ゴルフの名言勝手に解釈  (渡辺隆司のゴルフブログ)

過去から今に伝わるゴルフの「名言・格言」を、勝手な解釈で描いて行きます。 読んだ結果、多分、ゴルフが上手くはなりません。 でも、ちょっと良いゴルファーにはなれるか、と。 もちろん責任持ちませんが。 (イラストの無断使用はしないで下さい)

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「ゴルフは下手ほど見栄っぱり 短い番手で打ちたがる」...ウォルター・ヘーゲン。

確かに。
特にパー3のホールなんかじゃあ、相手が何番で打ったかが気になる。
そして、相手が使った番手より長いアイアンで乗せるってことが、「恥ずかしい」なんて気になってしまう。
相手の方がピンに近くても、一番手短いアイアンで打ってグリーンに乗っていれば、勝った気分になってグリーンに向かえる。
酷い時には、手前にグリーンオンした相手より、同じ番手でグリーンオーバーした人の方が胸を張って態度が大きくなることだってある。
時には2番手も短いアイアンで乗せられたりすると、ちゃんとピン近くに乗せていても肩身が狭い思いでボールをマークする時だってある。
...本当は、今の時代のアイアンの番手なんて全く参考にならないのに。
同じメーカーの同じ種類のアイアンでもない限り、ソールに着いている番号の比較は全く無意味。
メーカーが違えば、同じ番号でも1番手から2番手以上ロフトが違うなんてことは普通にあるんだから。

それよりも、このウォルター・ヘーゲンの時代は、どのメーカーも基本的なアイアンのロフトは同じだったはず。
その時代には、この言葉は今より「プライド」がかかったもっと強い意味があったんだろう。
ただしこの言葉、ヘーゲンは「アンダークラビングしたがる」と言っている。
アンダークラビングというのは、フルスイングでギリギリ届くようなクラブを選ぶこと。
その反対がオーバークラビング...その通りの少し大きいクラブを使うこと。

つまり、「見栄なんか捨てて、アンダークラビングよりオーバークラビングする方がいい」...同じことを、ボビー・ジョーンズは「アイアンを力一杯打たないようにしてから、強くなれた」と言い、ヘイル・アーウィンは「アイアンは8分ショットで打つようにしてから、もっと強くなった」と言っている。

短い番手で乗せることを自慢するより、見栄を捨てて大きめの番手で楽に乗せることが大事だ...そういう意味でもある。


...ただね、「下手」にとってはオーバークラビングをして「8分ショット」を打つ...これが結構難しい。
 自分の力(飛距離)を過信しているものだから、大きな番手のクラブを持つと「八分ショット」のつもりがただの力の抜けた「緩んだ」スイングになっちまって、大体ミスになる。
そうすると、「やっぱり短いクラブでしっかりフルショットした方がミスにならない」なんて考えて、また短い番手のクラブをブンブンフルスイングする見栄っ張りのヘタクソに戻ってしまう。 

「力一杯打たない」・「8分ショットを打つ」って事をきちんと出来るようになるには、やっぱりそう言う練習をしなければいけないって事。
練習場でもしっかりそう言うショットの練習をしなければ、コースでいきなり上手くは行かないって事をキモに命じておく事だ。

 

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「しかめっ面していたら、ボールもしかめっ面で飛んで行くもんだ」...中村寅吉。

うん。
深いぞ、これ。

字面の通りの意味ももちろんあるんだろうけれど、なんだか「ゴルフの心構え」みたいな、気持ちの上での「奥義」みたいな感さえある。
自分に「我慢」が足りないからと、車で東京から大阪まで一台も「抜かないで」行く、なんてことを自分に課したエピソードが残る寅さんだからこその言葉。

例えば、今をときめく若手のプロの姿でも思い浮かぶてみよう。
もちろん俺の勝手な感想なので、正しいのかどうかは判らないが。

あるプロは、ショットをミスするたびに「ああ、ダメだ」という顔をして下を向いて力なくうなだれている姿を見せる。
...するとボールは、「ああ、ダメだ」の通り、1打の罰となるようなところばかりに行く。
それが調子が上がって来ると、「あ、まずい」っていう顔をしても、「大丈夫、なんとかしよう」って顔にすぐに変わる...そしてボールも、トラブルだけども何とかなる、なんて所にあることが多いように感じる。

