな。

...考えてみれば、ラウンド後(どんなひどいラウンドの後でも)一週間も経つとだんだん湧いてくる、あの「根拠の無い希望」と「裏付けの無い自信」てのはいったいなんなんだろう。
「ああすれば良かったんだ。」
「これを使えば良かったんだ」
「今度は上手くいく」
「これでいいスコアが出る」
「今度は絶対に上手く行く」

この理由を探すと、以前の沢山のラウンドの中から何十回に一回の「自分が打ったスーパーショットの記憶」が基本にある...そういうショットをつなげて行けば「自分ができるはずのラウンド」が頭に思い浮かぶのだ。
自分にも打てた事があるんだから、こういうスコアが出るはずだ...自分には此処までできる能力があるって。

うん、できるだろう(その間の何十発のミスショットを考えなけりゃ)。
できないってことは無い(たった1発でも打てたんだから)。
体調と、天気と、道具と、コースと...何より、そこに住んでいる女神が自分を気に入ってくれたら、可能性はゼロって訳じゃない(ラッキーがひたすら続けば)。
そうだ、できる!(仕事が忙しくなけりゃ)
自分にはきっとできる!(....)


え? この前のラウンド?
さあ・・・いくつだったか忘れちゃったなあ。
ゴルフ行ったっけ?



...ああ、次のラウンドが待ち遠しい。

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「ダッファーに幸あれ、君は誰よりも多く ボールを打ち、誰よりも多く ゴルフを楽しむ」...古諺。

今更なんだけど。
昔から言われていて、みんなも知っているはずの言葉なんだけど。
...「ああ、なんて好い言葉なんだろう!」

競技に参加したり、まじめな予選に出たりしてみるとよく感じる事...一打を争う上級者ほど、ゴルフが楽しくないような様子を見せることが多い。
苦痛と、苦悩と、我慢と、失望、絶望と、怒り、嘆き、焦り、恐怖、そして何かに対する呪いの言葉や、恨みの言葉まで...ゴルフクラブを持っていなけりゃ、とても正気の人達とは思えない程。
まあ気持ちはわからないでも無い...競技ゴルフの最中には自分の中にさえそんな気持ちがあることが多かったから。

そんな時にこの言葉が「この人達は、何故ゴルフなんていう遊びをしているんだろう?」と、問いかけて来る。

100から90くらいで回る、なんていう「ダッファー」の人たちのゴルフには、なんて「笑い」が満ちているんだろう。
80を切るか切らないか、という人たちのゴルフには、かなり笑いが少なくなってくる。
パープレーするかどうかの人たちのゴルフには、明るい笑いなんてほとんどない。
もちろんうまく行っている人は、上級者でも笑うし、余裕があるんだけれど。

ダッファーの人たちのゴルフは、うまくいってもいかなくても、いつも笑いをはじめとする素直な感情が満ちているように感じる。
「ゴルフを楽しむ」という言葉の中には、その緊張感やプレッシャーや、いろいろなアンラッキーを耐えることまで含まれているから、嘆きや怒りや恐怖や愚痴や言い訳と言った喜怒哀楽に満ちた人間らしい感情に踊らされるのはしょうがない。
しかし、ダッファー達のゴルフにはその子供の様な素直な感情の後にすぐに「笑い」があるのだ。
腹の底からの大笑い、照れ笑い、ごまかし笑いに言い訳笑い、自虐的な笑いもあれば思い出し笑いに夢見る笑い迄...

たまたま、運が良くて子供時代からゴルフをする機会に恵まれ、運動能力もあったような人はそれなりに上手くなり、プロやトップアマ、あるいは5下のシングルにもなれるけれど、若いときにゴルフに出会う機会に恵まれずに、社会人になってからゴルフを始めて熱中したような人は、ダッファーのままでいることが多いだろう...当然本業の仕事が生活の中心で、「遊び」であるゴルフを練習する環境や時間や金にも恵まれないのが当たり前なんだから。

でも、コースで遊ぶ時点でどちらの人がよりゴルフを愛しているか、なんてのには差はない。
腕はもちろん全然違うだろうけれど、それぞれの環境の中で「ゴルフに一生懸命」「ゴルフに夢中」なのは同じだと思うから。

そうしたら、僅か数回のミスで苦虫をかみつぶした様な表情になり、全ての気持ちを暗くさせてしまうような「70回やそこら」で回る人たちより、「100回前後」繰り返す真面目な真面目なドタバタ喜劇を、笑いと涙の感動とともに演じている人たちの方がずっと「ゴルフ」を楽しんでいるって思った方がいいんじゃないか?

