ゴルフの名言勝手に解釈  (渡辺隆司のゴルフブログ)

過去から今に伝わるゴルフの「名言・格言」を、勝手な解釈で描いて行きます。 読んだ結果、多分、ゴルフが上手くはなりません。 でも、ちょっと良いゴルファーにはなれるか、と。 もちろん責任持ちませんが。 (イラストの無断使用はしないで下さい)

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「ゴルフというのは、150ヤード飛ばそうと思って打てば50ヤードしか飛ばず、50ヤード打とうと思って打てば150ヤード飛ぶものだ」...作者不詳。

古来からいわれているゴルフの「名言」の一つで、ゴルフの上達の重要なポイント...スイングの「ツボ」、「コツ」だという。

思い当たるのは、我々殆どの凡ゴルファーでも経験したことがあるだろう...「刻もうと思って打ったアイアンは良く飛ぶ」ということ。

「池まで150ヤードです」
「じゃあ140ヤード打つなら大丈夫だね。140ヤードは8番だけど、念のために130ヤードしか飛ばない9番で刻むよ。」
なんて選んだ9番アイアン。
どうせ刻みなんだからと、軽い気持ちでビュンと振る。
いい手応えで、池の手前...のはずが行ってみるとボールが無い。
なんといつもの7番の距離を9番で打ってしまった、ということになる。
「そういえば、あんなに軽く良い感触のショットって、普段のアイアンのショットじゃあ経験したこと無かったな。」
...普通のアイアンのショットでは、練習場で確かめた(つもりの)自分の番手の飛距離を必死に打つんだけれど、殆どの場合ショートする。
自分では7番が150ヤードのはずなのに、その距離をきっちり打ったことなんて殆ど無い。
...150ヤード打つつもりで、大ダフリで50ヤードなんてのは結構あったりするのに。

しかし、9番で150ヤードなんて練習場でも打ったことが無いのに、こんな気楽な刻みの時にその飛距離が出てしまう。
自分が打ったのに、自分の飛距離が信じられない...なんかの間違いなんじゃないのか?

9番で150ヤード...事実が教えてくれているのだ、これが自分が一番良いスイングを出来た時の最大飛距離なのだと。
これは「無駄な身体の力が抜け」て「ヘッドを走らせた」結果、ちゃんと「ヘッドが仕事をした」自分の最高のスイングが出来たということ。
これはスイングの「極意」だ。
この実際に自分が打てたスイングをいつでも再現出来るようになれば、ゴルフがガラリと変わるはず。
こんな時こそ、そのスイングの感触を身体が覚えているうちに、絶対に自分のモノにするように練習するべき。
(そのスイングを2回に一回でも再現出来るようになったとき、ゴルフの実力は数段上のクラスに進化したとも言える。)

でもね、150ヤード打とうとして50ヤードしか飛ばないのはわかるけど、スッと無心で振ったスイングが意外に飛距離が出るというのもわかるけど...50ヤード打とうとして150ヤードは飛ばないんじゃないかい?
名人達は、いつも150ヤードを「50ヤード打つつもり」で打っていたのかね?

古来のゴルフの名人さん達に聞きたいんだ...俺はどうやっても50ヤード打つつもりで150ヤードも飛ばないんだけれど、スイングに欠陥があるのか...心にやましいことがあるからなのか?

50ヤードでいい、50ヤードでいい、って言い聞かせて打つと...
本当に50ヤードしか飛ばないんだもの。

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「ゴルフで大事なのは、力を抜くこと、ゆっくり振ること。 あなたの両腕には力が入り過ぎている」
...グレナ・コレット。

グレナ・コレットは1920〜30年代の、ゴルフ史上に残る美人ゴルファーとして有名な女性。

ゴルフの格言で「力を抜け」という言葉は、本当に沢山出てくる。
だが、この「力を抜け」ということは実に難しい。
勿論力を入れ過ぎて、体中がガチガチになってしまうのが悪いなんて事はみんな判っていることだろう。
しかし、そこで意識して「力を抜こう」と意識してスイングしても、いい結果になる事は殆ど無い...力を抜く加減も場所も、やり方がわからないのだ。
しかし、グレナ・コレットという美人ゴルファーは身長も160センチあまりで、残された写真を見ても女性として逞しいなんて言葉とは全く無縁な人のように見える。
そんな女性が『力を抜け』と言っている訳だから、我々が「普通に」スイングしようとしているつもりの力加減では、まだ強すぎるのだろう。

両腕もグリップも力を抜く...バイロン・ネルソンがこんな言葉を残している。
「スイングで本当に力が必要なのは、使ったクラブをバッグに戻す時だけだ」

使ったクラブをバッグに戻す時の力...思い当たるだろうか?
勿論、タイガー・ウッズがミスした後のクラブの戻し方を思い出してはいけない。
彼は虎を槍で刺し殺すくらいの勢いで、バッグにクラブをぶち込むんだから。