あるプロは、多分性格も淡白なんだろう...一瞬「あ、まずい」なんて顔をしても、すぐに「何とかなるさ」「ダメならしょうがない」なんて顔になる。
で、ボールも、助かったり助からなかったり...本当に「しょうがない」感じ。

そしてあるプロは...ミスした時に「不愉快きわまりない」という顔になる。
気が強く、自分にもいつも最高のものを要求するタイプなんだろう...アスリートとしては良い資質だと思うんだけど、顔に不愉快さが出てそれが周りに判るのがいけない。
寅さんの言う通り、その結果ボールも表情と同じ「不愉快きわまりない」所に行ってしまう事が多い。

ゴルフのショットの結果というものが、科学万能の世の中の「合理性」や「科学性」の答えを越えたところに影響されてしまうのを感じるのは俺だけだろうか?
それは、宗教性とは違うのだけれど「因果応報」とか「運の不平等性」だとか、まるで「不思議」が普通にまかり通る世界...そんな気がする。
(そんな所がゴルフを「人生に似ている」とか、「ゴルフは人生だ!」なんて言わせる魅力になっていると俺は思う)

そんな風にゴルフに純粋な「技術」以外の、不思議な「運」や「心の有り様」が結果を左右すると感じるのなら、しかめっ面でプレーしてボールにまでしかめっ面にさせるより、楽しみ喜ぶ「いい気分」でプレーしてボールにもいい気分で飛んでもらった方がいいに決まっているだろう。

不愉快そうな顔をしてしかめっ面でプレーするんじゃ、ボールにもゴルフの神様にも失礼だ。

寅さんは、「そんな酷い顔してプレーしないで、ゴルフをもっと楽しめ」って言っているんだろう。

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「アベレージゴルファーの進歩は一打ずつではなく、一気にやってくる。」...ハーヴィー・ペニック。

ハーヴィー・ペニックは、世界的に名の知れたレッスンプロ中のレッスンプロ。
その言葉だもの、信じるよなあ...

それにこれこそ我らアベレージ凡ゴルファーの希望であり、夢であり、大叩きのどつぼにはまったゴルファー達の蜘蛛の糸...これを信じてるから、叩き潰されても跳ね返されても血と汗と涙の跡も乾かないうちに練習に行き、また夢を見てゴルフに行けるんだよなあ。
雨の日だって晴れの日だって、寒くたって暑くたって、風が吹こうと霧になろうと、練習場であんなに思い詰めた顔で打ち込んでいる人が沢山いる理由だって、この言葉を信じているからに違いない。

今までは100を切れなくても、90を切れなくても、きっと奇跡の大ジャンプをしていきなりワンステージ上のゴルファーに変身出来る。
90を切れないから80台じゃあないよ...きっと75くらいのスコアでいきなり回れる日が来るのさ...なんて夢を見て。
叩けばきっと扉は開かれる。
今はまだ女神も魔女も俺のことに気がついていなくても、俺の大ジャンプする順番はすぐそこまで来ているに決まってる。
いつまでたっても90切れないからって笑って見ているのも今のうち、1打や2打少なくなるんじゃなくていきなり10ストロークは少なくなるさ...それがペニック先生の言っている「一気の進歩」ってやつだろう。
今はきっとその力を溜めている時間なのさ。
次のラウンド、いやその次のラウンドか...遅くても今度の夏頃か...一気の進歩って奴が俺にたどり着くのは。
楽しみだなあ。
最近もスコアはちっとも良くならないし、コンペでも上位には入らないし、握りはずっと負けてるし、みんな俺をカモだと思っているんだろうけど、それは変身前に餌を撒いているだけの話。

なんつったって、ペニック先生が言ってることだもの間違いはない「一気の進歩」。
楽しみだなあ...いきなり上手くなる日が来るなんて。
そろそろだよね、俺の番。

...あのさあ、先生はレッスンするのが商売だからって、この言葉「営業トーク」じゃないよねえ。
絶対に、一気に上手くなる日が来るんだよね?

信じていいんだよね? 

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