ゴルフの名言勝手に解釈  (渡辺隆司のゴルフブログ)

過去から今に伝わるゴルフの「名言・格言」を、勝手な解釈で描いて行きます。 読んだ結果、多分、ゴルフが上手くはなりません。 でも、ちょっと良いゴルファーにはなれるか、と。 もちろん責任持ちませんが。 (イラストの無断使用はしないで下さい)

ここは、リダイレクトが〜と出てログインできないことが多くなりましたので、シーサーブログに同じタイトルで移行しはじめています。
全て移し終わったらこちらは削除します。 

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「私は為すべきことをしただけ。 あなたは私が他人の金を盗まなかったからって、私をほめますか?」...ボビ-・ジョーンズ。

「球聖」と呼ばれた、ボビー・ジョーンズの有名な言葉だ。

それは、1925年ウースター・カントリー倶楽部における全米オープン二日目、11番ホールの3打目の出来事。
2打目をフックさせて深いラフに入ったボールを、見事にリカバリーしてパーをとったように見えた。
しかし、その時ジョーンズは3打目をアドレスした時に、ほんのわずかボールが動いたからと自己申告して、1罰打を足した。
勿論、誰も見ていない、誰も気がついていない状況で、だ。
その結果、最終日無名のウィリー・マクファーレンと同スコアで並び、翌日プレーオフの末破れた。

翌日、新聞などで「ジョーンズのフェアプレー」とか「素晴らしい敗北」とか、この行為を賞賛する声が出た時に、ボビー・ジョーンズが友人に言ったという言葉がこれ。
ゴルフというゲームの一番の特徴が、「審判が居ない自己申告のゲーム」ということ。
これに従えば、このジョーンズの行為はごく当たり前の事で、彼が言う通り騒ぐ方がおかしいはず。
しかし、当時のアメリカでの新聞で讃えられる程それが「美談」と見えた訳だから、その時代のアメリカのゴルフの「常識」がどんなものだったか想像出来る。
冗談なのか本気なのかは微妙だが、当時のインチキテクニック(イカサマあるいはチョンボともいう)は大したもので、それを表した「How to rob with golf」なんて本まで出版されている程。
それには「卵を産む男」や「手の5番」やら、なんでもありのテクニックが沢山記されている。

まあ、今の日本のゴルフ界だって、どんなものか...
ジュニアの大会でのスコア改ざん、プロの試合でのスコア改ざん、「互助会」と呼ばれるマーカーとの示し合わせ...などなど、本来なら信じられない「トンでも」情報なんだけど。

ゴルフというのは不思議なもので、誰でもそのプレーを続けることで人間形成に役立つような、「忍耐」や「我慢」や「謙虚さ」や「平常心」や「思いやり」を学んで行くくせに...なぜか、競技に勝つようなゴルファーには「いやな奴」が増えて行く。
「いい人」は勝てずに「いやな奴」が勝つことが多くなって行く。
それが、こういうジョーンズのような行為をどこかで否定することで、変わって行くんじゃなければいいんだけれど。

ただ、我々へぼゴルファーは気がつかなかった時は別として、気がついて自己申告しなかったときは、絶対に良い結果にならない。
たった一打でも「ごまかした」という思いは、残りのプレーにつきまとい、後ろめたさと罪の意識でその日のゴルフをフイにしてしまう。
上がってみれば、ジョーンズと違ってそんな一打なんてほんの些細なものなのに。

我々普通の「へぼゴルファー」が、スコアは別として本当にゴルフを楽しみたいのなら、気がついた時にさっさと申告した方がいい。
85も86も、91も92も、107も108も一打で何にも変わりはない。
それなら、「気持ち良く」プレー出来る方がいい。

79と80?
89と90?
99と100?
そりゃあ一打の違いは大きいかもしれないけど、もしインチキしてのそのスコア?



