ゴルフの名言勝手に解釈  (渡辺隆司のゴルフブログ)

過去から今に伝わるゴルフの「名言・格言」を、勝手な解釈で描いて行きます。 読んだ結果、多分、ゴルフが上手くはなりません。 でも、ちょっと良いゴルファーにはなれるか、と。 もちろん責任持ちませんが。 (イラストの無断使用はしないで下さい)

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「スコアカードから顔を上げて,本物のゴルフを楽しみなさい。」...ハロルド・ヒルトン。
(久保田滋「ザ・ゴルフ」芸術出版社より。)
久保田氏はこの言葉の前に
「大空、雲、美しいアンジュレーションと白いバンカー。」という言葉を紹介している。
同じような意味の違う言葉を以前聞いた事があったのだが、誰の言葉か思い出せなかったために久保田氏の著書の言葉を引用させていただく。

実に面白く奥が深いゲームであるゴルフにも、誰もが陥りやすい重大な欠陥がある。
それは、ある程度ゴルフに慣れて、スコアも100を切るのが普通になって来た人の多くが、ゴルフの目的が「スコアカードに記す数字だけ」となってしまうことだ。
「どんなプレーを楽しんだか」より、ただ「いくつで回ったか」だけが大事。
どのホールが美しかったか、どのショットが気持ち良かったか、どんな攻め方でプレー出来たかより、最後のラッキーのロングパットが入ってしまってバーディーだったという数字だけを記憶に残す。
スコアカードの数字の大小だけに一喜一憂し、小さければ大いなる喜びを得る代わりに、大きな数字だとこの世の不幸を一気に背負ったような気持ちになってしまう。
数字で自分の能力を過大評価したり、過小評価したり、大叩きをした原因のたった一打の運不運で神の存在を肯定したり、否定したり...身に覚えがないだろうか?
こうして、スコアカードの上の数字だけがゴルフの全てになってしまうゴルファーばかりになってしまう、という訳だ。

...あなたはその日のゴルフで、空を見上げた事が何回あっただろうか?
その日の雲の様子を覚えているだろうか?
その日の風を覚えているだろうか?
そのホールで聞こえた鳥の鳴き声に気がついただろうか?
そのホールの傍らに咲く花に目を留めただろうか?
...この前にゴルフをした時との、季節の移ろいの様子を感じただろうか?
あるいは、流れ行く時の香りの変化に気がついただろうか?

都会に住む人間にとってゴルフコースに遊ぶ事は、人の手の入ったものとは言え「自然」の姿を感じる事の出来る数少ない機会。
数字ばかりに気を取られて、小さなスコアカードから抜け出せない意識を解放してあげよう。
そのためにはスコアカードから、ちょっと顔を上げればいい。

顔を上げれば、君のいる空が見える。
空を行く雲が見える。
振り返れば、移ろい行く季節と君が歩いて来たホールがある。
もう一度前を見ると、彼方には目指すグリーンと、ピンフラッグが風に揺れている。
風と光と匂いが君を包む。
君がいる場所はそういうところだ。
それのすべてが「ゴルフ」なのだ...そしてそれが本物のゴルフ。
けっしてスコアカード上の数字だけがゴルフじゃあないってこと。

さて、そんなゴルフが本物だと理解した上で...この前より小さい数字を目指すのもいい。
まず、美しいホールで、自分の望む様なショットを打てる様に努力する事。
そして、以前より少しは少ないショットで上がる事を諦めろという訳じゃ、決して無い。
ただ、やっぱり数字が多くなったって、それがゴルフの全てじゃないって事だ。

...まずは、「さあ顔を上げて!」


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「紳士のスポーツがゴルフなのではない。ゴルフが紳士を作るのだ。」...バーナード・ショー

これは昔ゴルフを始めた頃に聞いてメモしていた言葉だが、改めて調べてみると、久保田滋氏の編集した「ザ・ゴルフ」(出版芸術社)に
「ゴルフが紳士淑女のスポーツだとする意見には反対だ。ゴルフをやる事で、紳士淑女になるというなら賛成だ。」...バーナード・ショー
という言葉があった。
多分原文はこういった意味だったのではないかと思う。

自分がなぜ30代半ばまでゴルフをやらなかったかというと、当時知り合いにゴルフをやっている人がいなかったためと、テレビや新聞等で見かける「ゴルフ」のイメージが酷く悪かったからだ。
テレビでは、レッスン番組みたいなもので「ゴルフ」を見かけたが、どこぞの社長やら重役やらのお年寄りが、何とも珍妙な格好でボールを打ち、力なく飛んでいくボールを「ナイスショット!」とか言ってプロもおべっかを言う...それはなんだか、「功なり名遂げた成功者達」が散歩気分で「紳士ごっこ」を遊ぶ球遊びか、みたいな印象だった。
そして、テレビなどニュースでよく「緑の待ち合い」とか言われていた。
政治家なんかがゴルフをしながら、誰にも聞かれずに「密約」をしたり「共謀」を測ったりする場...それに加えてその「待ち合い」なんて言葉には、淫靡で何やら怪しげな印象があったし...