楽しもうぜ、ご同輩。
ゴルフは上手い人達だけのもんじゃない。
ゴルフの神様も予測が出来ない様な、そのとんでもない「次の一打」を楽しめるのは、多分我々の方なんだからさ。
 

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「ゴルフってのは、身体が健康で頭が空っぽの奴なら、すぐにスクラッチプレーヤーになれる」...不詳

どこで聞いた言葉だったかは忘れてしまった。
ただ、あのウオルター・ヘーゲンもこんなことを言っている。
「俺のところに、手と足の大きな奴で頭の空っぽなのを連れてくれば、必ず一流のプロゴルファーにしてやる」

どうだろう。
案外凄い真理だとは思わないか?
勿論、現在スクラッチプレーヤーとかプロの人達が「頭が空っぽ」という訳では決してないんだけれど(笑)、どうしてこんな言葉が言われるようになったのかは興味があるだろう。

あくまで独断と偏見での考えだけど、ゴルフにおけるスイングの技術とか動きそのものは、ある程度の練習とその繰り返しでそんなに長い時間をかけなくても会得できるものだと思う。
地面にあるボールを打つという動きだ。
飛距離には個人差があるけれど、2ー3年もすれば誰でも普通に打つことは出来るようになる...練習場で見てみれば、1ー2年やっていて空振りばかりなんて人はまずいない。
奇麗なスイングや個性的なスイングという違いはあっても、誰でも気持ちよくボールを打っている。

じゃあ、スコアというものがどこで差がつくかと言えば...俺は「感受性」だと思う。
感受性、ってのは...感情の繊細さ、喜怒哀楽の激しさ、その人の持って生まれた気質、想像力、向上心、...ある意味で人間性の深さだ。
練習場でいくら上手く打てるようになっても、殆ど全員がコースに行くとその成果を発揮できないのは、「ライの変化」ということも勿論あるんだけれど、「景色が見えること」による影響と「かくあるべきはず」という自分に対する感情の乱れのせいだと思う。

ゴルフは「景色のゲーム」だと言われているように、広く平らな場所ならなんでもないショットが、「前に池がある」「右がOB」「左が崖」「クリークが横切っている」なんて景色が見えたとたんに、普通にスイングできなくなる。
「あそこに行ってはダメ」と感じたとたんに、身体もボールもその方向に行く動きになってしまうのが、普通の人の「ゴルフ」。
1mのパットもそう。
何も考えなければなんでもないパットが、「これを入れたら100を切る」「これを外せば笑われる」「こんなのが入らなかったら俺は馬鹿だ」とか、よけいなことを頭の中でぐるぐると考え、イメージし...外す。

ゴルフの場合は「感受性豊か」であったり、「繊細な感受性」を持つ事、「深い人間性」を持つ事は、ゴルフが上達の絶対的な弱点なのだ。
少ない数字で上がる為には、こうした感覚は邪魔にしかならないのだ!


そこで、なんにも深く考えることのない奴、何も感じないヤツ、反省も想像も恐怖も関係ない「頭の空っぽな奴」だ。
こういう「何も考えない奴」「何も感じない奴」なら、どんな景色の場所であろうと、練習場と同じに簡単に打って簡単に入れられる。
当然2年もしないでスクラッチプレーヤーどころか、プロにさえなれるかもしれない。

ここに真理がある。
多分余計なことを考えなければ、感じなければシングルなんて簡単になれるのだ。

...でも、それでいいのか?
ゴルフがなんで面白いかと言えば、その景色を楽しむから面白い。
景色を楽しみ、恐怖し、迷い、悩み、やがて自分なりに決断し、成功して大喜びし、失敗して深く落ち込む...それが面白い。
後悔し、反省し、自己否定し、「報われない人生」迄考えても、次のホールの景色を見たとたんに、また新しい自分の人生のスタートと夢の実現に向けて立ち上がる(笑)...我々のゴルフのラウンドは、そんな風な事を感じてドタバタと、毎ホール沢山の数字を積み上げていくわけだ。

さて、ゴルフを心底楽しむご同輩。
我々は頭空っぽのスクラッチプレーヤーを目指したいか?

いや、我々は汗と涙とビビる心を振り絞って、ホール毎の自分のドラマへと懸命に立ち向かう、頭でっかちで感受性豊かな「ヘボゴルファー」で行こうじゃないか。

それでもそのうちきっと、時間が多少かかっても、今よりちょっとは上手くなれるからさ(笑)。

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