...(俺の経験から言って)その後ずっと続く後悔と自己嫌悪に悩まされることになるから、この言葉を思い出してやめといた方がいい。

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「調子が良いときは、飛ばしたい所を見ている。調子が悪いときは、飛ばしたくない所を見ている」

ケン・ベンチュリー。

ケン・ベンチュリーは、ツアー14勝、メジャーは1964年に全米オープンをとっている。ほかに1956年、1960年にいずれも一打差でマスターズ優勝を逃している。

この言葉、アベレージゴルファーであっても誰でも覚えがあるはずだ。

あるホールのティーグランドに上がった時、景色がどう見えるか...
「調子が良い」、あるいは「当たっている」なんて感じている時には、「あそこに打つのがいいな」とか「あそこまでは飛ばせるから、セカンドはウェッジだな」とか「ベスポジは広いな」とか見えているはずだ。
逆に「当たらない」とか、「調子が悪い」なんて感じている日には、「あそこはOBが近いな」とか「池が効いてるな」とか、「打つ所がねえよ」とか、ボールに行って欲しくない所しか見えなくなっている。

これはゴルフの面白さ、深さと直結しているポイントなのだ。
ゴルフに人がこれほどはまり込むのは、他の多くのスポーツと違って「単なる技術の向上が、スコアとは結びつかない」ということにある。
いくら練習してスイングを作り、飛距離が出るようになり、正確さが増し、いろいろなテクニックを覚えても、それがすぐにコースでの結果につながらない。
練習場で「出来ること」と、コースで「出来ること」は違うのだ。
その原因は「景色」。
ただし、いくら景色が見えても「シミュレーションゲーム」は、やはり別物で本物のゴルフではない。

ゴルフが古来「景色のゲーム」と呼ばれるのは、その景色が呼び起こす「心理」が技術に大きく影響して、練習場ではあり得ないような結果をもたらすからだ。
はじめは練習場では問題のないショットが、本物の芝や天候や同伴競技者や、ライや手順や焦りで「こんなはずじゃあないのに」というミスになる。
その結果経験して行く、ちょっとした「恐怖」や「不安」や「迷い」が、ラウンド事に積もり積もってゴルファーの心に大きな「マイナスの記憶」を育て上げる。
...池やOBがあれば、そこに打ち込んだ悲しみや絶望の記憶。
林や崖があれば、やはりそこに打ち込んで何度も大叩きをした屈辱と怒りの記憶。
ちょっとした傾斜でダフリトップを繰り返し、練習場のようには全然当たらないという自信喪失と失意の記憶。
そうした景色の記憶が、経験を積むほど強固になって行き、マイナスの心理状態を呼び込んで行く。

調子の良い時には、フェアウェイは限りなく広く見え、トラブルを呼ぶ景色は自分の視界からは消えてしまう。
しかし、一旦調子が悪いと感じると、フェアウェイは狭く狭く見えてきて、視界のほとんどはOBの白杭とラテラルウォーターハザードの赤杭と、ウォーターハザードの黄杭で埋め尽くされる。
林は大きく聳え立ち、崖は絶壁となって迫り、クリークは大河となって荒れ狂う。

どうだろう。
今日のあなたにはフェアウェイはどんな風に見える?
もし、穏やかに美しく、ボールを打とうとするポイントが良く見えるなら、きっとあなたは調子が良い。
今日一日を、ホールの美しさだけを求めてフェアウェイを逍遙すればいい。

もし、見えるのが大きな池や、行く手を遮る林や、ボールの落ちどころに張り巡らされたOBの白杭だらけだったら、あなたは間違いなく調子が悪い(たまにコースが悪い場合もあるけど)。
そういう時は、大人しく、無謀な攻めをやめ、今日一日は試練の時と覚悟して、ポーンポーンとボールと一緒の散歩のつもりで歩き続けて行けばいい。

もちろん、調子が悪い時に意識して「飛ばしたい所を見る」ようにすれば、より悪い結果にはならない。
「飛ばしたくない所を見る」事で、いいことは一つもない。
出来るなら、打つ時には「飛ばしたくない所」は絶対に見ないことだ。

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