それが、実際にプレーしてみると...これは「さすがイギリス発祥」の凄いゲームでありスポーツだった!
それは山登りやロッククライミングに似ていて、「日々同じ条件のない自然を相手に、自分の持てる限りの技術と情熱と頭脳で、最善の攻略ルートを見つけ出し、どんなに不運とアクシデントに見舞われようとも、決して諦めずに耐えて目的地にたどり着く!」...
おまけにその凄さの極めつけは、「審判がいない!」。
いくらでもインチキもズルもし放題...どこの場面でも堕落への誘惑の手が伸びてくるのだ!

こんなものは他にはない。
これに惚れ込んで熱中するものが、外見はともあれ「心は立派な紳士」にならないはずがない。
だからこの言葉が心に響く。

...ただ、これに耐えた上でも「悪魔」は誘惑の手を緩めない。
スコア..つまり数字の誘惑だ。
ゴルフはあくまでスポーツでありゲームであるのだから、最終的に数字で優劣あるいは順位を競う宿命がある。
そして熱中するあまりに数字にすべてを賭けるようになると、いろいろなものを逆に失う事になる。
数字にだけ拘るとゴルフというのは、鈍感で残酷で冷酷、打算と卑怯さ、自分勝手で唯我独尊、力と自然破壊、「数字さえ少なければ、誰よりも偉い」「より少ない数字で回る事が出来れば、なにをやっても良い」と言う醜い存在を生み出す事になる。

...我々はゴルフを楽しんで「心の紳士」になりたいと願う。
己自身の弱さと醜さ、自己嫌悪と後悔と反省と懺悔の気持ちに打ちひしがれながらも、精一杯の痩せ我慢と空を見上げて胸を張り、緑のフェアウェイを歩きたいと思う。
見た目はボロボロでも、「俺はお天道さんに顔向けて歩いて行けるぜ」ってね。


くれぐれもスコアの誘惑に負けて、努力した結果「嫌な奴ほどゴルフが上手い」なんて忌み嫌われるような存在にならないようにね。

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「責めるのは自分自身以外にはないんだ」とでも言うのかなあ...
原文は
The Player has no one to blame but himself.

スコットランドの古いゴルフにまつわる格言だと言う。
blameは辞書で調べると「〜を責める」とか言う意味。

自戒の言葉として覚えておかなくちゃあねえ...俺は他のもののせいにしたがるんだ、いつも。
例えば、「天候のせい」「昨日の寝不足のせい」「仕事のせい」「同伴競技者のせい」「クラブのせい」「ボールのせい」「コースのせい」「ライのせい」「酒のせい」「あの女のせい」「あの男のせい」「自分の周りのみんなのせい」...あげくの果ては「貧乏神のせい」やら「ゴルフの女神のせい」までいっちまう。
ねえ、はじめっからボールは動かずに、俺が打つまで待っていてくれてるんだよねえ。
それを、俺が無理矢理引っ叩いて...そんな場所に打ったのは俺しかいないじゃないの。
それを何をとちくるってか、他のもののせいにしてさ。
しまいにゃあ、飛んでいった場所の木や草のせいにまでしてしまう。
「こんなところに木なんか植えやがって」なんて、自分がそこにわざわざ打ったのを忘れてやがる。

まったく、ゴルフをするたびに自分が馬鹿な人間だってのを自覚するんだから、俺は馬鹿だ。
それなのに、また行く時にはそれを忘れて、また同じことをやるんだから、俺は大馬鹿だ。
馬鹿を自覚するやつあ馬鹿じゃないって言うけど、毎回同じ馬鹿に気がつくってのは学習能力のない飛びっきりの大馬鹿もんてことに間違いない。
ホント、俺の皮一枚下は「馬鹿」ばっかりがつまっていてさ、吐き出すものは「自己嫌悪」ばっかりだ。

...でも考えてみると、他のことでそんなに自覚することはないんだから、ゴルフって奴は自分の本当の姿を映し出してくれる魔法の鏡みたいなもんだよなあ。
「鏡よ鏡よ...世界で一番馬鹿なのは誰ですか...」みたいな。

本当に毎回少しでも良いゴルファーになろうと努力はしてるんだけどなあ...後
悔も人一倍、反省も人一倍、やる気も根気も人一倍、向上心だってあるつもりなんだ。
だからさ、女神さん。

今年は少しだけ多めに、俺に幸運を分けてくれないかい?
上手くいかなくても、絶対に女神さんのせいにしないからさ...

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