...普通に穏やかにクラブをバッグに戻す...あの力が最大だと言う。
それならグレナ・コレットが「あなたの両腕には力が入り過ぎている」というのも、意味が分かるだろう。

まあしかし、実際にやってみると難しい(笑)。
腕とグリップ、上半身と下半身、バックスイングとダウンスイング...バラバラに意識して考えると、とても出来たもんじゃない。
普通の人は力を抜いたつもりで振ると、いろいろな関節が緩んだだけの「タコ踊りスイング」になる。
飛ばないし曲るし気持ち悪いし格好悪い...スイングにリズムも締まりも全く無くなってしまう。
他に、力を抜いたつもりが単なるスローモーションスイングになってる人も多い。
力を抜いたら全然飛ばない、という人がこれ。

...正しく力を抜ければ、ゴルフの大事な何かをつかめる。
ポイントは身体の力を抜く目的が、「結果ヘッドに仕事をさせるため」と言う事。
つまり、練習で「身体の力を抜いてもヘッドスピードが上がり再現性も上がる動き」を追求するしかないんじゃないだろうか。
とりあえず、両腕の力を抜く事からはじめて。


毎回、練習場でボールを思い切り引っ叩いて気持ち良くなっていても、単なる欲求不満の解消にしかならないぞ。


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「結局、最後は神頼み」...ヘンリーコットン。

どんなに練習し、上達し、熟練の技と経験を持っていようとも、カップインするまでの一ホールのドラマの中で、ゴルファーは結局神に祈ることになるのだ...とゴルフを極めたような識者が言う。

...ゴルフの面白さ、深さの最重要な部分に「人の力ではどうにも出来ないラッキーやアンラッキーとの遭遇」がある。
もしゴルフというものが、ゴルファーがその努力と練習と経験で得ることが出来た力をいつも同じように発揮出来て、例えば何時もハンデキャップ8とハンデキャップ12のものが4打差で終わるようなゲームなら、人はこの遊びにこんなに熱中することはなかったろう。
ハンデ8のゴルファーがアンラッキーの連続で100を叩くことがあれば、ハンデ12のゴルファーがツキにツイてパープレーで回ったりするのがゴルフなのだ。

努力は報われることもあれば、報われないことも多々ある。
不思議なことに、全く努力が報われないゴルファーが「もう、ゴルフなんかやめた」なんて心の底から思った時に、信じられないラッキーがやって来て「ああ、ゴルフを続けて来て良かった」「もう少し続けてみるか」なんて思いをさせることは本当に多い。
そんなことをする「なにか」がいるのだ。
その他にも、思い当たることが多いだろうけれど、信じられないショットが出たとき、考えられないような難しいパットが入ったとき、奇跡のようなラッキーな状況に出会ったとき...殆どのゴルファーは「なにか」、つまり「神」の存在を感じるらしい。

勿論、ヘンリー・コットンにとっては、「神」は「キリスト」なり「天の父」なりの一神教の神だろう。
ある人にとっては、仏教の仏、ある人にとっては自分の先祖...
それぞれ譲れない自分の「神」を持つ人々は、ラウンド中それぞれの神様に「神頼み」をするんだろう。

自分は特定の宗教はない...かといって無神論者でもない。
よく考えてみれば、アニミズム...精霊信仰なんかが自分の感性に近いかもしれない。
樹齢千年も経つという大木や、厳かな山、海、空気、水の流れ、太陽、月、星星、花や植物等々...
生物、無機物に限らず、自分がある種の「畏れ」や「畏敬の念」を感じるものに「精霊」もしくは「神」のようなものが存在すると思っている。
そして、ゴルフ場には「ゴルフの神様」が住んでいると思っている。

だから、俺の神頼みするのは「ゴルフの神様」...
...無宗教の人が大部分の日本でも、ゴルフをやる人の中には「ゴルフの神様」を信じている人は多いんじゃないか。

ただ、この「ゴルフの神様」というのが、一筋縄ではいかない厄介な存在だ。
色気たっぷりで、触れなば落ちん風情でありながら、傲慢で意地悪で浮気者の「女神」と、ともかく一度惚れられたら逃げても逃げてもついてくる深情けの貧乏神の「魔女」と二人がいるらしい...
この二人が何とも絶妙な「間」で、ゴルファーを翻弄してくれる。
腹が立つのは、「さすがに女神さん、俺のためにこんなことを..」なんて思っていたら、いつのまにかニヤニヤ笑う魔女にすり替わっていたり、「お前なんか大っ嫌いだ!」なんて魔女のついたゴルフバッグを蹴飛ばすと、いつの間にか背中にぴったりと色っぽい姿でくっついて来たり...

そうして、俺が思うにどこの神々より「ゴルフの女神」は、一番タチが悪い。
だって、それが判っていながら、繰り返し「ああ、女神様! 頼む!」なんて呟かされてしまうんだから...一日に18回も!

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